11月になって秋を通り越して、冬の風が吹いてきた。
車を運転していて、週末の晴れた日の昼過ぎ15:00くらいの日差しが一番好きなのではないかと考えた。
以前、赤道に近い国に住んでいたときは、早朝が好きだった。
旅行で行ってもそれは変わらず、朝の空気に楽園を感じられる。
それは空気が澄んでいるとかの問題ではない。きっとイメージなんだと思う。
11月の正午は、まどろみを感じるがその刹那をかみしめることができるくらい、時間の経過はコマ送りのように感じる。感じるだけで、特別自分に影響を与えてくれることや、閃きを与えてくれるような特別なものではない。ただ好きな気持ちと、どこにいてもそれを感じることができる不思議な時間帯である。
以前、ピアニストと二人で正午のまどろんだ時間をセッションに充てていた時があった。二人は息があわずに音楽としてはいまいちだったのだろうが、その時間は嫌いではなかった。
週末は好きなことをして過ごす。映画をみることは好きなのだけれど、見終わった後、夕闇に包まれた時刻を確認したとき高揚感は半減する。
何事においても、全てに満足いくことは少ない。
他県をまたいだ小旅行に行こうと計画する。
計画といっても、目的地と宿泊先の確保だけである。
そんな単純な計画ができない自分がいて、なんとか改心させたいと何時も思っている。別に行きたいところはなく、今この場所から離れたいだけの気持ちに動かされているので、なかなかに決まらない。そんな気持ちは他人も同じなのではないかと考えている。
悩んだあげく、めくらで決めた目的地と宿に何の気持ちも乗らない。
写真家が出版した本を読んで、撮るものに迷ったら空を撮るのがいいというアドバイスを真にうけて、毎朝写真を撮っている。
デジカメで撮る写真は重みがなく、日々データを蓄積しているだけと感じているが、振り返ったとき、長期で撮りためた空の写真は価値を感じる瞬間があった。
もしも、芸術家として人前にでることがあったとき、この撮りだめた写真をインデックスで公開すれば、ヒトマス埋める目途が立ったことになると考えた。
人気のない図書館に午前中に予約本をとりに行く。
昼のまどろんだ時間も好きだが、やはり午前中が一番好きだ。
空気が澱んでいない気がする。
人が出入りしだすと、空気が澱んでくるのは仕方がないことだと思う。人が嫌いなのではなく、空気がネガティブな気持ちを発生させているのだと思う。