私はいきなりの攻撃にすごく弱い。
仕事にて、電話に出るなりすごい剣幕で自分の意見と感情を押し付けてくる人がいるのだが、久しぶりに洗礼を受けたのでたじろいてしまった。
正論を武器に一方的に自分のフラストレーションを投げてくる先制攻撃の連打にまいってしまう。
怒りに対して怒りでぶつかることは、ネガティブな結果しか生まないことをすでに知っているので選択肢にはない。
こちらも冷静になれば腹がたつようなものだが、その間をつかずに連打でくる。
攻撃のテクニックなのかもしれない。後先を考えない人であれば手が反撃してしまうだろう。この場合電話なので手は届かず相手はきっと計算しているのだろうと思う。
攻撃が来ると分かっていていれば、それほどダメージは受けないのだろうが、いきなりの攻撃には参ってしまう自分が悲しい。
自分を振り返ってみて、昔は気をはりつめて噛み返す雰囲気を作っていた。
チンピラのように周囲を威嚇して、自分が攻撃されないように防衛していた。または攻撃する側の立場だった事もある。
そんなキャラクターは自分を無理を演じているので、本質で凶暴な人達と同じにはなれなかったし、その才能もないことにきづいた。
自分はそんなキャラクターではないのでもう演じることもしない。できる限り。今回の事例においても、悪態をつくことが出来たかもしれないが、私はそんなキャラクターではないので悪態はつかない。そして自分を振り返って同じようなことを他人にしていないか見直すことを選ぶ。
そんなことをやっても無駄なことだし、損しか生まれないと親切心でアドバイスする声が想像で聞こえてきて、決断が崩れそうになる。
自分が考えた行動は自己満足だけなのかもしれないが、そんなことを言っていれば何も成長できないのではないかと思う。自分で考えて出した行動は出来るだけ実行していこうと考えている。他人と比べてどうこうという概念を早く捨てるべきなのだろう。そのために常に自分を見直す努力をしているのだから。
今日感じたストレスの消化方法を考えねばならない。
愚痴を言う手法が使えるような誰かは周りには居ない。居たとしても周りの人達には吐き出したくないと思う。
アルコールは隣にいて肩を組んでくれるので、とりあえず呑む。
やけになって暴飲暴食に走れるほど勢いはない。複雑な感情を分解すると、それほど腹は立っていなくて自分が悲しいだけである。自己肯定感の低さが今回の事件を産んでいるのだと思う。
動物は上下を観て行動するが、人間は思考する能力がある。
思考力が高い人でも上下を観て行動している人もいる。なぜだろう?
私の考えだす行動より素晴らしいものは沢山あるのだろうが、今は知らないので自分で判断する。