今月に入り、長男の猫が余命宣告を受ける。この猫は大変狂暴で、飼い主である私にも殺意をもって襲い掛かってきた、何時だって正直で真剣である。思い返せば血をみる争いがあり、深夜の病院にも血まみれで行った事がある、もちろん人間側が。今はやせ細り、体重は絶世期の半分になり、一日中眠っている。好物は肉で、どんなに距離が離れていても肉の匂いを察知してあやかろうとやってくる。今は肉を食器に入れてサーブしても眠っている。眠ることが食欲よりも勝っている。そしてなぜか悲しく思う、理由は言葉にできない。こんな時の表現力の無さにも自分の無力感を感じてしまう。悲しみや悲壮感を文章化できれば、少しは楽なのかもしれないと思ってしまう。
一人酒場に繰り出す。知らない人達と話すことがあれば楽しくなってしまう。
何時も他人と話せるわけではない。黙って一人、他人の会話を聞いているだけの時もあるし、その割合は多いような気がする。誰かと話せるから出入りしているわけではない。誰にでも喋りかけてもらいたいわけでもない。だけではないというだけで、他人との会話は楽しいし、一人呑むだけより充実しているように感じている。けれど、他人に喋りかけてもらうほど、人間に魅力が溢れているわけでもないし、自分が喋りかけるほど魅力あふれる他人が溢れているわけではない。この考え方が問題なのかもしれない。そして黙って杯を重ねていることに苦みを感じる。別次元なのに、自宅で一人呑むことと比較してメリットがないと感じてしまうこともある。だって、自宅の酒棚には自分が好む大概のアルコールを揃えているのだから。それでも一人呑みに行く。何を求めているのか自分でも文章化できないけれど、アルコールを求めているのは確かで、空腹であれば料理を求めているのだ。何かを期待して行動すれば、得られなかった時の反動が苦しいことを経験している。そこから学んで、もっと楽に呑みにいけるマインドをつくる余地はあるのではないかと思う。