予防接種と体温(2) | ワクチン広場

予防接種と体温(2)

“ワクチン接種と体温(1)”で体温とひと口に言っても奥が深いことを書きました。


体温を測定して温度が高い場合に、大きくわけると2つの場合があります。ヒトは体温の調節を脳にある体温中枢の指令により体中でそれに反応して一定になるようにコントロールしています。環境の温度が高くて、コントロールできなくなって体温が上昇した場合を『高体温』と言います。熱射病、熱中症などと呼ばれる状態はこれに属します。


一方、脳にある体温中枢が体温を高く上げるように指令を出していて、それに反応して体温が上昇した場合を

『発熱』と言います。自分で体温を高くコントロールしているのです。中枢は脳の視床下部と言う部位にあり、指令している温度をセットポイントと言います。セットポイントを上げるように働く物質のことを発熱物質と言います。



ウイルス、細菌、かび、などの産生した物質を外因性発熱物質といいます。外部から微生物や異物の侵入があった場合に、それに反応して体内で作り体温を上昇させるように働く物質を内因性発熱物質と言い11種類あるとされています。特にマクロファージという細胞がつくる、インターロイキン1、インターロイキン6、腫瘍壊死因子は大きな働きをしています。これらは細胞が作る活性物質という意味のサイトカインの仲間であり、発熱サイトカインと呼ばれています。


自分で作ったサイトカインが視床下部を流れると、局所でプロスタグランディンE2という物質が作られて、それがセットポイントを上げる働きをすると考えられています。インターロイキン1,6、腫瘍壊死因子は体温をあげるだけでなく体内の免疫系に働き活性化する働きも持っていますので、体温をあげる働きも防御機能の一つと考えられます。



魚類や両生類、爬虫類などの変温動物に病原微生物を注射して飼育するという実験で、環境温度を高く設定したグループの方が死亡率が低いという実験結果が発表されています。微生物は温度を高く培養すると増殖が衰えるという実験などからも、体温が高いことが有利だとして、西暦前465年から375年の頃の人であるヒポクラテスの提唱が近代科学でも支持されていると言えます。若し、体温が高いことが有利ならば、積極的に体温を下げることは、不利になることになります。


体温を下げるように働く薬剤で解熱剤(げねつざい、下熱剤と書くのは間違い!)があります。解熱剤はプロスタグランディンE2を低下させることで、セットポイントを下げる働きを持った化学物質です。安易に解熱剤を使うことが有利でないことがお分かりいただけると思います。



また、体温のコントロール機能を失った高体温の状態では解熱剤は効果がないこともお解かりいただけるでしょうか?体温をさげるのに、物理的に体を冷やすという方法が考えられます。


日本では頭をつめたい水を浸した手ぬぐいをおく、水枕、氷枕を用いるなどを昔からやってきました。西洋ではウオーターバスといって3334℃の湯(?水)風呂に首から下をつける、同じような温度の水にスポンジをひたして体に塗りつけるということを行うことが知られています。


脳の指令が高い温度を求めているのに、体温を下げようとする物理的な方法は脳の指令に背いていることになります。体はもっと体温を上げようと反応するので本人は苦痛であることや、場合によってはもっと高熱になることがあるので、最近は冷やすことを勧めていません。


身体は、体温を上げるためには、皮膚の表面を流れる血液を少なくするために血管を収縮させます。熱をよく失う手足を流れる血液を減らします。そのために手足は冷たくなります。それでも、脳の指令に合わなければ、筋肉を震わせて熱をつくります。その状態が悪寒・戦慄です。


脳の指令通りに体温が上がったり、それ以上に上がろうとすると、皮膚の表面を流れる血液を増やすべく血管は拡張します。手足の血液の流れを増やします。汗をかいてからだの表面から失う熱を増やします。多分、このようなときには冷やしてやると気落ちが好いかも知れません。


体温が高いことは病原体から身を護るには有利かもしれませんが、マイナスもあります。消費カロリーが体温が1℃上ると1012%増えるといわれています。体から蒸発する水分が増加しますから水分の補給が十分でないと脱水になります。


体の色々な部位で働く酵素の適当な温度とずれるので、代謝の面では不都合な場合があります。体温の高さ、持続、患者さんの状態で解熱を図ることが必要な場合もあります。



解熱剤が必ずしも発熱サイトカインの産生を抑制しないこともあります。

感染症の場合に、脳以外の他の身体部位のプロスタグランディンE2も増えていて、それは免疫を抑える効果もありえるので、解熱剤を使うことは免疫抑制に働くとは限らないとして解熱剤を適宜使うことの妥当性を唱えている学者もいます。