日本の歴史08 古代天皇制を考える。 | 寅月

寅月

(^O^)/


第2章 君臣秩序と儀礼大隅清陽 連合体の盟主である倭王
 古事記や日本書紀を繙くと
五世紀の王の多くがライバルとなる王族たちを殺して王位についている。
 ー 王者たるものの資格は こうした実力行使によってこそ証明ー
          大和政権全体の脆弱さの現われ
当時の近畿地方一帯には大和の王家の聖なる血を引くと自他ともに認める人物が数多く存在   34頁

■6世紀
 同じ妃を母とする兄弟の長子 大兄
王位継承の優先権を認める大兄制の創始
妃のうち一人を大后とし天皇の嫡妻と定める制度

マエツキミ(前つ君)
大君の前にお仕えするキミ
マエツキミによる合議の項目 「新大王の人選と推挙

群臣が大王に行う拝礼は地面に跪いて両手をつき(跪伏) 
四度拝んだ後八度手を拍つ  四拝拍手・八開手 シハイハクシュ・ヤヒラデ
         平安時代以後には 大嘗祭などの神事や神や天皇陵に対する拝礼のみに   45頁

■後の律令制下でも賜姓 開成の権限は天皇のみに
大王(天皇)と王族(皇族)が姓を持たないのは 与える側であるから  47

■ 天武天皇の時代 伊勢神宮 祭神・天照大神が 皇祖神として明確に位置付けられる。
自らの祖神を他の天津神一般から分離し その超越化を図ったものと

■皇親は一定の皇位継承権を保有していたが 
大部分は保身の為自ら賜姓を申し出てウジ名を持つ臣下身分  67

■嵯峨天皇の時代 唐風化 
        818年改称
             海犬養門  猪使門  多治比門
            安嘉門  偉鑒門  達智門
伊福部門  殷富門               陽明門 
佐伯門  藻壁門    西              東  建部門 待賢門  
玉手門 談天門                     的門 郁芳門
 
           若犬養門  大伴門  壬生門
           皇鑒門   朱雀門   美福門

 六位以下が 五位以上に行う跪伏礼を、立礼
百官が天皇に 四拝拍手(神への拝礼と共通する)を 中国的な再拝・舞踏
73頁