「日本百名城制覇の旅:城という名の物語」 ⑨月山富田城 島根県安来市 その3 

登城日 2021年7月1日

 

こんにちは、城好きの皆様!カヤック愛好者の皆さん!

 

日本百名城制覇の旅、第9回目その3をお届けします

前回のブログに続き、今回は月山富田城について詳しくご紹介します。

 

 



山中御殿の階段からのぼります

 

前日の萩城登山が体に堪えています 

 

運動不足ですね(笑)
 

しかし整備がきちんとしてあります
階段状になっており、地面も舗装がされています
萩城とは大違いです
 

自治体の力の入れ方の差でしょうか?
途中、途中で休憩しながらのぼります

 

三の丸



七曲りを登ると最初にある曲輪です。幅約30メートル、長さ約100メートル。段築石垣が築かれており吉川時代のものと思われます

また資料館からも見える山上の石垣が三の丸の石垣です
二段の石垣が迎えてくれます
ここから城下町であった場所が一望できます



とてもよい景色です

 

 

二の丸に向かいます

 

二の丸

 

二の丸は水や食糧を蓄えていたとされ、備前焼のかめが発掘されています

 

二の丸から本丸を望みます

 

中世山城らしく三の丸、二の丸、本丸と曲輪ごとに
堀切があります



特に二の丸と本丸の間の堀切は見事です 深さはおよそ10メートルあります

 

 

本丸

いよいよ本丸です
本丸には山中鹿介幸盛を偲び記念碑が建立されており

 


奥には出雲国たたら風土記にも記載がある勝日高守神社があります。
神社があるので参拝しようとおもいましたが……
 

 

やたらとブンブン、蜂が飛んでいます
 

どうやら神社の軒先に蜂の巣らしきものが
ここは、近寄らず退散します

 

触らぬ神に祟りなしです(笑)


二の丸、本丸と芝生で綺麗に整備してあります
山陰地方に覇を唱えた尼子氏、その栄華がしのばれます
 

 

尼子氏といえば宇多源氏から枝分かれした一族です

簡単に…(笑)

 

平安時代

①宇多天皇第八皇子 敦実親王

↓ 四代後

④源成瀬 (近江国蒲生郡佐々木荘、近江源氏、佐々木源氏、平安時代)

↓ 7代後

⑦佐々木秀義(平安末期~鎌倉初期)※佐々木四兄弟の父、近江国蒲生郡佐々木荘

 

鎌倉時代

⑧佐々木定綱(佐々木四兄弟長男、近江・長門・石見・隠岐守護)

⑨佐々木広綱(定綱長男、承久の乱でさらし首に)

※西面の武士、家紋を四目結に、京極高辻の館を賜る

⑩佐々木信綱(広綱四男)※承久の乱では鎌倉幕府方

⑪ー1佐々木重綱(大原佐々木氏→大原氏始祖、信綱長男)

⑪ー2佐々木高信(高島佐々木氏→高島氏始祖、信綱次男)

⑪ー3佐々木泰綱(佐々木宗家、近江守護→佐々木六角氏始祖、信綱三男)

六角東洞院の館

⑪ー4佐々木氏信(江北佐々木氏→京極氏始祖、信綱四男)

※鎌倉幕府評定衆、京極高辻の館

↓5代後

 

室町時代

⑯京極高氏(京極道誉、佐々木道誉、京極氏5代)

ばさら大名、室町幕府成立の立役者、政所執事、

若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護

⑰京極高秀(佐々木高秀、高氏三男、京極氏6代)

※室町幕府評定衆、侍所所司、出雲国・飛騨国・隠岐国守護

⑱京極高久(近江国尼子郷→尼子氏始祖、高秀四男)

現在の滋賀県犬上郡甲良町尼子

⑲ー1尼子詮久(近江尼子氏、高久長男)

⑲ー2尼子持久(出雲尼子氏初代、高久次男)

※出雲国守護代、月山富田城主

⑳尼子清定(出雲尼子氏2代)※出雲国守護代、美保関代官職

㉑尼子経久(出雲尼子氏3代)

※独自の権力基盤を作りすぎ守護代を罷免、

近江国から京極騒乱で下向してきた政経により

出雲守護代に復権のち出雲守護となる、

出雲・石見・隠岐・伯耆・備後に勢力を拡大

㉒ー1尼子政久(経久長男)※磨石城攻防戦で討死

㉒ー2尼子国久(経久次男)※尼子新宮党頭領

㉓尼子晴久(出雲尼子氏4代目、政久次男)

※出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後守護大名、

尼子家の最盛期、幕府相伴衆・従五位下修理大夫

㉔尼子義久(出雲尼子氏5代目、晴久次男)※大名としての尼子氏最後の当主

 

ざざっと簡単に説明するつもりが……(笑)

 

 

 

六角、京極、浅井、大原、高島、朽木などと同じ
宇多源氏となります

 

こう見ると子供に領地や館を与える

 

苗字が変わる.....(笑)


歴史は面白いです
 

現在の日本人のほとんどが1000年もさかのぼれば

源・平・藤・橘のいずれかの血族に繋がるとの話も

誇張ではないかもしれません

 

源氏、平氏などは皇族から臣籍に降りた一族ですし

六角、京極、浅井、大原、高島、朽木などの苗字の方は

祖先は皇族で宇多源氏となります (笑)

 

ちなみに筆者のわたくし(`・ω・´)ゞ

 

 

 

どこにでもありふれた 明治時代にいただいた性です(笑)

 

 

 

しかし、どこに行っても旗指物など

 

山中鹿之助 オンパレードです(笑)
 

尼子氏再興の悲壮感が日本人にいいんでしょう


 

 

「我に七難八苦を与えたまえ」


 

 

 

これ戦国一のマゾヒストでしょう(笑)
 

山中鹿之助ファンの皆様……ごめんなさい
 

 

と勝手に妄想しながら登城を終えました

 

 

安来駅から米子駅まで戻ります
帰る前に日本海の海鮮を食べたく居酒屋に寄りました

 


 

 

米子から特急やくも号で岡山へ、新幹線で神戸へ帰宅します

 

次回のブログもお楽しみに!!

お付き合いいただきありがとうございました

 

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