喜多院の「五百羅漢」を観てきました! | ハンターカブ中心生活?

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喜多院は埼玉県川越市にある、円仁(慈覚大師)創建と伝えられ、徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた天海大僧正ゆかりの名刹です。

 

 

 

 

江戸城の庭を模したといわれる庭園は遠州の技法が施されているそうです。

 

徳川家康が浜松にいたからか。

 

 

 

 

 

喜多院の本堂は、ほぼお庭しか撮影OKでなないので、写真はここまでですけど徳川家や春日局、江戸城に所縁のあるものが多くて、拝観料400円では安いくらいです。(五百羅漢の見学料も含みます。)

 

ちなみに、この纏(まとい)は江戸時代のもので喜多院で使われていたものだそうです。

 

 

・・・ということで境内にある「五百羅漢」の見学です。

 

 

 

 

 

五百羅漢は、一切の煩悩(ぼんのう)を払って修行の最高位に達した仏弟子500人ことで、その功徳を授かれるのが五百羅漢像です。

 

喜多院は「日本三大五百羅漢」に数えられるそうです。

他には徳蔵寺(栃木県足利市)、建長寺(神奈川県鎌倉市)、羅漢寺(大分県中津市本耶馬渓町)です。

 

喜多院の五百羅漢は、中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、その脇侍(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と象に乗った普腎菩薩(ふげんぼさつ)、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩が鎮座し、そのほかの羅漢像をあわせて538体が並んでいます。

 

1782(天明2)年 〜1825(文政8)年の約50年間にわたって建立されたものだそうです。

 

※最近の研究では、1792年からという説が有力だとか。







五百羅漢には夜こっそり詣で、ひとつひとつに触れていくと人の体温を感じるような温かいものがあり、印をつけて翌朝その前に立つと、それは会いたいと思っていた亡き人の顔にそっくりだという伝承もあります。

 

 

 

 

 

 

自分に似ているのが必ずあるとか言いますよね。

 

 

 

 

 

 

・・・これ、私に似てるかも。

 

 

 

 

 

 

こっちかな???

 

 

 

 

 

 



次男坊のお嫁さんと、孫に似ているかも!

 

 

 

 

 

次男坊に似ているかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

二人組で何かしている像が結構ありますが・・・

 

 

 

 

 


お酒を飲んでいる様な羅漢さんもおられたので、長男坊に「お酒を飲んでるのがあるぞ~!!!」と言ったら・・・

 

 

 

 

 

 

五百羅漢の関係者の方?から

「それはお酒ではなくて、灯りの油を燭台に入れているところですよ。羅漢さんは仏様の弟子なので、お酒は飲みません。」

と、教えていただきました!!!

 

・・・失礼しました。(^^;

 

 

 

 

詳しい方に教えていただいて、動物が彫られたものもあるので質問してみたら、「干支の動物が彫ってあるのもありますよ。」とのこと。

 

・・・探してみることにしました。

 

そうしたら・・・見つけたよ!

 

 

 

 

 

 

子(ネズミ)

 

 

 

 

 

 

丑(ウシ)

 

 

 

 


 

寅(トラ)

 

 

 

 

 

 

 

卯(ウサギ)

 

 

 

 

 

 

辰(タツ)

 

 

 

 

 

 

 

巳(ヘビ)

 

 

 

 

 

 

午(ウマ)

 

 

 

 

 

未(ヒツジ)

 

 

 

 


 

申(サル)

 

 

 

 

 

 

 

酉(トリ)

 

 

 

 

 

 

 

 

戌(イヌ)

 

 

 

 

 

 

 

 

亥(イノシシ)

 

 

他には鹿、狛犬、象などもいましたが、猫は見つけられませんでした。

 

 

・・・喜多院の五百羅漢、インバウンドには人気ないみたい???

 

意味が深くてわからないのかな???

 


喜多院|埼玉県
所在地:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
建立年:天明2年(1782年)〜文政8年(1825年)※1792年説
総数:538体
寄進者:川越北田島の志誠(しじょう=内田善右ヱ門)と蔦右衛門の発願、志誠大徳は二大士、十六像をはじめ、40尊を造って4年目に病に倒れ、喜多院の学僧であった慶厳、澄音、祐賢がその遺志を受け継いで、浄財を集め、40余年の歳月を費やして完成
内容:中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、その脇侍(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と象に乗った普腎菩薩(ふげんぼさつ)、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩が鎮座


当時の川越は、商都として発展(武蔵国屈指の大都会、現在の埼玉県では最大の人口でした)、さらに喜多院は将軍家とも密接なつながりがあったので、商人、武家の寄付もあったと推測できます。

 

 

 


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