例え、天や神仏に見放されても、あなたにとって信じる「モノ」があるのならば、あなたのその心が信じるモノを信じることです。
人は生きていると
時に愚かにもなり
時に悲しくもなる。
そんな時に「あ~あ、神様に見放されたかな…」と想う時期もあります。ですが、ここで大切なことは~例え天や神仏に見放された…と想えても「己の信じる道、信じる人、信じる想いを自分が見放してはいけない」ということ。
今、天や神仏に見放されたように想えても、僕やあなたが己を見放さなければ~やがてその想いにたぐり寄せられて、新たなご縁が結ばれたり、または去ったご縁や天と神仏と再び繋がる…ということもあります。
僕等が大切にすべきは己の心。
この心が信じる道、
信じる想いをまっすぐに
見据えて生きること。
例え、僕やあなたが愚かでも
どうしようもないくらい未熟でも
その結果として天に見放されても
僕等は己が信じる道、想い。
この「信」を持って
生きてさえいれば良いのです。
信じた道の先。
その辿り着く先が天国でも地獄でも、非業の最後であったとしても…この心が~己の心が信じる道を進め!!というのならば進み続けること。
僕は天や神仏が在ると確信してますが
けれども僕が天国に行くために
己の心を信じているわけではありません。
僕の進み続けた先が
壮絶な最後であったとしても
僕は僕の信じる道と
その願いを成し遂げていきます。
例え、己の愚かさで
一時的に天や神仏に見放されたとしても
そこからまた一歩一歩と再スタートを切れば良い。
例え、この世界の全てに見放されても
僕は僕の信じる道を、
あなたはあなたの信じる道を
最後まで信じていればそれで良い。
それが己の道を生きることであり
己の信念に生きる…ということ。
ですので、これからも
僕等の「愛すべき人生」を
何処までもまっすぐに貫いてまいりましょう。
私は私の人生を生きた!!と
そう心から言えるように
最後の瞬間までずっとまっすぐに…
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