もう13回忌かとも思うが長かった。自分のことで悩んだり行動したり逆に何もしなかったり…無駄なようでとても必要で大切な時間。10代〜30歳までは今思えば自己犠牲になってたと思う。そうしなければ家庭は崩壊するしそもそも生活ができなかったから仕方ない。けど今回の法事で家族に会って改めてよくこんな人達と生活してたなと思った。基本的に話聞く側で否定しちゃダメで寄り添って言葉かけないといけないし、相手が思うようじゃないと機嫌悪くなって雰囲気ぶち壊されるし、法事の準備や片付けや家のことも手伝おうとせず寝てるし、叔母に全部やってもらってお礼も何にも言われないから見るにみかねて声かけるけど自分からは行動しないし。

あーマジで何様だよ!周り見て行動しろよ!甘ったれるな!生活犠牲にするほど疲れて文句しかでずにやりがいもない仕事なら辞めてしまえ!!と何度も爆発したかったが他人のことだと思って堪えた。正直他人ではないけど関わったら負けだと思うしかなくて。ただよくよく考えるといずれ叔母が亡くなったらこの弟や従兄弟と上手くやらないとなのかなと思うとゾッとする。その前に私も先に死ぬ事もあるかもしれないし考えるのはやめる。まぁそんな人と生活してたんだから心は荒んでただろうけど、弟みたく人の話聞かないとか諦めたり短絡的な考えとかじゃなくできる事をやろうとしたり感動したり物事を素直によくとらえる心もちゃんとあって、よく腐らずいれたなと自分に感心する。

とっくに行き遅れてるけど今更婚活して何にも結果が得られてはないが、婚活する過程で自分の気持ちや考えに向き合えていることが自分の成長になってるんだから結果を求めない。運良くいいなと思える人と出会えたらいいくらいの気持ちですすめる。


もう母の事は写真の中の人で思い出せないことも多い。メールとかは全部消えてないし、一時期は何も残ってないと辛かったが今はそれでも記憶に残るエピソードもちゃんとあるから辛くもない。叔母に美味しいご飯を作ってもらってピザはうちの母から教わったと言われて懐かしくも思えた。母は料理上手とは言えなかったかもしれないが教室通ったり、丁寧に作業して色々考えて作ってくれてた。

今の私は食べれたらなんでも良いってなってるけど、もっと食べる事を楽しんだりこだわることもあってもいいかもなと。料理も人に提供できる物も作れるようになりたいなと思った。倹約家の家族育ちでもあるから普段使いで自分のために良いものを買うということが、今のご時世より食材が高くてて躊躇しやすいけど美味しいと思う物も使うことは必要かもしれない。栄養補給やエサじゃなくて食事を楽しむ!