混沌は何時も支配的だが、全てではない。

小さい希望が残されていて、前向きになるように背中を押してくれる。

理想となるための大きな努力は、まずは小さな努力ができてからと心の中で反芻するが、一気に跳躍しなければ意味がないと否定する思考勢にかき消されてしまう。

 

 久しぶりに、内臓が焼けるような気分で目覚める。

前日に一日中呑み歩き、最終に牛丼を食べたのが原因だと思いあたる。

いつも上機嫌で呑んだ帰り道には、牛丼やラーメン屋が連なっていて、何度も誘惑される。そして自分で自分に言い訳をしながら毎回誘惑に負けている。

見返りとしてあるのが、今日の体調である。

日本酒を自分の許容量以上に呑んで、最後に牛丼とビールの幕閉めであった。

帰宅後も余裕があれば呑もうと思っていたが、気を失ったように眠ってしまった。

許容量以上に呑むことで人格がくずれていくのだが、呑む行為を見直すつもりはないので改善の余地はない。

しかし、今回の内臓が焼けるような症状には負ける。

今までは、どんなに泥酔しても今回の症状には至らなかった。

水を飲んで、その水が内蔵を流れていくことで更に痛みを誘発させる。

私は痛みには弱い側の体質なのだろう、今日は休肝日とする。

 

 良質な料理屋に出会ったときには心が躍る。

お酒を呑んで人格が大きくなっている勢いもあるのだが、あらためて料理店の情報を見返したとき価格設定にしり込みしてしまう。

ロケーションと食事、アルコールの種類、雰囲気、接客具合、すべてに丁寧さを感じるお店は、やはり高級店である。

人をつれて簡単に行けるお店ではない。別会計だったとしても、誘った人に気を遣う。

けれどまた行きたくなるし、友人達にも紹介をしたい。

一人客がいるのも、うなずける理由だと思う。

 

 矛盾について考える。

自分は不真面目なようで、真面目。中途半端である。責任感があるようで無い。かといってすべてを投げ出す勇気はなく、仕事を怠けていないし、責任も感じている。

会社人になって長いのだが、まだこんな調子なので人間としての成長が遅いほうだと思う。

けれど、視野に入ってくる他人と比較したとき、自分基準で他人より成長優位であると感じてしまう。

考え方が、成長のない自分を作っているのだと思う。

最近は自分も愛せなくなってきていて、自意識過剰な人が羨ましい、自分もそうありたいと思う。

けれど他人からみて滑稽な自意識過剰にはなりたくない。

自分の考え方は常に蛇行している。気づいたことは、できる限り他人との比較を避けること。他人を評価しないことだとだ。

自分が理想と考える形に近づく努力、それを続けてゆきたい。