ラサの南西にあるサキャの地でサキャ派を開いたコンチョク・ゲルポは
元来ニンマ派の系統に属する者であったが、インドネパールに幾たびもでかけ、インド後期密教の代表的経典である『呼金剛(ヘーヴァジュラ)タントラ』を学び、それを訳出した。
このタントラはヨーガ行法の中に組み入れられた性行為を悟りを得る手段とみなしている。
密教の思想 立川武蔵
道果説
宗教実践の過程(道)が既に悟りという結果(果)を自己自身の中に有してるという説
ランダルマ王による「破仏」をむしろバネとして、新しく密教的な性質を強めて興隆したチベット仏教も、11世紀を遠ざかるにしたがって、密教的要素は「活力」ではなく「堕落」である側面を強めていった。
ネパール仏教のパンテオンの分類
(2)女尊
一方仏教においてはターラーTara(多羅)およびプラジュパーニャーパーラミターPrajnaparamita(般若波羅蜜多)の二女尊がおそらくクシャーン朝には礼拝されたと考えられる。
仏教においても各々の仏が妃を有するようになり、マンダラにおいて仏の脇に妃が配されるようになった。
中略
元来はシヴァ神の侍女であったダーキニーDakini(荼枳尼)や、ヴェーダ以来の女尊サラスヴァティーSarasvati(弁財天)などが土着的要素を含んだ仏教の女神として活躍するようになった。
四妃
阿閦の妃 ローチャナーLocana 宝生の妃マーマキー Mamaki
阿弥陀の妃パーンダラー Pandara 不空成就の妃ターラーTara
Yogini
ヨーギニーとは文字通りには「女性ヨーガ行者」(瑜伽母)を意味するが
へールカ尊と同様に血で充たされた頭蓋骨やどくろ棒などを持ち、裸体のいわゆる恐ろしい女神である。
多くの女神がそうであるように、これらの女尊もたんに恵みを垂れるのみの存在ではなく 人々を畏怖させる存在である。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
般若波羅蜜多が女尊の名前だったとは吃驚。