日本百名城制覇の旅:城という名の物語   

⑥岡山城 岡山県岡山市 

登城日2008年12月16日

 

みなさん、こんにちは!今回のブログでは、日本百名城制覇の旅の一環として、岡山城の魅力に迫っていきたいと思います。私が岡山城を訪れたのは、2008年12月16日のことでした。



岡山城は、日本の城の中でも歴史と風格を兼ね備えた魅力的な存在です。南北朝時代から江戸時代までの長い歴史を持ち、宇喜多氏、小早川氏、池田氏などの武将によって整備・拡張されました。



岡山城といえば宇喜多秀家
秀家は豊臣秀吉の五大老の一人です
しかし父親の直家さんは戦国時代稀代の謀略家また梟雄……(笑)

みなさましばし宇喜多直家さんの生い立ちと筆者の妄想グセにお付き合いください
直家さんの生まれは1529年。
幼少期の生い立ちは戦国時代の例にもれず悲惨です

祖父・能家(よしいえ)は備前守護代・浦上氏に仕えていましたが
直家さんが3歳の時にとても仲の悪かった同僚・島村盛実に攻められ自害。
(暗殺されたとも。)

(この時代の備前の守護は赤松氏ですが他の国と同様に守護代の浦上氏と別所氏の権力争いの場に……)

これによって宇喜多家は没落してしまい、直家さんは父・興家と流浪の生活をする事になってしまいます
 

そして直家さん10歳の時、父・興家自害
(一説には家臣から暗愚呼ばわりされてストレスで自害したとも…)

しかしどういった経緯でそうなったか詳細は不明ですが、直家さんは成人すると再び備前守護代・浦上氏に仕えることとなりました。

ここから直家さん謀略の本領が発揮されます(笑)

まず最初に直家さんの餌食となったのが、直家さんの祖父・能家を死に追いやった島村盛実と、中山勝政(この方直家さんの妻の父親です)

 島村盛実は直家さんの仇というだけでなく、浦上家内で力を持っていたのに主君である宗景に対して謀反を企んでいる…なんて噂もあったのでした
(だれが噂を流したんだか........笑)

そして1559年のある日…

直家さん「中山勝政の居城・沼城で酒宴でも開くかぁ~」

中山勝政は何の疑いも持たずにお酒をしこたま飲み

直家さん「油断しまくっていたので暗殺は難なく成功」

直家さんは兵を招集して沼城を占拠すると、のろしを上げて勝政の死を浦上宗景に知らせました。浦上宗景は島村盛実に「中山勝政、謀反したから沼城攻めて」と言います

で、騙されているなんて知る由もない盛実は…沼城の城門を開けた瞬間

直家さん「配下ともどもやっちゃえ!」と襲撃に成功します

この功績により、島村と中山の所領が直家に与えられました。
(直家さん笑いが止まらなかったでしょう……)

次に直家さんの餌食となったのが備前龍ノ口城主穝所 職経
(この方、直家さんの妹の旦那なのです)

直家さん「職常は男色家で有名だな」(この時代では普通にある話です)
 

直家さん「イケメン小姓用意しといて!」
 

素敵な出会いを職常に提供しました。
案の定、職常はイケメン小姓をお持ち帰り(笑)
 

直家さん「職常は家臣を遠ざけイケメン小姓と酒盛りしてるから寝込んでいるところ

暗殺しますか」

(この龍ノ口城は山城で攻め落とすのが難しかったので暗殺したとも)

そして次の餌食は隣国美作に勢力を伸ばしつつある備中の大名・三村家親

直家さん「そういえば知り合いに鉄砲上手なやついたな」

顔見知りの阿波細川氏の浪人・遠藤兄弟(俊通・秀清)を起用して美作興善寺に滞在して重臣一同と評議中に鉄炮で暗殺

もう直家さん完全に迷いがありません(笑)
気持ちいいほどの謀略ぶりです


次に直家さんの標的になったのが備前金川城主・松田元賢です。
(この方直家さんの娘の旦那です)

直家さん「金川城の近くで鹿狩りしようか」
 

直家さん「鹿と間違えちゃった」と松田家の重臣、宇垣吉右衛門を射殺

さらに松田家家臣・伊賀久隆を調略して味方につけ、
元賢のいる金川城を攻めさせました。追い込まれた城主松田元賢は
籠城中、櫓にいる所を鉄砲で討取られました

ちなみに後年、伊賀久隆…直家さんに毒殺されます (この方直家さんの妹の旦那です)


親戚、総攻め状態
もう鬼畜っぷりがはんぱないです(笑)


次の餌食は備前石山城主・金光宗高
 

直家さん「毛利に通じてる?謀反起こすの??起こそうとしてるでしょ???」

直家さん「はい、切腹!」

こうして石山城を手に入れました(笑)

直家さん「石山城は後の岡山城、本拠地となるお城なのだよ。
交通の便も良いし、どうしても欲しかったんだよね~」


浦上氏を取り巻く環境が不安定の中、宗景の勢力拡大に貢献してきました。

やり方はどうあれ直家さんは間違いなく有能!
しかし、その有能さゆえに…
徐々に直家と宗景の関係が悪くなっていってしまいました
(まあ当然のことですねぇ…)

そしてついに1569年、直家さんは…

直家さん「そろそろ浦上から独立するかぁ、信長さんの天下かも」

直家さん「西播磨の赤松政秀とも結ぶか」


しかし1569年といえば三好三人衆が足利義昭がいる本圀寺を襲撃
織田信長は伊勢平定…
まだまだ畿内は収まりません

浦上宗景が直家さんの味方である播磨の赤松政秀の城を攻め落とすなど直家が困る展開が続いてしまい、さらに信長の播磨にいた援軍も引上げます

直家さん「ひとまず浦上に降伏するか」

浦上宗景「しゃーなし。許す」

(浦上家臣........え?!まじ?まじか??)

が、1574年
 

直家さん「やっぱり浦上から独立だあぁぁぁぁぁ!」

直家さん「毛利だな、毛利と組んで宗景の居城である天神山城を攻めるか」


宗景の配下を調略するなどして有利な状況を作り追い詰める
宗景は天神山城から逃亡。
見事、直家さんの下剋上は成功したのであります。

この後しばらくの間は大名復帰を試みる宗景&浦上氏の残党の反撃に手を焼くことになります。

が、直家さんはそれらを一掃して備前での地位を確立したのでした。
これにより備前、それに備中、美作の一部に勢力を誇る大名になりました

1577年…
毛利氏に従っていた直家さんは、

命令を受けて兵だけ出して播磨へ

攻め入りました
そして毛利は上月城を奪還します

直家さん「ワシは出陣してないけどね、織田と毛利、戦況がどう転ぶかまだわからんし様子見だわ」

勝って初めて直家さんは毛利の陣営(吉川元春・小早川隆景の前)に姿を現したといいます。

直家さん「ごめん体調悪くて出陣できなかった、
これから上方へ進軍するのであればワシが先陣をつとめますよ
もし帰るのであれば、ワシの領内でゆるりと休んでいって」


なんて事を言って吉川元春、小早川隆景を呆れさせたという…

直家さん「帰国するなら、ワシの領内で休んでもらって隙を見て暗殺!
その首を土産にして織田信長に寝返ろう」


ちなみに、直家さんには暗殺に関する逸話が沢山あるけど、直家さんが本当にやったかどうか信憑性に欠けると言われるものも多いので、結構真相は謎だったりします。

まぁでも、火がたたない所には煙はたたないとも言いますしね(笑)


もう一つ逸話を
直家さんの弟、宇喜多忠家さん

忠家さん「お兄ちゃん何考えてるかわからんし怖い」

お兄ちゃんに会う時は鎖帷子を着よう、お兄ちゃんとごはんを食べるときはお兄ちゃんの食べたのだけ食べようという逸話が........

まぁ、筆者がもし直家さんに会っても絶対に一緒にお茶はしません(笑)

ところで直家さんは無事に織田家の傘下に入ることになります。
それからは秀吉に従い、毛利勢を相手に美作や備前など各地を転戦しました。
そして1582年、直家さんは尻はすという病により死去。

なんだよ尻はすって…(腫瘍…癌の一種ですね)

このように直家さんは人生は稀代の謀略家
三大梟雄と呼ばれるにふさわしい人物です

しかしそれだけ家を守るのに必死だったのでしょう

 

戦国時代です…直家さんについてどのような考えるか、あとはみなさまのご想像にお任せします


筆者の妄想にお付き合いくださりありがとうございました。

それでは岡山城の説明にもどりましょう



岡山城の縄張りは梯郭式で、小高い土地に建てられ、岡山、石山、天神山の3つの丘に連なる地域に位置していました。その独特な地形が城の美しさを一層引き立てています。特に西側には三段の城郭が広がり、壮大な姿を見せています。





天守は岡山城の象徴であり、4重6階の複合式望楼型で建てられました。その黒漆塗の下見板が特徴的で、迫力ある姿勢で城を見守っています。天守からは岡山市街や周辺の風景を一望することができ、訪れる人々に感動を与えます。

 




しかし、明治時代以降、御殿・櫓・門の大部分が取り壊され、堀も一部を残して埋め立てられました。また、第二次世界大戦中には天守や石山門が焼失しました。しかし、現在までに一部の櫓や石垣、内堀が残っており、天守や門などもコンクリートで再建されました。これによって、岡山城の一部を実際に体験することができます。



岡山城跡は「烏城公園」として整備され、周辺には公共機関や美術館もあります。また、一部の門や櫓の木造復元計画も進行しています。これらの取り組みによって、岡山城の歴史と文化を後世に伝える努力がなされています。


訪れる人々は、岡山城の壮大な姿とその歴史に触れることで、日本の城郭の魅力を実感することができます。岡山城は、その風格と美しさから、日本百名城の中でも必見の観光スポットと言えるでしょう。


 

ぜひ、岡山城を訪れる際は十分な時間を確保してください。城内を散策するだけでなく、周辺の公園や美術館も楽しむことができます。


また、後楽園と呼ばれる庭園も岡山城の一部です。この庭園は池田家の庭園として造られ、風光明媚な景観が広がっています。池や橋、美しい庭園が組み合わさっており、散策しながらゆったりと過ごすことができます。





岡山城周辺には美術館も多くあり、国内外の名だたる作品を鑑賞することができます。特に岡山県立美術館は、現代美術を中心に幅広い展示を行っており、芸術愛好家にとっては必見のスポットとなっています。

 

岡山城の周辺にはレストランやカフェも充実しており、観光の合間に地元の美味しい食事を楽しむこともできます。岡山の名物料理や地元の食材を味わいながら、旅の思い出を一層深めてください。

(筆者のオススメ岡山のお土産は大手まんぢゅう一択です)

 

 



岡山城へのアクセスも便利で、岡山駅からはバスや路面電車でアクセスすることができるほか、徒歩でも行ける距離にあります。


岡山城は、その歴史と風格、美しい環境が融合した素晴らしい観光スポットです。日本の城郭愛好家や歴史好きならば必ず訪れたい場所であり、岡山を訪れる際にはぜひ足を運んでみてください。岡山城があなたにとって特別な思い出の一部となることでしょう。

 

次回もお楽しみに!