夕食を作ることが面倒になり、買い置きのカップ麺を食べる。飛びぬけて美味しいものではないし、寂しい気持ちが沸いてくるから、スープを呑みほしたあとに必ず後悔する。アトリエの食糧庫には何かしら食べ物を買いためしていて、普段は生鮮食品を調理して食べているのだが、作りたくない気分の時はこの場面が繰り返される。

 仕事は肉体労働ではないし毎日同じ帰宅時間である。通勤も1駅なので満員電車のストレスを感じる日もあるが、改札を抜けたころには不快な気持ちは完全に忘れている。つまり、疲れ切って料理が出来ないわけではない。それでも帰宅後に料理をしたくない気持ちは何なのだろうか。ふと頭をよぎったのがカップ麺の中毒性ではないだろうかと考える。何が中毒の要因なのだろう、きっとスープを作る粉にあるのだろう。汁なしカップ麺でも粉をまぜる、つまり粉に秘密がある。そう考えかけて、袋にはいったインスタント麺をスープで煮込まずに、味付けのない乾麺だけをひたすら齧って食べていた日々があったことを思い出す。麺にも何かしら秘密があるようだ。あと精神的な仕事のストレスだろう。これは最大の調味料である。