4:401時間半ぐらい寝た。

昔の研究所の夢を見た。正確に言えば入社する前の羽振りがよかった頃。

その町内で昔ひどい(架空の)殺人事件があった。若い女性が殺された。その犯人が最近ようやく捕まったらしい。それを機に私はその過去の事件を知って暗鬱たる気持ちになった。人はどれだけひどいことができるのかと。


610。またもう一度寝た。

もうほとんど思い出せない。古いボウリング場みたいな場所のロッカーが色々あってどれにするかと悩む。


9:1。今までで一番怖い夢を見た。

ゲームは本体から持ってないのだけど、私が何気なく雑談で言ったファミコン系の適当な発言がこちらに悪意を持つ同業の人に意図的に悪く広められて、四面楚歌になって、同僚たちの信用を失ったり、会社をクビになりそうになったり、怖い人たちがやってきてを詰めろだの、なんでこうなるのだろうと。


12:34。また目が覚めた。

今日がお休みでよかった。

夢が思い出せない。


差別発言に反対するために「差別発言鑑定団」を作って発言者に対して鑑定結果を返すのはいいかもしれない。

「あなたの差別発言はよくある受け売りの範囲を出ておらず、あなたの発言としては何の価値もありません。しかし何冊か薄い新書を読んで努力したことも認められます。よって評価は15点」。


罪を憎んで人を憎まずというけれど、これは民族問題や歴史問題においては特にそう言える。こういう問題の場合、罪は民族や国家にあるのであって、その憎しみを個人に向けるのはそもそも筋の違う話だ。これに言い分の真偽は関係がない。


私のファーストライフは日本人の理系の人生だった。

セカンドライフは朝鮮人の文系の人生を生きたい。

親子三代にわたる大河ドラマみたいな小説をもっとコンパクトにしたものを書きたい。私小説風に書くのもいいけれども、シナリオ風に書くのもいいかもしれない。


創作の中で悪役に反社会的な正論を言わせる手法。「仁義なき戦い」はみんな悪役。


広島のアルパーク閉店について:

アルパークは私が高校を卒業した翌年の90年に出来たので、高校の頃は行ったことがなかった。翌年大学生になって高校の友人たちと行ったら、同級生だった可愛い女の子がロッテリアかなんかで制服を着てバイトしてたんだよね。いい時代だったな。遠い目。


SNS上のマイノリティーへの陳腐な慰めやアドバイスについて:

ずっとやりとりを見てるけどキリがないね。善意は只だから。いくらでも擦れるお札みたいなもの。でも換金はできないんだ。

いくらかでも話し相手を変わってあげたいけど、私は何故か絡まれないんだよね。


同情や思いやりへの評価は時代によって変わるなと。70年代は暗いお涙頂戴ものが多かったけど行き過ぎた。80年代バブルで貧しい人がいなくなると「同情はかえって失礼、余計なお世話」の考えが増えた。その後経済は破綻したけど、バブルのノリはそのまま。終戦直後と高度経済成長期も同じだったのでは。


「仁義なき戦い 代理戦争」を観ていて:

劇中に昔のクリームソーダに使われたような業務用のグラスが出てくる。背が高くて分厚くて丸いくぼみがたくさんついてるグラス。劇中ではオレンジジュースが注がれてたけど。あのグラス懐かしい。母が働いてた義伯父の喫茶店がたたまれたあと、伯母のうちで普通のグラスとして使われてた。

涙が出る。


今のマンションを買った頃毎晩困ったことがあった。黒塗りのハイアーが無断駐車し、運転手が乗ったままずっとエアコンをつけ排気ガスが出しっぱなしになっているのだ。いい加減に頭に来て通報したらしばらくしていなくなったのだけど、またしばらくしたら戻ってくる。

何を考えてるんだろうかと思ったけど、そのうちようやくこの運転手は毎度別人だということに気がついた。要するに周囲にハイヤーが無数にいて特定のハイヤーを追い払っても別のハイヤーがやってくるだけなのだった。

昨今のヘイトや妙なアドバイスもこれと同じ構造なのだろう。


ときどき思うのだけど、SNSの「いいね」って実は「面白いね(私を笑わせてくれた)」か、それ以外は「相当にいいね」なんじゃないだろうか。