先日観た古い映画が良かったので心躍り、その感動を周囲に共有したいと思った。
どのようにその映画がよかったのか、プレゼン内容を想像したときに、
何が面白いのか、何が素晴らしいのかを明確に説明できないことに気づく。
その映画が起承転結の形をとっているのであれば説明はしやすいのだろうが、ただコーヒーとタバコを吸って、他愛もない会話をしているだけの映像である。それがどのように面白いのか、漫才やコントのように笑いをとろうとしている会話ではなく、他愛もない会話なのである。外国の映画なので笑いのポイントは違うだろう。これが漫才という定義になる可能性もあるが、大衆的な日本人が観ていて決して笑いをとれる話の内容ではないし、私は笑えなかった。
けれど、私はこの映画はよかったと感じている。
映像としてのセンスを感じる要素はあるとしても、それだけではないと感じている。
現代アートの作品のように、大衆と共感しにくい作品ではないことは確かだし、私の感性が大衆から秀でているわけでもない。
現代アートの個展は進んで回覧しているほうだが、解説だよりであるし良さは感じれても価値を感じているわけではない。実用的などの概念を外したとしても古典アート含めて、市場価格に対して価値は感じたことはない。
ギャラリーなどで販売されている価格に納得はできない。
私はまだアート作品をみて、美しさで魅了されたことはないことに気づく。
例えば、自動車の造形には興味があって、一般会社員が購入できないような高価なものでも、その美しさにその価値があると感じることはできる。
映画という映像作品として、このコーヒーとタバコを吸うだけの作品に芸術性を感じたと言えるが、どうだから素晴らしいと深堀ができない。
これは、己の未熟さを大きく感じる事例だと思う。
布教活動をしたいわけではないが、やはり言葉を上手に使える人は、煮え切らない私の心情を明確に説明できるのだろう。そして私はそうなりたいと思っていて、どのように努力すればいいのか解らない。
タバコを辞めて数年たっているので依存性もないのだが、白黒映像で魅せる映画の世界は、タバコもコーヒも美味しそうだった。
喫煙生活に舞い戻った友人に紹介したい映画であった。ただ面白さをどう説明したらいいのか、他人に紹介することは難しいことである。