つまり「倭国」とは中国にとっては正式な国名ではなく、遠くて未発達な国との、小馬鹿にしたとりあえずの名称なのである。
■中国の朝廷では文章を重んじ、書法が尊ばれた。
いかなる文章と書法を示すかが、国家の格と文化水準の判断材料ともなっていたのではないのか。
日本の序列を上げるためには、この文章と書法の能力を欠いては成りたちえないと、
百年近くを要さねばならず
「倭」を脱却し「日本」の国名を獲得するのである。 P 214
■奈良朝が半ばに至るまでに遣唐使がもたらした王義之書跡は、すべてが搨模本だったとしても、数量においては唐朝に比して何ら遜色のないものであった。
もっとも 王義之とは何ぞやの真の理解において
平安時代の空海(774-835)が最初ではなかったかと思われ P 215
🔹◇🔹◇ 字の練習しよう(^皿^)
ブックオフで買った書道芸術。
パラパラ めくろう。
部屋に一冊置いとこう。