今日、長男の猫が旅立った。どこの世界にいってしまったのか誰も解らないのだけれど、家を飛び出たのとは違う感覚である。いつか帰ってくるという希望が無いことが大きな違いだとおもう。獣医に余命宣告を受けてから、動けなくなるまであっという間であったと振り返る。年末年始の休暇もあり、ずっとそばにいてあげられたのは自己満足である。用事で家を離れるとき以外、ずっと手を握ったり体に触れたりしていたのも、猫にしてみれば煩わしい事だったのかもしれない。体が動けば反応で意思表示を返すことが出来たのかもしれないが、もう動かなかった。人間側の一方的な解釈で好き放題に触られる。本が2冊とアルコールの瓶が1本空くころに静かに呼吸が止まる。最後に何かメッセージを吐いてくれると期待していたのかもしれない、けれど吐血が酷く喋る余裕もなかったと思う。私が病気で長期間、家を空けたときは復帰後に長いメッセージを送ってくれたのを思い出す。息が止まった猫にメッセージは送ったのだが、これも一人よがりで猫には届いていない。

 玄関に在庫処分品で買ったパンジーの品種改良が一輪だけ咲いている。花が好きだったとは思えないが、新しいものはどんなものでも興味があった。この花は見せていないので興味はもってもらえるかもしれない。明日、花を添えてやろうと思う。

瞼を人間の手で閉じてしまったので観れないと思ったが、開いていても観れていないことを思い出す。火葬場は明日から営業開始である。全てが繋がっていると勝手に因果関係を結びつけてしまうことに、自分の幼稚さを感じる。今の心境を表現すると、心に大きな穴が開いているようだ。これが閉じ始めるとペットロスという感情が始まるのだろう。今は動き始めなければと思う。