昨日も外食で呑み会。そして本日自嘲する。発言の一つ一つ、私の動きすべてが反省の対象である。

今日は在宅で仕事をする。いつも連休前に思っている。やろうと思っていたこと、たまっていた映画。たまっていた本、たまった書斎の資料の整理、レコードの買い付け、自動車も買いにいかねばならない、手の込んだ料理もしたい、見渡せば暇な時間なんかない。やりたいことが多くて時間は足りない。

仕事も思うように進捗していない。試験材料ばかり集めて、そいつをまとめる仕事をしていない。やろうとしていない。だから最後はうまくいかないのだろう。

 連休に入れば朝から自由時間があるから、思う存分溜まったものを掃けると、毎回連休が巡ってくるたびに掃き出せると期待してしまうけれど、普段の週末ですらやらないのに、いくら連休で体が休まってもやろうとはしないのだ。

今までの自分の行動を振り返れば、たやすく予想できること。そのために毎日自分のために日報をノートに書いている。

いまだに同道巡りで学習されていない。

 明日も仕事。だから今日はこのまま映画とアルコールで終わろうなんて思ってしまう。もっとやることや、やったほうがいいことなんて沢山あって、今やるべきなのに、もう一歩の努力ができない人間だ。それは自分の足元に火がついても同じことで、その火を払ったりはするんだけど、真剣な消火活動はしない。その後、時が過ぎたときに焼けただれた足をみて、あのときにこうしておけばと反省する。

持って生まれた性分なのだろう。小さく、細かく、丁寧に、考えてできる人達がうらやましいし、そうなりたいとも思う。

 昔から、満点なんて欲しくなかったし、一番になりたいとも思わなかった。親が悲しむから、口先では言ったこともあるけれど、一番を目指すのはナンセンスだと、今も思っている。

 

 文章を考えて作っていると、止まってしまって前にすすまない。

だから、脳にうかんだ言葉を書き出す。実際に書き出すよりタイピングのほうが早く、自分の思考スピードについてきてくれると思っている。

そのあとに文章を整えていく。そして途中で萎える。中途半端な文章となって私の過去の思考ストックとなっていく。思考は一瞬でなくなってしまうから、頑張って文章に変えて、ストックしていく。自分のためだけに。

 

 先日プリンターのインクが切れたので、読書会用の台本をプリントアウトできなくて、急いでいたから白紙に鉛筆で書きだしたけど、非常に疲れたのと、時間がかかるのと書く能力は小学生のころから更に退化している。

自分なりに美しいものが好きだ。だから自分の字は嫌い。気分は下がってしまう。

けれど、今更綺麗な字を書ける訓練をする時間はもったいないと思ってしまう。