山折哲雄の「激しく考え、やさしく語る 私の履歴書」を読んだ! | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。

 

ネットで山折哲雄を調べると、以下の「問題」が真っ先に出てきます。いいか悪いかは別にして、公平を期して以下に載せておきます。

 

皇太子殿下、ご退位なさいませ

―新潮45eBooklet Kindle版
山折 哲雄 (著)

2013年2月の『新潮45』3月号に発表されるや、世論を二分した論争に発展した宗教学者・山折哲雄氏の論文を全文配信! 論壇から女性週刊誌まで、山折氏の真摯かつ大胆な提言に触発され、議論は沸騰した。山折氏は、現下の象徴天皇制が近代家族制との狭間で異変が生じていると看破。天皇家の危機を回避するために退位し、弟である秋篠宮への「譲位宣言」をなさっては如何かと論陣を張る。いま改めて虚心に読まれて然るべき、2013年の論壇で最高の問題作。

 

さて、それはさておき、山折哲雄の「激しく考え、やさしく語る 私の履歴書」(日経プレミアシリーズ:2019年3月8日1刷)を読みました。朝日新聞の「新書紹介」に載っていました。まだ出たばっかりの本です。

 

「激しく考え、やさしく語る」 

1931年に米国駐在の僧侶の子に生まれ、開戦前に帰国して東京から花巻に疎開。敗戦後に夢中になった服部之総の「親鸞ノート」、文学体験としてのマルクス主義など、宗教学者が精神の軌跡をたどる。新聞連載「私の履歴書」と補完するインタビュー。
山折哲雄著 日経プレミアシリーズ・961円

(朝日新聞2019年4月6日掲載)

 

本の題名については、吉本隆明が海岸でおぼれたが生き返った、そのことを日経新聞ののコラムに以下のように書いたことからきているという。

吉本さんは厳しい批評をする人だけれども、やさしい口ぶりで、わかりやすい言葉で話をする人だと書いた。その後、頭の中で自然に、その自分で言った言葉がよみがえってきて、僕のモットーになりました。「激しく考え、やさしく語る」という言葉をつくったんです。それ以来、色紙を頼まれると、それを書くことにしています。

 

本の「内容紹介」を見ると、以下のようにあります。

「生の終焉 軽くなる存在」「重荷の対極に涅槃の境地」――2018年3月に日経新聞朝刊に連載された「私の履歴書」の連載第1回の見出しは異彩を放った。多くの読者を獲得した『「ひとり」の哲学』の著者が来し方を振り返ると、その個人史は特に戦後、多くの日本人が失ってきたものを血肉化して次代につなぐ孤独な闘いであったことがわかる。
日本に「哲学」は存在しない、あるのは「思想」だけであり、源流は著者のライフワークでもある親鸞をはじめとする仏教者に淵源を求め、その思想は万葉の歌、そして縄文にさかのぼる。そこに辿り着くためには、マルクス主義への傾倒、ドストエフスキーへの耽溺、インドへの渇望、柳田國男への共感など様々な経緯を辿るが、故郷・花巻を故郷と思えない米国生まれの希有な生い立ちが「ひとり」の哲学に起因していることに行き着く。
と、第一部はある宗教学者の「私の履歴書」ではあるのだが、その来し方を「何ともうっとうしい重い荷物」と言い切るところが、よくある自伝とは趣きを異にする。その断章に近い第一部の一篇一篇が基づく思想を、日常的な言葉によって身近なものにするために、執筆後にロングインタビューを敢行、第二部として収録した。第一部・第二部双方が光となり影となって補い合うことで、著者の孤独な闘いで得てきたものが見える。特に戦後、いや近代化が始まった150年前から、日本人が失ってきたものなのだ。
人生百年時代と言い、多くの人が老いのその先を生きねばならなくなった。終活のみが盛んに叫ばれるが、それは突き詰めればお金の問題に過ぎず、生き方とは何の関係もない。生き恥を晒すか、晩節を汚すか、すべては覚悟の問題だ。日本人は古来、死後の世界のことを見据えて生きてきた。そのことに思いをはせることなく、よく生きることはできないのではないか。本書では、ひとりの個人史が時代への大きな問題提議となっている。

 

山折が高村光太郎を批判している箇所があります。

光太郎には、花巻方言が理解できなかったばかりか、方言を無造作に扱うところがありました。花巻の桜町に建てられた「雨ニモマケズ」の詩碑の問題です。光太郎の書では「ヒドリ」を「ヒデリ」に直していた。それが後にどちらが正しい読みかをめぐって論争をまきおこすことになりました。そのような書き方の間違いをおこしたのは、光太郎が花巻方言を理解していなかったからではないかという批判が出てくるんですね。

 

高村光太郎が晩年に住んでいた小屋が岩手県花巻にあります。光太郎は、1945年10月から1952年10月までの7年間、この小屋に一人で暮らしていました。62歳から69歳まで、独居自炊の生活でした。小屋は鉱山の飯場小屋を移築したもので、冬には夜具の上に雪が降り積もったという。外便所の引き戸を開けると、光太郎の「光」のえぐれた文字から光が差し込んだと、小屋を訪れた山折はいう。

 

目次
第一部 私の履歴書
病を重ねて/米国生まれ/帰国して/太平洋戦争/疎開/東京大空襲/花巻空襲/敗戦/本の虫/古本屋通い/出会いと訪問/雨ニモマケズ/母・いさむ/父・時雄/旧制高校受験/寮の生活/寮の仲間/同人雑誌/焦躁感/印度哲学/東京へ/蓮如への関心/「思想の科学」/緊急入院/神田龍一さん/インドへ/家永三郎さん/イスラエルの旅/三人の友の死/梅原猛さん/両親をみとって
ほか
第二部 ロングインタビュー 人生の重荷をおろして
故郷喪失者にとっての故郷/ドストエフスキーと服部之総/東北―賢治・啄木・茂吉、そして光太郎、遠野物語/ひとりの哲学の発露/インドとカオスと老荘/文学体験としてのマルクス主義/文学体験としての親鸞と吉本隆明/京都の人たち―桑原武夫・梅原猛・鶴見俊輔・梅棹忠夫・河合隼雄/思想と哲学/老いと死―生き恥をさらすか、晩節を汚すか
あとがきに代えて 戯れ歌
 
山折哲雄:
宗教学者・評論家
1931年、米国サンフランシスコ生まれ。東北大印度哲学科卒業。国立歴史民俗博物館教授、国立国際日本文化研究センター所長を歴任。現在は日本文化研究センター、歴史民俗博物館、総合研究大学院大学の各名誉教授。
 

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「親鸞を読む」

岩波新書

2007年10月19日第1刷発行

2014年5月26日第8刷発行

著者:山折哲雄

 

「教行信証 親鸞の世界へ」

岩波新書

2010年8月20日第1刷発行

2014年8月4日第4刷発行

著者:山折哲雄

(購入はしたがまだ読んでいません)