腰を痛めてしまったから、動くのが億劫である。仕事も焦っていないので休んでも良かったのだが、連休明けもあり会社へ出勤する。コルセットをはめているので若干は楽なのだが、腰を曲げると激痛が走る。帰宅時にはつまずいてしまった。弱っている者にはかならずといっていいほど追い打ちがやってくる。体が不自由なときは自宅で療養するのが一番だと感じる。

 本来であれば今日は呑みに出かける予定だったのだが、痛みに負けて真っすぐ帰宅する。それだけが心残りであるが、呑みにでていればもっと追い打ちをかけられるような予感もするので、これが正解の選択のような気がする。正解不正解を決めるのは自分なのだが、行動をおこさなければ何も起きない確率は高いだろう。行動をおこせば何かが変化する。その変化を求めて私は行動しているのだと考えてた場合、今回の選択は不正解である。痛みに負けたことになるが、勝とうなんて思ってもいないからこの選択は不正解でもいいと思う。

 腰が痛いのでベッドで横になればいいのだが、せっかく時間ができたと考えてPCを触る。デスクの上には前日の食べ残したチーズが残っており、続きを食べようかとおもったのだが、日中の温度と湿度をおもい踏みとどまる。見た目にカビなどは発生していないので、匂いをかいでみたのだが、ナチュラルチーズは判断が難しい、購入した状態から鼻につくにおいだから。最近は身体にダメージを受けることが続いているので、安全をとって食べるのは辞める。この場合は正解不正解どちらなのだろうか、チーズの破片を食べて食中毒にあたったら不正解、食べておいしいと正解なのだが、正解の報酬が小さいのに不正解がリスキーすぎるから大多数は同じ判断になるのだろう。考え方は偏っておらず、反論する余地もないような事例なのだが、心の中でこの損得勘定の概念を壊したいと思っている。他人に迷惑をかけない範囲で直観で生きたいと思っている。他人に迷惑をかけないということは非常に難しい。

 迷惑をかけながら直観で生きている人を見ていると、批難をしながらも羨ましいと思う嫉妬心なのだ。直観で進めば他人への迷惑に絶対当たってしまう。だから第一に損得勘定の解放が必要だと思う。

チーズに関しては、買いに行くのが億劫なだけで買うだけの財力は持っている。

ということは、損得ではなくて億劫な気持ちの解放が必要なのだときずく。今週の買い出しでまとめて購入しようと思う。