西村賢太の「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」を読んだ! | とんとん・にっき

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西村賢太の「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」(文春文庫:2020年12月10日第1刷)を読みました。前にブログに載せた「無銭横町」より前に読んでいたのですが、時系列に従い、この本の方を載せるのを後にしました。

 

本の帯には、以下のようにあります。

落伍者には落伍者の流儀がある。

何のために私小説を書くのか。

静かなる鬼気を孕みつつ、

歿後弟子の矜持の在処を示した四篇。

 

本のカバー裏には、以下のようにあります。

ここ数年、惑いに流されている北町貫多。あるミュージシャンに招かれたライブに昂揚し、上気したまま会場を出た彼に、東京タワーの灯が凶暴な輝きを放つ。その場所は、師・藤澤清造の終焉地でもあった――。何の為に私小説を書くのか。静かなる鬼気を孕む、至誠あふれる作品集。「芝公園六角堂跡」とその続篇である「終われなかった夜の彼方で」「深更の巡礼」「十二月に泣く」の四篇を収録し、巻末に、新たに「別格の記――『芝公園六角堂跡』文庫化に際して」(18枚)を付す。

 

目次

芝公園六角堂跡

終われなかった夜の彼方で

深更の巡礼

十二月に泣く

 文春図書館 著者は語る 「芝公園六角堂跡」西村賢太

 別格の記――「芝公園六角堂跡」文庫化に際して

 

*  *  *  *  *

 

芝公園六角堂跡

「芝公園六角堂跡」は私にとっての”別格”作であり、そのエッセンスの点では、今後のすべての自作の道標でもある。―西村賢太

 

稲垣潤一と西村賢太

 

前の「無銭横町」の「邪煙の充ちゆく」では、一杯の薄い番茶割りをチビチビ舐めていた秋恵は、お気に入りの稲垣潤一の曲をCDラジカセで取っ替え引っ替え流し続け、ニコニコしながら、時折他愛もない話題を振り向けてもいたものだった、と、さも秋恵は稲垣潤一のファンのように書いていました。

 

ところが「芝公園六角堂跡」では、それが逆転しています。

三十四歳の時には、或る女と約一年間の同居生活を経てていたが、その折に先様へは、随分と強制的にJ・IさんのCDを聴かせてやってもいた。と、そのうちには彼女の方でも、すっかりその世界に魅き込まれたらしく、あながち上辺だけの同調とも思えぬ執心ぶりを見せるようになったものだ。

 

これは寛多にしてみれば、してやったりの愉快事であったが、それでいながらそののちに、彼は商業誌にヘタな私小説を書き始めた折には、この事実を少しく変えてしまっている。J・I趣味は、どこまでもその別れたる女のものであり、自身はそれに、内心辟易しているとの構図にしたのである。・・・そして一度この設定にしてしまうと、以降の作でもその点は律義に踏襲せざるを得なくなった。また創作だけでなく、或る文芸誌のアンケートで、好む音楽についての問いがあった時には、自らのJ・I贔屓は以前の女からの影響だなぞ、平気で大噓を答えていた。

 

或る文学賞を貰った直後にテレビのバラエティー番組に出演し、歌のゲストとしてJ・Iさんが出演していたので、千載一遇とばかりに控室を訪れサインを貰い、これが端緒となってクリスマスディナーショーにも招いて頂き、さらに半年後には、ニューアルバム発売記念のトークショーの相手にも選んでいただくという、30年間ファンであり続けた人の謦咳に、直で接する機会が一度ならず二度三度と訪れるという、夢のような展開となる。憧れのミュージシャンと親交を持ち得ている喜びに、彼は有頂天になっていた。

 

振り返って、今しがた後にしたホテルを眺め上げたが、視線は自ずとその左横の、東京タワーの灯りの方へ吸い寄せられる。芝園橋側の横断歩道を選んで、再び歩き出す。首都高の出口を挟んで右側―テニスコートの前の傍らにて足を止める。貫多は心中で「さて―」と、呟いていた。当然ながら、貫多はそこが―彼が今たたずんでいる場が―大正期の―私小説作家、藤澤淸造のまさに終焉の地であることは、はなから承知済みだった。知る人ぞ知るの類だが、藤澤淸造は貫多が格別に敬愛する私小説作家である。この私小説作家の著作によって、貫多は確かに人生を変えられた。二十九歳時以降、その著作を唯一の心の支えとして日々を経てていた彼は”歿後弟子”を自任し、やがて自らも私小説を書き始めている。

 

あれやこれやを思い起こしながら、貫多は小一時間近くもそこに立ち、もうそろそろ熱い酒が飲みたくなっていた。鶯谷の安酒場にでも寄って帰るべく、彼は芝園橋の方へ歩き出す。それにしても、冷える夜である。―貫多の足は、そこでハタと止まった。愕然としたのである。今の今までその場に佇んでいながら、藤澤淸造が凍死したのは、この厳寒の時期であった忖度を忘れていたことに、何やら驚愕の思いが走ったのだった。

 

だからこそ、そんなあらゆる意味での社会の落伍者たる私が、それでも生きている原動力、矜持、コケの一念の在処と云ったものを、この作と、併録の三つの続編中には随所に、―必要以上にわかりやすく明示したつもりでもいる。(「別格の記」より)

 

終われなかった夜の彼方で

彼は二、三週間ばかり前に、「芝公園六角堂跡」なる八十五枚のものを書いた。今年の二月に芝のホテルでもって催された、或るミュージシャンのライブに出向いた際の話である。これは特に筋と云える程の筋もない。中学生の頃よりファンだった件のミュージシャンから招かれて、そのライブ会場に意気揚々と赴きつつも、一方で、そこが師と仰ぐ藤澤淸造の狂凍死した跡地であることに思いを馳せると云う、まことに他愛のない愚作である。が、この愚作をものしていたときの貫多の内には、ちょっと近年に覚えのなかった、小説を書く情熱みたようなのが蘇ってきていた。

 

世間的に有名な、或る文学新人賞を受けて以降、虚名のみは上がっても原稿仕事は一向に増えず、何か内実の伴わぬ虚しさをかかえていた最中に、先述の、淸造の新発見原稿と出会わしていた。あのときは、落魄の様々な無念がこもっているかのような肉筆の原稿を前にし、この師への思いを失くさぬ限りは、自分はまだ書けると思った。需要があろうがなかろうが、消えてたまるかとの意思を取り戻すことができた。(何の為に書いているのか―あの初志に立ち戻らないといけねえ)

 

深更の巡礼

彼はこの二箇月ばかり前に、「芝公園六角堂跡」と云う八十五枚のものを発表していた。・・・まことに他愛のない愚作である。しかし貫多はこれを、今までの十年間に書き散らしたどの作にも含まれぬ、或る熱情をこめてものしていた。商業誌で書かせて貰えるようになってから、これは初めて、はなあから誰に読まれるつもりもない、アマチュア気分の甚だいい気な作に仕上げるつもりで叙していた。この素人気分の、私小説を書き始めた頃の初志と云うか、初一念と云ったものを自分の為に取り戻す目的のみで、どうしても書いておく必要があったのだ。藤澤淸造の”歿後弟子”との看板が、無意識のうちにもどこか形骸化していたような自身の心情を、ここで一度しっかりと検分しておく、火急の要に迫られて書いたのである。

 

それが為、貫多はその作中で記したことをガムシャラに実践すべく、新たな心境下での自作を矢継ぎ早に書きまくらなければならぬ状況にあった。何よりも、自分の小説を遮二無二書きたくてならない状況にあった。なのでこのタイミングで田中英光作品の校訂に手をつけるのは、これはかなり間の悪いものにも感じられてしまったのである。元よりそれは、根がバカの中卒者である彼にはとてもではないが片手間に行えるような作業ではない。底本と突き合わせて一字一句、その文意をも含めて確認してゆくのは、実際にえらく七面倒なことでもある。

 

貫多の夜中の一時前から始まる校訂は、相変わらず続いていた。そして続けているうちに、彼はその作業が楽しくなっていた。胸のうちに、いつか”田中英光”が蘇っていたのだ。小説を書きたい焦躁は依然残っているものの、思えば田中英光作品は、彼がとぼとぼ歩く私小説の一本道の、そもそもの原点である。その初志に戻らんと決意し、新たな意慾を抱いた折も折に、かの原点と向かい合う機会を得たことは、これは決して無意味なことではあるまい。どころか、今こそ必要だった千載一遇の、再びの邂逅であるやもしれなかった。

 

十二月に泣く

二〇十五年十二月二十四日―北町貫多は能登七尾の一本杉通りを、桜川方面へと歩いていた。・・・呉服店の角を曲がると、百メートルばかりの細い道が続いている。その突き当りに、藤澤淸造が眠る浄土宗西光寺の山門は聳えている。・・・そうだ。変わったことと云えば、かの墓碑の右隣りに、藤澤淸造の自筆を集字して刻んだ”北町貫墓”が、何か厚かましい感じで建っていた。これは貫多がまだ小説を書く以前の二千二年夏に、先代の住職に懇願を重ねて建立させてもらったものである。

 

当然、刻字に朱を流したままの自身の墓には目もくれず、それよりやや丈の高い藤澤淸造の墓碑にまずは一礼すると、井戸でバケツに水を汲み、花と酒の一セットを携えて丘陵の上へと登ってゆく。そして頂上辺の手前に立つ、藤澤家代々―藤澤淸造の父である六右衛門系一族の墓の方から掃苔するのも、いつ頃よりかの貫多の慣習になっていた。

 

その墓の傍らに代々の墓誌を添えていた。それぞれの名と歿年月日、かぞえ年での享年を掘っただけの極めて簡素な碑文だが、そのうち藤澤淸造の文には<小説家 「根津権現裏」「一夜」「恥」「刈入れ時」他>とも付しており、僭越にもその文字は貫多の手によるものを使ってくれるよう、石材店に依頼していた。自己顕示欲の類ではなく、当時は今よりも尚と”わけの分からぬ自称歿後弟子”の、”得体の知れぬ半狂人”視を、藤澤淸造関係での行く先々でされていた身でもある。他に”歿後弟子”を名乗るに足る何事をも成す術のなかった彼は、せめてそんなことででも、自身の思いをそこにひっそりと刻み付けておきたかった。

 

まことに虚しい、所詮は独りよがりな行為には違いあるまい。けれでそれが往時の寛多の、周囲の冷笑と黙殺の中で生きてゆく上での唯一の光であり、心の拠りどころにもなっていたのである。

 

貫多は一つ溜息を吐き出すと、今一度膝を折り、その人の墓碑に向かって頭を垂れた。答えが出ないと云いつつも、その実、彼のなかですでに答えは出ているのだ。(こちとらは淸造追尋でとっくに人生を棒にふってかかっているのだから、もはや屁理屈は不要で最後までキ印の流儀を押し通すより他はない。どうで自身のやっていることは死者への虚しい―あくまでも虚しい押しかけ師事に他ならないのだ。なれば、どこまでも徹底的にその影を偲んですがりついたとしても、結句冷笑を浴びるのは自分のみである。その人に実質的な迷惑は何一つかけるものでもなかろう)

 

このタイミングで、かような連絡が舞い込んだことを”天啓”なぞと大甘を云うつもりは毛頭ない。・・・その師の墓前にあって、貫多の泣き笑いは、なかなかに止んではくれなかった。・・・それがついには嗚咽に変わったとき、彼は自らの半狂人状態に辟易しながらも、内心、すっかり勢いを取り戻した闘志が促すままに、差し当たって一刻も早く帰京を焦っているのだった。

 

文春図書館 著者は語る――『芝公園六角堂跡』西村賢太
作者本人を思わせる作家・北町貫多を主人公にした作品を、すでに五十以上発表している西村さん。その「貫多もの」の中で、今作は別格の作だと言い切る。
表題作を書くきっかけは、二年前の二月にミュージシャンの稲垣潤一氏からライブに招待されたことだった。「会場になった東京タワー近くの高層ホテルの前面あたりは、僕が歿後弟子を自任する私小説作家・藤澤清造が昭和七年に野たれ死にした場所になるんです」
かつて貫多は〝一人清造忌〟と称し、毎年祥月命日の死亡推定時刻午前四時にこの地を訪れていた。しかし著名な新人文学賞(現実では芥川賞)受賞後は、ライブの日まで一度も足を踏み入れることはなかった。「ただ泉下のその人に認めてもらう為だけに私小説を書き始めたのに、最近は書く理由がずれてきていた。有り体に云えば、名誉欲が勝ってしまっていたんです」
新人賞受賞後はその強烈な個性が注目され、数多くのテレビ出演もこなし、裕福にもなっていく貫多。しかしその為に、月命日の二十九日に清造の能登の墓所に出向くという長年の習慣を破ったことさえあった。改めてその地を訪れて清造の〝残像〟を感じ、決意を新たにした貫多だったが、話はそれで終わらない。
「表題作では現存する人物に遠慮して、要らぬエクスキューズも付した。これでは書き切ることができなかった、という思いが残り、続く『終われなかった夜の彼方で』を発表しました」
同作では己の書く意味を問い直し、自ら表題作へのダメ出しを行う。極めて静謐な作だ。続く文庫版、田中英光作品の校訂作業を通し、表題作での決意の再確認を試みる「深更の巡礼」、七尾の、清造の菩提寺が舞台である「十二月に泣く」も同様で、「貫多もの」での読者人気が高い、暴力や性風俗の描写は皆無だ。
「これは自分の為に書いたもので、その種は処女作の『墓前生活』以来。いわば自分の内面の定点観測記に過ぎぬものではあるんです。ひどく野暮な作です」と西村さんは言う。一方、「暴力と罵詈雑言のシーンばかりを無意味に喜ぶ、くだらない〝自称〟読者にはうんざりしています」と、はっきり述べる。
今作は、サービス精神が一切排除されているだけに、純化された作家の魂に直に触れるような熱さがある。
「あえて夜郎自大に言いますが、これが合わず、何も汲むところがなければ、もう僕の作は読まなくていい。縁なき衆生です」
――「週刊文春」二〇一七年四月十三日号

 

 

西村賢太:
1967年、東京都江戸川区生まれ。中卒。
文庫版「根津権現裏」「藤澤淸造短篇集 一夜/刈入れ時/母を殺す 他」「狼の吐息/愛憎一念 藤澤淸造 負の小説集」「田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他」を編集、校訂、解題。
著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「暗渠の宿」「二度はゆけぬ町の地図」「随筆集 一私小説書きの弁」「人もいない春」「苦役列車」「西村賢太対話集」「一私小説書きの日乗」(既刊6冊)「疒の歌」「下手に居丈高」「夢魔去りぬ」「蠕動で渉れ、汚泥の川を」「夜更けの川に落ち葉は流れて」「羅針盤は壊れても」「藤澤淸造追影」「瓦礫の死角」などがある。

 

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