高山羽根子の芥川賞受賞作「首里の馬」(新潮社:2020年7月25日発行)を読みました。
沖縄について
このオレンジと白の独特な屋根の色模様が南国特有の景色に溶け込んで、うまいこと風情をかもしだしていた。ただ、首里周辺の建物の多くは戦後になってから昔風に新しく作られたものばかりだ。こんなだった、あんなだった、という焼け残った細切れな記録に、生き残った人々のおぼろげな記憶を混ぜこんで再現された小ぎれいな城と建物群は、いま、それでもこの土地の象徴としてきっぱり存在している。
こう描かれた首里城は、執筆中に炎上する惨事があった。それだけに高山は、「作品をちゃんと仕上げなければいけない」と思ったそうだ。
新潮社のサイトによると
受賞作となった「首里の馬」の舞台は、沖縄。主人公・未名子は「資料館」と「スタジオ」というふたつの空間に出入りしながら暮らしている。「資料館」は沖縄の歴史についての膨大な情報の集積場。そして、「スタジオ」はオンラインモニター越しにクイズを出題する という奇妙な仕事場である。ある台風の夜、一頭の宮古馬が未名子の家の庭に迷い込み、その日を境に未名子の生活は変化してゆく――というのが物語のあらすじだ。
「資料館」
未名子はいつもどおり、インデックスからひいた資料をひとつずつ、スマートフォンで写真を撮って保存していく。まともな機材もなく撮影技術のほうもたいしたものではなかったし、将来そんなものが本当に役立つのかわからないけど、このままなくなってしまうよりはずっと良いと未名子は考えている。すくなくとも、この資料館の中に詰まったすべての情報は、デジタルデータにしてしまえば缶の中のチップに収まってしまうものだった。
「スタジオ」
読まれるクイズは、時事や芸能といった、テレビで見かけるような過剰にエンターテインメントに偏るようなものではなかった。・・・正解を自身で理解できなくとも、返って来た答えを正解かどうか画面を見ながら判断して、誤答用に表示される解説文を見ているだけで、未名子自身も知識が身についていくように思えるのも楽しかった。自分の知らない知識をたくさん持っている人たちとの、深すぎない疎通も心地よかった。きっとここを利用する何人もの解答者も、こういうささやかな感情のやりとりを求めて通信をしているんだろう。そうして未名子自身も、彼らと同じくらいに孤独だという実感があった。ようするに、未名子はこの仕事が好きだった。
「宮古馬(ナークー)」名前が「スピード」!
サラブレットに比べてずいぶん小柄なこの沖縄在来の馬は、あまり速く走るようにはできていないと聞いたことがある。それであつても未名子が周囲に手をのばせば生け垣に指先が触れるくらいの狭い庭で、まる一日以上、繋がれてもいないのにずっと動かずにいられるほどおとなしいとも思えない。どこか目立つけがをしていなくても、具合が悪い可能性はある。でも、たとえば未名子が犬や猫と長く暮らしていた経験があったとしたって、こんな特殊な生き物の体調なんてわかるはずがなかった。
ラストは、
ただ未名子は、そんなことはないほうがいい、今まで自分の人生のうち結構な時間をかけて記録した情報、つまり自分の宝物が、ずっと役立つことなく、世界の果てのいくつかの場所でじっとしたまま、古びて劣化し、穴だらけに消え去ってしまうことのほうが、きっとすばらしいことに決まっている。とあたたかいヒコーキの上で揺られながらかすかに笑った。
高山羽根子はインタビューに答えて、以下のように言う。
「執筆はコロナ以前なのであくまで偶然ですが、たとえ距離が離れていても、何らかの形で意識を通じ合わせることが人の精神のケアになるのでは、と思って書きました。世界中が大変な状況ですが、私たちはスマホで話したり、膨大な量の情報を収集したりする技術を持っています。もし電話すらなかった時代にコロナが流行っていれば、怖いと思うことすらできずに亡くなっていく人も多かったはず。何かを知り、事実を記録することで知恵 の集積が行われ、それが未来に役に立つ、という前向きな姿勢は『首里の馬』の大切な要素です」と。
選考委員の吉田修一は、以下のように言う。
「これまでの集大成。書きたいことが読者にストレートに伝わる作品」。
高山羽根子:
1975年富山県生まれ。2009年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作、2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2020年「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞を受賞。著書に『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『如何様』などがある。
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