ムビラの音 | 備忘録(byエル)

ムビラの音

Simboti のムビラの演奏を京都の古民家で聞いた。この古民家は「京都WAkka」というところで、さまざまユニークなイベントを企画しているのだが、友人ヨウヘイ君が、ここのオーナーとシェアハウスしているところでもある。

 

ムビラはジンバブエ北方で暮らす『ショナ族』の人たちが神事に使う楽器らしく、演奏者のsimboti氏はこれまで一度もその村を出たことがなく、神事の奏者として演奏を続けてきた人だという。

 

「指ピアノ」と呼ばれる弦楽器で、無数の音を指で弾き続けることで曲を構成していくものなのだが、彼のムビラは、雨や風や川や森や星や、自然の中にある様々な音を丁寧に指でなぞっていく。そんな風合いの音がする。

 

ひとつひとつの音は生き物のように自在に跳ねて、各々の場所に着地するのに、それらは重なりの中で一つの「調べ」としてしかないハーモニーを生み出している。

                                                                                                                               

 

同じ旋律が幾度も繰り返され、それは速度を変え、音の量を変え、明度を変えて、聴く者のカラダを打ち続けていく。その音に合わせて身体を揺らしていると、速さや強度の違いが、自分をある神秘へと連れて行ってくれそうな気がしてくる。

 

神事としてムビラが奏でられるとき、その音を受けてシャーマンのような人が祖先の魂とコンタクトをとり、神の声を聞き、それを部族の人たちに伝えるということらしいが、その意味が少しだけ分かった気がする。

 

祈りの音楽。

例えば「雨乞いの曲」

しかし、なんて静かな雨乞いの曲だろう。

天にいる雷神の目を覚まそうと大きな太鼓を打ち鳴らすようなことはない。

静かに、ジンバブエの乾いた大地に雨粒が天から落ちて吸い込まれていくように、奏でられる無数の音が聞く者の皮膚に落ちて内側に浸透していくのが分かる。

ムビラの音は、「自然の中にそのまま存在する音楽」の再現なんだろうか。

 

 

それは、雨粒のひとつひとつが、樹木に草花に土にベランダの手すりにコンクリートの壁に着地音を立てながら落ちて来て、それらの複合音が「雨の音」を生み出しているのに似ている。

 

森を渡る風が、こずえを揺らし、木の実を土に落下させ、突然の風に驚いた鳥が鳴き声を上げ、虫が枯れ草を這う。それらの複合音が「森の音」を生み出しているのに似ている。

 

流れる川の水が、大きな岩にぶつかり音を立てて裂けていき、小さな石を転がし、遠くでそれは滝となって流れ落ち、魚が小さく尾びれを動かす。それらの複合音が「川の音」を生み出しているのに似ている。

 

自然の中にある音は、一つ一つの自由な小さな音が重なり合うってできている。密やかで何一つ主張のない小さな音たちが集まって、「雨の音」「風の音」「水の音」「森の声」「波のささやき」を作り上げる。
雨の風の川の森の夜空の、自然の中にある複合音。

 

ムビラが奏でる音は、そんな静かで閑かな音の重なりだ。

 

3時間近く、ムビラの音を浴び続けていた時間は、ひとり午後の窓辺で雨の音を聞く時のように、街角でふと風の音に皮膚を震わせて佇む時のように、山から流れてくる川の音に心が透き通ってしまう時のように、星降る夜この身が宇宙の塵の一つになって彷徨う時のように。
 

地球という大きなゆりかごで子守唄を聞いているような、穏やかで静かな時間だった。