毎月レコードショップからセールのお知らせが届く。
セール・割引・破格・在庫一斉の言葉に非常に弱い。レコードは生活するために必須ではないのだが、自宅で音楽を再生するのはほぼレコード、外出先ではMDを利用している。音源はレコードから録音されたものである。
こだわってそうしているのではなくて、昔に購入したハードがそれだったからである。ターンテーブルは貰い物でオーナが3人目にあたる。先代達はこの世にもういないが、ターンテーブルが壊れる気配はない。
MDウォークマンは少し動きが怪しくなってきて、バッテリーが少なくなると音飛びが発生する。歩く振動で電源が落ちるので机に置いて聴かなければならない。ウォークマンとは呼べないが、他人に説明するためにはウォークマンと呼んでいる。
メールマガジンでセールのお知らせが届くたびにレコードが増え続けているので、レコード箱は増え続けている。リビングルームがレコードショップのようになればいいなと妄想している。
コレクションが増えるたびに、自分が無くなった時の遺品整理が頭をよぎる。まだまだ終末を考える歳ではないのだが、未来はわからないので何歳だろうが死を考えることがある。集めたものは身近な他人にとっては価値のないもので、選択肢は粗大ごみか廃品回収。それが嫌ならば生きている内に整理しておくことになるのだが、それではコレクションしている理由が無くなってしまう。課題は解決できずにどうしたらよいか死ぬまで悩み続けるだろう。生きているあいだにコレクションを整理をしている知人を何人か観てきたが、少し悲しかった。
レコードショップで古い作品が大量に入荷したときも、逢うことのないコレクターにドラマを感じてしまう。
いつかミニマリストになる日は来るのかもしれないが、それまで自分の好きなものを収集し続けようと思う。
将来興味を持ってくれる人口が増えることで、私のコレクションに値打ちがうまれる。人気がありすぎると再生産されてしまい、それ以上の価値はなくなってしまうかもしれない。オリジナルというラベルで価値はより高騰するかもしれない。収集している私はそんなことを目的としていないので欲しいものだけを買い続ける。
自分のコレクションが、プレミアムな価格になっていないか確認してしまう時がある。優越感を得るためで売却するためではない。
けれど、自分より壮大なコレクションしている他人に渡るのであれば、手放してもいいと思う気持ちもある。レコードに感情はないのだけれど、部屋の片隅にある小さな箱よりも、大きな本棚のようなレコードコレクションに加わるほうが幸せな気がしてしまう。わが子のように思ってしまうのはコレクターの性なのだろう。