自分が目指している人物像はいまだに抽象的である。そのくせ振り返って反省ばかり自嘲している。正直この反省が辛い。

家の外でアルコールを呑むと量と比例して自分のリミッターが外れていく。古いアニメでヒロインが男性キャラにむかって”おしゃべりな男はみっともないわ”と叱咤するシーンを今でも覚えている。ヒロインに認められたいわけではないが今でも記憶に残っていて、街でアルコールを呑んだ次の日にこのセリフを当て嵌められる。

寡黙な人物になりたいわけではない。色々な人と楽しく会話したいと思っている。他人と交流する以上この反省はついてまわるだろう。だからアルコールを呑んでいないときから、自分の表現は気にしている。すぐに忘れて気を抜いてしまうけれど。

 家の外で見かける鳥と猫にラブコールを出すようにしている。いつか彼らと一緒に、アルコールを呑み歩くことができればどんなに人生が楽なのかと思っている。人間世界の通貨がないのであれば、私が皆の分払ってあげてもいい。

鳥は焼き鳥屋でどんな思いで食べるのだろうか。姿形が違っているから気づかないだろう。猫は頑張って手を使うことができるだろうが、鳥は手がない。

猫も構造上、箸をつかうことはできないだろう。彼らのために専用の義手を作ってもいい。他人がみたら動物虐待だと騒がれるのだろう。

 我が家の生活に余裕のある猫達とも、まだ一緒に飲んでいない。アルコールの味を知らないせいか、まったく興味を示さない。彼らのためにも上質なお酒を仕入れてもいい。これも他人がみたら動物虐待だと騒ぐのだろう。

何者も嫌がる姿は観たくない、人間含めて強制することはないだろう。ただ服を着るまでは少数なりにも普及している。そのうち手を使うようになって、一緒の食卓で晩酌を楽しめる時代も来るのではないかと思う。

 

 一人で胃袋に何かを詰めたいときは、ラーメン屋にいくことが多い。

先日いった先では、大盛、特盛無料と張り紙が貼られていて、迷った結果大盛を注文する。私の胃袋は決して大きいほうではなく、並盛または小盛で十分満腹感を得られる体なのだが、脳が得だと判断してしまうと欲張ってしまう。結果残すことは無いのだが、無理して食べることになって辛いおもいをする。食に関しては、何時も何度でも繰り返されて、学習することはない。頭が悪い人の考え方だと何時も思っている。

賢い選択が出来る人になりたいと思うのだが、賢い選択とは何だろうか。