年末年始に数年ぶりに知り合い似合うことが多かった。
お互いに喋りたい事がとぎれたときに会話が止まってしまう。
その間に気まずく思い無理に口を開く癖がある。そんな時は高い確率でネガティブな思想を口走っている。
今年はその癖を直そうと思う。会話が途切れて気まずく思っても口を開かない努力をしよう。それが出来るようになったらポジティブな思想を口バシル。
昔と比べて他人の意見に賛同できるようになったと感じている。もっと伸ばしていきたい思考である。過去を振り返ると自分の価値観を押し出して反論していてばかり、煙たい存在だったと思う。
休日一日中映画を観ながらワインを呑む。日が暮れたころに映画館にも出向こうかと考えていたのだが、年始の人だかりを勝手に想像して億劫になってしまい引き続き自宅に籠る。アルコールの酔いが廻ってきて動くことが面倒になってきたことが大きいのだが、今年はこの出不精を修正して行きたいと思っている。
エンターテイメントと文学的な境目はボヤっとしているが、映画は文学的な作品を好んで観ていることが多い。食わず嫌いだった日本の作品で好みの作品に出逢うと心が躍る。見終わった後に監督や制作スタッフの関連作品を調べる。インターネットにありがたみを感じる。
直近で見た作品は芸術大学の卒業発表作品だったようで、世論に絶賛されたようだ。その後の監督のディスコグラフィーを検索しても沢山の作品がでてくる。俳優陣もメディアによく登場する人たちばかりになり、制作に費用をかけれる大物になっているのだろう。やはり秀でた人は違うと感じる。
優秀な作品の制作陣が学生だったと知ったとき、その業界にいるわけではないのだが自分の価値の低さを思い知る。
外国の優秀な映像作品を観た時はそうは感じないが、同じ国民で逢うことのない他人を意識して比較してしまうのだろう。
ボブデュランのノーベル文学賞のスピーチを思い出す。自足している人は違う、自分もそうなりたいと改めて思う。
制作者がいれば消費者は必要である。私は大多数の消費者の中にいて気持ちを燻ぶらせている。それと引き換えに今の生活があるのかもしれない。何者かになりたい自分は楽な道をあるいていて不満だけを口走っている。
行きつけの酒屋が在庫を整理するためにクラフトビールを破格で販売していた。
店員に買い占めていいのか確認をして店頭在庫を全て購入した。嬉しかったので普段買うスコッチを普段より高価なものにする。小さなうれしい出来事、心躍る映画と出会ったときの感覚とは違うことは解るが違いを文章化出来ない。
ビールも映画も形には残らない。消費して消えてしまうが記憶として自分の中に残ってくれる。自分がミニマリストに近づけた感覚である。