便利と不便を同時に感じることが多い。そんなときは、つくずく怠惰した人間なのだと自覚する。

 住んでいるアトリエは2階建て、PCは2階に設置している。1階にも置けばいいのだが、経費の問題で自分が望むスペックのものを設置できないのが現実である。よって、ネットを利用した作業は2階で行うことになる。あるサイトのサービスを利用しようとログインしたところ、第二認証のためスマホにコードが送られる。スマホを携帯する習慣がない私に、1階にあるスマホにコードを確認しにいけという。軽快で便利なサービスも、どんどん重たくなっていく。不正を働く人間がいる限り、セキュリティーは強化し続けるのだろう。将来は便利を通り越して不便になるのではないかと思う。

 1階に降りて、コードを確認して2階に戻る。別のサイトでも同じことをやらされるのだが、インドアな人を運動させるなんて、サービス精神が旺盛すぎると感じてしまう。また1階に降りていく気力はないので、ログインをあきらめる。

 それでもスマホを携帯しないのは、距離を置きたいのかもしれない。

 連休も終わり、暴飲暴食の期間が終わりを告げる。仕事や用事がない限りアルコールに浸っている。今の仕事をリタイヤしたとき、どうなるのかと不安になる。その時はアルコールを自由に買う財力もないだろうから、アルコール漬けにはならないかもしれない。危険なのは現役時代だけなのかもしれない。

 エッセイを読んでいて、寿司のテーマがあった。連日肉づいていたので、いいなと思うのだが行きつける寿司屋がない。それに財布も薄い。連休で散在し続けているのだ。書斎をあさって見つけた、カード会社のギフト券。賄える範囲ということで、回転寿司へいく。体調のせいか、思ったほど食べられなく呑めなく、いざ会計の際にギフト券を出したのだが、まさかの対応不可。あまり食べなかったので、財布の中身全部でまかなえるのだが。もうギフト券を使える場所もなくたってきたということに時代の流れを感じる。

 

 耳にイヤフォンを装着している人を良く見る。知らない他人と話すことはないので、よく見るというだけである。大衆に迷惑をかけない面では、気を使っているのだ感心する。自分自身は、イヤフォンを耳に装着したまま他人と会話することに抵抗がある。そのことを許容できるひとは、装着しているだけで何も流れていないというのが言い分である。それに抵抗がある自分の考え方は古いのかもしれない。身近に思い当たる人がいて、こちらの考えを伝えようかとおもったが、いろんな考えが交差してやめる。他人と会話していても、平気で音声を流している人がいる。それはTVやラジオをかけっぱなしで、会話するようなものなのだろう。対面の人に対して、気をそらしているのが不満なのは自分の気持ちの一つだ。同時に何かを処理できない自分が、不器用な不満を訴えているだけなのかもしれない。悪意があるわけではないが、自分の考えに変化があるまで、その他人とは距離を置こうと思う。もう近づくことはないのかもしれない。イヤフォンを常に装着していないひとが、自分一人になっても貫けるだろうか。耳に何かを差し込むのに違和感を感じているうちは、貫けるのかもしれない。

 頭が痛く、体から熱が抜けない。内臓の消化機能も明らかに低下している。相談相手も特に思い当たらないので、生成AIに相談する。少しは予想していたのだが、やはり大げさに騒ぎたてるような回答。騒ぐのが嫌なので人間に相談しなかったのだが、AIも同じような反応で、少し残念に思う。エアコンがあまり好きではないのだが、効かせた部屋に移動して過ごす。近い未来、電気代を支払うことができなくなって、エアコンのない生活になったときはどうなるのだろうか。不安を考えればきりがない、この時期の図書館に来客が多いのも不安にかきられた人達なのかもしれない。読書にあきはじめたころにアルコールを呑みたいと思い、近所のドラッグストアーに買いにいく。そして内臓を痛めつけている。みんな矛盾した生活を送っている。

 

 内臓の具合がよくない。正確な部位はわからないのだが、臓物が弱っているのは確かである。自分の体なのによくわかっていない。胃や肝臓がどこにあって、どのような役割をしているのか。インターネットで調べてみる。義務教育の一環で習ったような気がする内容を、もう一度学習する。世の中の人はどれだけこの内容を理解しているのだらろうか。先日読んだ本に、他人と比べてはいけないことを書いてあった。他人と比較しようとする癖から離れられない。気を抜けばすぐに比較してしまう。

 問題はすり替わってしまったのだが、思い当たるのは連日の食事会である。この程度で弱ってしまう自分の体などと、またもや自嘲と比較である。自足する日は遠い。

  けだるい日々が続く。暑さのせいで熱気が身体の中にこもっている。全身の毛穴が開いて汗が体温調整をしている。このけだるさは、汗では冷却がまかないきれないからかもしれない。毎年この季節になると、水の中で生活したいと思う。

 最近は図書館に出入りしている人が多くなっている。純粋に本を読みに来ている人数は変わらないだろう。エアコンの温度設定を何度か上げれば人数は元通りになる、その他大勢が出ていく様を空想する。人が多いのは嫌いだが、他人が目障りなわけではない。気になるのは偉そうな態度と音。偉そうな態度の人は、見ないようにすればいいだけなのだが、逃げられないのは音である。口の中に何かを入れた音を響かせている人がいる。どんなに本に集中していても、波長を合わせて耳に入り込んでくる。飲食禁止の館内で、どうやってその音を作るのか。不快な物でも何かを作りだす創造主なのだ。そう考えたとき、自分は消費者なのだと、あらためて気づき、そして悲しかった。何かを創造する人になりたかった。

 小さなストレスを理由に、日々の努力を怠ってしまう。自分に言い訳をして休みたいのである。またはアルコールの誘惑に負けているだけなのかもしれない。考えを返さないように、急いでアルコールを呑む。習慣化していないスナック菓子を開ければ、空になるまで止まらない。それを怠惰だと軽蔑の目線をアピールしてくる自分がいる。きっとそいつは羨ましくて、自分も仲間に入りたいのだと思う。全部自分なのだから、喜んで迎えてあげたいのだが、お互いに動けない。二人を支配している何かがあるのかもしれない。

 仕事でヒステリックな人からメールをもらう。私本人に対しての抗議文ではないのだが、案件に携わっているだけに感情の波は大きく立つ。安定した精神状態での突然の横槍に驚いてしまった。売り言葉に買い言葉で返そうかと思ったが、返信文を作成していくことで、心が一度落ち着く。なぜここまで心を乱してしまうのか、過去と比べれば成長しているはずなのだが、それでも反応してしまう自分が悲しい。それに、心が乱れる理由を明確に説明できない。説明できる人は、反応しないのだろうか、心乱れないのだろうか。肉体的な暴力で反応してしまう人を知っている。そいつは、直ぐに出力することで後をひかないのだろうか。真似ができない自分は、もやもやしたものが心に残る。攻撃をしてくる奴に、反応を返してやるのも親切すぎると思う。

心にできた、もやもやしたものをどうしようか、考えるために高級な蒸留酒を呑む。

 なぜにストイックになれないのか。いつも悩んで自嘲している。他人の成功を見たときに、そう思うことが多かったと思う。最近は他人が成功している姿を見ていない。ということは、自分が作り上げたイメージの塊と勝手に比較しているのだ。いつだって自分を苦しめているのは自分である。自分はサディスティック寄りの人格だと思っていた。自分をいじめているのだから、満更でもない。自画自賛に偉いと思うのは、それでも努力をしないことだと思う。うわべは反発精神がないことを言い訳にしているのだが、本心は反発精神で努力しないのかもしれない。敗北者の表情を作って、堕落して笑っている。そんなときの演技は迫真に迫るものだと思う。自分が騙されるくらいだから。

 電車で行動できる範囲で、自費出版本に関するイベントがあるので観覧にいく。短い時間であったが楽しむことができた。問題は暑さである。昼間の開催で炎天下の中、最寄駅から徒歩で移動する。古い建物での開催なので、建物内すべてにエアコンが効いているわけではない、観覧中、汗が引くことがなかった。会場内は広く、情報があふれているので、すべてを見て周りたい好奇心が勝つ。立ち止まって汗を拭って、落ち着かせるうことをしない。汗をかくことは好きになれないのだから、立ち止まって落ち着けるべきだったと反省する。もっと作品を見てまわりたかったが、開催時間がきてしまい終了となる。フリーペーパの回収も怠ってしまった。次回の開催に期待しようとおもう。また、自分の作品を増やして出店側に廻りたいとおもう。そのあしで近所の酒屋でかくうち。常連客が皆、発砲酒を吞んでいることに驚く。消費する費用を抑えて、出来るだけ来店回数を増やしているのかもしれない。好きなだけ呑んで食べてを繰り返す自分が、節操のない下品な者のように思えてしまう。