「心が動くこと」に耳を傾けてみる

「自分」に向き合い

言葉を紡ぐ旅の真っ歳中

 

松本あゆみです

 

 

 

 

「忘れるから何回でもできるんやで?」と言った長男にドキリとした話

 

 

 

毎日さー。

ゲームしながら

学校行ってるねん!

 

  

 

卒業式を控え 

髪でも整えとくか〜

ということで

近くの行きつけのお店に

歩いて行ってたとき

小6長男が話してくれました

 

 

 

 

ゲームってなに?

 

と聞いたら、

 

 

 

 

学校まで

何歩で行けるか数えたり

 

そこらへんにあるもの、

消化器とかマンホールとかが

学校につくまで

何個あるか数えたりしてる〜

 

と。

 

 

 

へー!

そんなことしてるんだ〜

 

小学生男子っぽいな~

 

ほほえましく思ったし

 

長男が

自分のことを教えてくれたことも

なんだかうれしかった母の私

 

 

 

ここまで聞いたら

 

いくつくらいあるのか。

 

が、気になりますよね( *´艸`)

 

 

 

 

学校までは何歩で行けて

 

消化器とか

マンホールは何個くらい

存在してるのか。

 

 

 

 

 

だから

私も「その数」を

さらっと聞いてみたんです

 

 

 

 

そしたら、、、

 

 

 

「忘れた。」

 

 

 

 

そこまで言っといて

なんじゃそりゃ~~~!

(;´∀`)(;´∀`)(;´∀`)

 

ってなったわけなんですが

 

 

 

 

その後

 

長男が言いました

 

 

「すぐ忘れるんやけど、

だから

何回でもできるんやで!

 

って。

 

 

 

傘は蹴るものではないぞ、次男よ。

 

 

 

・・・

そっかそっか

だから

何度でもできるし

何度でも

ゲームにできるし

確かにそう。

忘れるから楽しいんだー。

 

と、

なんだか納得した私がいました

 

 

 

 

 

「◯◯しなきやいけない。

◯◯しといたほうがいい。」

 

そんな思考があると

 

 

そうじゃない現実を目にしたとき

 

 

「えー!それはよくない。」

ってなりがちですよね

 

 

 

 

私自身が

かなり

「〇〇せねば!」が強いので

たっくさんあります(爆)

 

 
 
 
何度も言っても
右から左の
わが子たちには
「前も言ったやん!」
とイラっとすることが
1日1回はあるし(笑)
 
 
 
そんな風に
相手に感じるということは
自分自身にも
同じことを思うわけで
 
 
 
深刻じゃない忘れた
ならまだしも
 
言われたことを
うっかり忘れて
相手に迷惑をかけてしまった
 
といった状況になると
 
 
 
 
「なんで忘れたん?」
「ちゃんと確認せな。」
「忘れすぎやん。
ほんとしっかりしてない。」
 
という声に
自分がやられるんですよね
 
 
 
 
そう、
相手に何か
イラっとしたり
モヤモヤする感情があるときは
 
もれなく
同じことを自分に思ってたり
自分自身に
キビシイ目を向けていることが
ほとんど。
 
 
 
こういう
相手は自分の鏡でしかない
意識の学びを始めて
 
早、1年と3か月ほど
たちましたが
 
長年連れ添った
自分の思考から抜け出すのは
すごくムズカシイ(笑)
 
 
 
 
 
なので
私も
まーだまだ
進んでもない状態ですが
 
長男の
 

「すぐ忘れるんやけど、

だから

何回でもできるんやで!

 
 
という
 
罪悪感が一切ない
「だからこれができる(いいだろ~!風)」
の変換が
 
すごくいいな、って思ったんです
 
 
 
 
忘れてもいい。
 
忘れるから楽しめる。
 
忘れるから
こんなこともできる。
 
 
 
 
今回は
ただの登下校の
ゲームの話からの
「忘れる」ですが
 
確かに覚えてなくてもなんの問題もない話w
 
 
それがあるから
何を手に入れられているか
 
 
何かやらかしたとき
ここに
フォーカスしてみたいな、
と思った母でした
 
 
2年半前の私と長男。もうすぐ小学校卒業だ!
 
 
 
ここまで
読んでいただいて
ありがとうございました
 
 
 
 
松本あゆみ