休日も朝からタスクをこなして頑張ってみたものの、途中でアルコールが呑みたくなって、呑んでしまえば、寝て、映画観て、本読んで、食べる物が切れれば料理、の繰り返し。平日とやっていることは何も変わらない。割合の変動だけ。
休日に何をしていたら満足するのか自分でも判らない。
今はマイカーもないし、この暑さで出かける気力もない。
友人や呑み屋にたむろしている酔っ払いと一緒に過ごしたりすると、充実しているような気分になるのだが、振り返ってみれば特に充実感があるわけではない、一人ですごしているほうがインプットが多い分、充実しているのではないかとも思える。
以前から観ようと思っていた映画をいくらか消化する。映画の内容も良質だった。
映画の情報がインプットされているので、TVゲームの主人公が無限のモンスターを倒して、経験値を積んでレベルを上げているより、充実している。私の価値観だが。
休日の過ごし方で、不満要素を書き出す。
楽器の練習が足りない。バンドのリハに対して、出来ていないことを出来るようにしなければならない。
週末にピブリオバトルがあるのに、台本を覚えないといけない。できていないことが多い気がしていても、大きな項目だと2件だけだ。
映画の中で、弱者が強者に虐げられるシーンがある。それがマフィアと娼婦だと現実ばなれして、それほど感情が揺れるわけではない。
けれど、ぱっとしない学生が、学園の中でいじめられる、馬鹿にされるシーンは、鼻息が荒くなってしまう。弱者が虐げられるのは見ていて腹立たしい。悪役の俳優の顔が憎らしく見えてしまう。
中途半端な正義感がそのような感情を発生させているのだろう。
自分が加害者であり被害者である、どちらでもある中途半端である現実と、
問題を解決できない憤りからそう思う。
今日は昼からハンモックで眠ってしまった。汗をずっとかくせいなのか、酔いが廻るのがすごく早い。ブラックアウトではなく気持ちよく眠る。
目覚めてから映画鑑賞。
鑑賞した映画は、1930年代のロサンゼルスを舞台にした映画だった。
私はカリフォルニアには二度行ったことがある。
空気が日本と違っていて、夕焼け空など、空が印象深かったと記憶している。
1930年代の空色は、私の記憶の空色より澄んでいたのだろうが、映画の製作は1970年代なので、それなりに空気は淀んでいるのだろう。
映画のシーンで見る空色は自分の記憶を連想させる。
30年代のアメ車も美しいデザインだ。
古い映画は制作当時の空気を記録しているので、非常に興味深い。
屋内ロケだったとしても、当時の空気を記録していると思う。