日本人の祖先である旧石器時代の38000年~40000年前に、北はシベリアからマンモスを追って、南の朝鮮半島からナウマンゾウやオオツノジカを追って渡って来たと書きました。
勿論、この時期は大陸との陸続きだと言う事は氷期に当たり、海面が下がり、または凍っていた事により大陸と陸続きになっていらからです。
但し、凍っていた海を渡る? これは、凄く短い状態であったと、私見ですが考えています。
それは、現在の対馬暖流が川のようになっていた時期があると同時に、もっと気温が下がった時代は、完全な陸続きだった時期もあるようなのです。
氷の上を渡ると言う行為は、短時間なら可能ですが数日もかけて、この間を歩くとは考えにくいのです。
それは、暖を取る。つまり、寒さを防ぐことが出来ないからです。
当時は、ヒートテックなどありませんので、シカ類などの毛皮くらいでしょう。
その他では、火による暖房です。
住居のない彼等は、夜や食事時などは岩陰や洞窟などでそれを過ごしていたと思われます。
勿論、火を起こすという事は、他の獣たちから自分たちを守る役割もあったと思います。
その火を起こすと言う行動は、氷や雪の上では困難な作業になります。
火を起こすためには、乾燥した台座と回すための乾燥した枝が必要になり、且つ、繊維状の火が着きやすい物と、燃え移りやすい小枝が必要になります。
棒と台座は持ち歩きなのでしょうが、薪になる物まで持ち歩くのは困難です。なので、私は森林が比較的多い陸地での移動ではなかったかと考えます。
さて、この時期ですが、推定ではありますが人口約2万人だとお考え下さい。
では、この旧石器時代を経て、日本人類が存在した証拠、つまり、最古の史跡は何処のどんな時代にあるのか。
これは、青森県の大平山元1遺跡で、16,500年前の壺が発掘されています。
この時期はまだ氷期(以前は第四氷河期)であり、非常に寒い時期です。
この壺は無地であり、その後の縄文の紋様はありません。
さて、1万6千500年前でも、日本の人類が作った壺が発掘された……。
この年代が何故判るのか? 疑問に思えませんか。
現在、炭素14年代測定法と言うものがあります。この時は誤差が200年と言う大まかなものでした。
そして、今はもっと進んで炭素14AMS法と言うのが確立・進化していて、これで測定すると誤差10年と言う正確さで測る事が出来ます。
また、進歩は進み、当初2万6千年前と言われていたものが、今は5万年前まで測定可能とされています。
しかし、この時期に定住した証拠となる住居などの遺跡はありません。
また、同時期に東京の「前田耕地遺跡」。壺や住居跡ではなく、使ったとされる道具も発掘されています。
ここで大事なのは、既に16500年前には壺を使って煮炊きが行われていたという事です。
そして、この16500年前を縄文時代の始まりとの説があります。
これが第一の縄文発祥の説です。
しかし、この時代は地域による進化の格差が大きく、青森で壺が発見されても他の地域はどうなか。
と、なった場合、日本の縄文文化のこれが始まりだとは言い切れない部分があります。
つまり、数百年くらいの時差で地域の格差は開きます。
なので、一地域での発掘があったからと、これが縄文時代の幕開けとは言い切れないのです。
それから、1500年後の今からだと15000年前から徐々に温暖化が進みます。
そして、それが二千年ほど続きます。
その時はいかにも縄文文化だと思われる発掘がされています。
この件は次回に回します。
個人的には、この時期は色んなものが示唆されている大事な時期だと考えています。
では($・・)/~~~