「なんだか、いろいろありすぎて疲れてしまいました」
あゆみさんは、そういうと畳の上にぺとりと座り込んでしまった。
沖縄から出てきて、羽田空港でうろうろして、この屋敷に来るまで騒いでいれば疲れるさ。
「食事の準備が出来たら、呼びに来ますから、休んでいてください」
「何から何まで、すみませんね」
あゆみさんの笑顔付きお礼。
この笑顔を見られるだけでも、彼女を引き取ったかいがあると言うもの。
思わず、あゆみスマイルに見とれてしまう。
お互い、見つめ合ったまま。
窓からは春風が入り込み、春のにおいを運んでくる。
あゆみさんの髪は風に流され、美しさを倍増させる。
心なしか、あゆみさんの瞳が潤んで見える。
唇は怪しくいろついている。
「あゆみさん……」
思わず、彼女ににじり寄ってしまう。
彼女と会ったばかりなのに、初対面だという気が全くしない。
昔からの知り合いだとさえ思えてくる。
彼女と向き合っていると、心からほっとする。
彼女とキスをしたい。
今、誰と寄りも、彼女とキスがしたい。
唇と唇を重ねたい。
そうすることで、彼女との距離が一気に縮まるはずだ。
「龍太くん……いいですよ」
「え?」
あゆみさん、今なんて言った?!
いいですよって、言ったよな。
何がいいんだ? 何をしていいんだ?
キスしてもいいのか? 彼女にキスを求めてもいいのか?
今日あったばかりなのに? あったばかりの男にキスを許してくれるのか?
「キスしてもいいですか?」
「ええ。いいですよ、龍太くんなら」
彼女の笑顔を見ると、理性など吹っ飛んでしまう。
「……」
ここでたじろいでいては男が廃る。
俺はあゆみさんの前に座ると、彼女の神に手を伸ばし、髪をかき上げた。
柔肌のうなじが目に入る。
あゆみさんは軽くうなずくとゆっくりと目を閉じた。
俺もあゆみさんの顔を近づける……。
春風がカーテンを大きくなびかせた瞬間……。
部屋中に安っぽい音色の着メロが流れ出した。
「電話ですか?」
あゆみさんが、目を開け俺を見ながら言った。
どうやら、キスはお預けみたいだ。
おれは、ポケットから形態を取りだし、液晶を見る。
見知らぬ番号からだった。
出るのに躊躇したが、このキスを奪った相手を確かめてやることにした。
確かめて、文句の一つでも言ってやる。
「もしもし」
「あ……岩上さんの携帯ですか?」
何となく聞き覚えのあるような女の子の声。
「そうだけど? どなたですか?」
「あ、私です。今朝駅前でお世話になった、冬原希美です」
「希美……ああ、のぞみちゃんか」
聞き覚えがあるはずだ、今朝駅前で道に迷っているところ、声をかけた女の子だった。
あゆみさんが、俺の肩をつつく。
「お知り合いですか?」
「ええ。ちょっとした知り合いです」
「あのですね……」
「どうかしたのかな? また道にでも迷った?」
「はい……まよいまぁしたぁぁあぁぁあぁぁあっぁ」
お約束通りに道に迷ったか、希美ちゃん。
泣き出しそうなのを一生懸命こらえているみたいだ。
「で、今どこにいるの?」
「え……教えてもらった通りに、路面電車乗って、坂道登って……」
女の子の半泣き声というのも、なかなか色気があっていいもんだ。
もう少しこの声を聞きたいが、あまり長引かせるのもかわいそうだな。
「何か近くに目印になるものないかな?」
「目印ですか?」
「古びた洋館があります。暗くてよく分からないけど、そうとう変わってる屋敷です」
それって、まさか……。
「あのさ、その洋館の屋根に風見鶏ついてるかな?」
「風見鶏って、鶏のですよね? ついてますよ」
知っている、屋根に風見鶏がついている洋館を知っている。
「そこで待っていて、すぐに行くから」
俺は電話を切った。
あゆみさんが、楽しそうに俺の顔を見ている。
あゆみさんとさっきの続きをしたいけど、希美ちゃんのところに行かないと。
「あゆみさん、ちょっと行ってきますね。部屋で休んでいてください」
「はい。お気をつけて」
俺は奪取で部屋を飛び出し、階段を下り、靴を履き、玄関の引き戸を開け、門を開け、坂道を駆け抜ける。
最初の角を右に曲がると……。
冬原希美がいた。
今にも泣き出しそうな顔で立っていた。
俺お顔を見た瞬間、安心したのか、目から涙があふれ出し……。
希美ちゃんは俺に駆け寄ってきて、抱きついて泣いた。
「希美ちゃん……」
「すびばせん……ううぅぅうう」
「もう怖くないからね」
「はい……」
よっぽど不安だったのか、希美ちゃんは震えていた。
俺は小さくふるえる希美ちゃんを、抱きしめた。
「すみません」
希美ちゃんが顔を上げ、俺の顔を見上げた。
「今日はもう遅いから、うちに泊まるといいよ」
「え? でもなんか悪いです」
こんな訳ありの子をほっとくほど、俺はひどい男ではない。
「部屋はあるから、心配いらないよ」
俺は希美ちゃんの頭を軽く撫でる。
「あ……ご迷惑ばかりおかけしてすみません」
希美ちゃんが俯いてしまった。
「いいから、いいから。さ、行こう」
「はい……」
俺は、希美ちゃんを連れて門を潜った。
門を潜ったところで、希美ちゃんが足を止め、屋敷を見上げる。
「どうかした?」
「あの……この屋敷……」
「あ、今時珍しいだろ?」
希美ちゃんが、自分の鞄をあさり、一枚の写真を取り出した。
その写真をのぞき込む。
そこには、屋敷が写っていた……なぜ?
「この写真に写っている屋敷って……」
「はい、私が探していたお屋敷です」
「……これってここだよね」
写真と屋敷を見比べる、まさにうり二つ、まさにこの場所で写した写真だった。
「…やっと見つけた、門で気がつきませんでした」
確かに、この屋敷の門は大きく、屋敷の中を伺うことは出来ない。
壁も高いしな。
裏に回れば、洋館風だし、まさか表が武家屋敷風だとは誰も思いはしないだろう。
「希美ちゃんが探していた家ってうちだったのかーなんだーそうだったのか」
「あの……つかぬ事を伺いますが……龍太さんはこのお屋敷のご長男でいらっしゃいますか?」
なんだか、さっきから希美ちゃんの態度が硬くなってきている。
「うん、この家の長男だよ、駄目兄貴ってやつさ」
「……」
希美ちゃんは俺の顔を見ると頬を赤らめて、俯いてしまった。
さっきから俯いてばかりだな、希美ちゃん。
「ま、こんな所にいてもしょうがないし、中に入ろう」
俺は、希美ちゃんの手を取り家の中へ。
……玄関には美佐枝が仁王立ちをしていた。
その後ろで、なにやら楽しそうな表情のあゆみさんが見える。
「や、ただいま」
無言のまま、俺を睨む美佐枝。
「さ、あがって、希美ちゃん」
「あ、はい……お邪魔します」
いそいそと靴を脱ぐ、希美ちゃん。
バランスを失い、顔から床に激突したり。
片足を後ろに折り曲げたまま、ぴょんぴょん跳ねて壁に激突したり。
かなりのどじっ子属性を持つ、希美ちゃん。
それを見て、くすくす笑っているあゆみさん。
あゆみさんに悪気があるわけではないと信じたい……。
「お兄ちゃん、このどじっ子はなんなんですか?」
ついにこの張りつめた空気と、不釣り合いの希美ちゃんの存在が、気になりだしたようだ。
「あ、えーと……冬原希美ちゃん……ちょっとした知り合いの子」
「なぜちょっとした知り合いの子をうちに連れ込んでいるんですか?」
「あうあう」
希美ちゃんが何かを言おうとしたが、美佐枝の気迫に負けてしまったようだ。
気迫に負けて、半泣きになってるよ……せっかく安心したと思ったら、これだしな、泣きたくなるよな。
「連れ込んだ訳じゃないよ……迷子で困っていたし、もう暗いから今晩泊めて上げようと思っただけだよ」
希美ちゃんを見ているとあまりにも不憫だから、安心させるため頭に手を置いた。
「今晩泊めるだけだよ」
「……まったく、お兄ちゃんは人がよすぎます」
美佐枝が嘆息した。
「どうやらお許しが出たようだ」
こういう時は美佐枝の気が変わらないうちに、次へ次へと駒を進めてしまうに限る。
「あ、はい! ありがとうございます。お世話になります」
とりあえず、希美ちゃんを俺の部屋の前部屋が空き部屋になっていたので、そこに連れて行き落ち着かせた。
「少し、ここで休んでいて……晩ご飯の支度が出来たら呼びに来るからさ」
「あ、私もお手伝いします……」
「ありがとう。でも疲れてるだろ? 少し休んだ方がいいよ」
俺がドアを開け部屋を出ようとした時……。
「龍太さん……ご両親から何かお聞きになっていませんか?」
いきなりの神妙な声で希美が聞いてきた。
「何をかな?」
「……お聞きになっていないのですね」
希美がかなり残念そうに言った。
「よく分からないけど、また後でね」
「はい」
俺はドアを閉め、開始たの居間へ向かった。
居間では美佐枝が一人、夕ご飯の支度をしていた。
いきなり増えた人数分を作るのにかなり手間取っている感じだ。
そんな美佐枝に俺は……。
「何か手伝うことあるか?」
美佐枝が各席に食器を並べながら、顔を上げ答える。
「お兄ちゃんは見ているだけでいいですよ」
「でも、それじゃ……」
「お兄ちゃんは私のことを見ていてくれれば、それでいいんです」
