山種美術館で「川合玉堂―四季・人々・自然―」を観た! | とんとん・にっき

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山種美術館で、没後60年記念「川合玉堂―四季・人々・自然―」を観てきました。11月18日、土曜日ということもあり、思っていた以上に込み合っていました。川合玉堂の人気の高さがうかがわれます。


山種美術館館長の山崎妙子は、山種美術館と川合玉堂の関係を、以下のように述べています。

玉堂とも、きわめて近しい間柄であった。戦時中に奥多摩に疎開していた玉堂は、この風光明媚な環境で制作することを好み、戦後も住んだ。種二は、忙しい仕事の合間に、しばしば玉堂邸を訪問していた。種二の長女の結婚祝いとして贈られた「松上双鶴」という作品も当館のコレクションになっている。現在、70点もの玉堂作品を当館が所蔵しているのも種二と玉堂の親しさゆえであろう。(「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」より)


山種美術館で2013年6月にも、「川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―」という展覧会が開催されていました。

山種美術館所蔵の代表的な玉堂作品は、例えば、「鵜飼」(明治28年)、「渓山秋趣」(明治39年)、そして今回のポスターにも取り上げられている「早乙女」(昭和20年)、この3点が「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」に取り上げられています。前の2作品は何度も観ていて、もちろん今回の展覧会のトップを飾っていますが、「研鑽の時代(青年期から壮年期へ)」に入れられている若い頃の作品なので驚かされます。

山種美術館で「川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―」を観た!

以前、奥多摩の「玉堂美術館」を訪れたことがあります。

奥多摩の旅・玉堂美術館



「玉堂美術館」は、奥多摩へ行ったら是非とも行かなくちゃ、と思い定めていた美術館です。家人が突然、「御岳山へ行こう」と言い出して御岳山へ行ったのは2008年8月の暑い日のこと、今から4年前のことです。日本画家・川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年を青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられた美術館で、設計は日本芸術院会員で東京芸大教授の吉田五十八でした。没後4年の昭和36年5月に開館しました。展示作品は、玉堂15歳の頃の写生から84歳の絶筆まで、幅広く展示されていました。年7回の展示替えで、季節に見合った作品が展示されるようです。玉堂の絵の特色は、写実を超えた自然の気韻を観る者に惻々と感じさせるところにある、とはチラシの解説にありました。

講談社野間記念館で「川合玉堂と東京画壇の画家たち」を観た!


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 若き日の玉堂―修学の時代―

第2章 玉堂をめぐる日本の原風景―四季・人々・自然―

     大正から昭和へ

     奥多摩時代

第3章 素顔の玉堂

     戦時下の玉堂

     親しき人々

     松竹梅

     身近なものへのまなざし



第1章 若き日の玉堂―修学の時代―




第2章 玉堂をめぐる日本の原風景―四季・人々・自然―

     大正から昭和へ








     奥多摩時代




第3章 素顔の玉堂

     戦時下の玉堂



     親しき人々



     松竹梅



     身近なものへのまなざし




没後60年記念「川合玉堂―四季・人々・自然―」

日本の山河をこよなく愛し、豊かな自然とそこに暮らす人々の姿を叙情豊かに描き出した川合玉堂(かわいぎょくどう) (1873-1957)。山種美術館では、没後60年を記念し、玉堂の画家としての足跡をたどり、その芸術を紹介する回顧展を開催いたします。

愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は、14歳で京都の画家・望月玉泉(もちづきぎょくせん)に入門。画壇デビューを果たした17歳から同じ京都の幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事しました。1896(明治29)年には23歳で京都から東京へ移り、橋本雅邦(はしもとがほう)のもとでさらなる研鑽を積んでいきます。若い頃から好んで風景を描いた玉堂は、円山四条(まるやましじょう)派の基礎の上に、雅邦が実践した狩野(かのう)派の様式を取り入れ、さらに各地を訪ねて実際の景色に触れることで、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓いていきました。また、官展で審査員をつとめ、帝国美術院会員となる一方、東京美術学校教授、帝室技芸員に任ぜられるなど、東京画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しています。戦後は、疎開先の奥多摩にとどまって晩年を過ごし、大らかで温かみのある画風を展開させました。

本展では、初期の《鵜飼(うかい)》(1895年、山種美術館)から、大正期の《紅白梅(こうはくばい)》(1919年、玉堂美術館)をはじめとする琳派等さまざまな研究を経て新たな境地を拓いた作品、円熟期の《彩雨(さいう)》(1940年、東京国立近代美術館)、晩年の牧歌的な作風を示す《早乙女(さおとめ)》(1945年、山種美術館)や《屋根草を刈る(やねくさをかる)》(1954年、東京都)まで、代表作を中心とする名作の数々とともに、玉堂の70年にわたる画業をご紹介します。また、少年時代から俳句を嗜み、晩年には俳歌集『多摩の草屋(たまのくさや)』を刊行するなど、句作や詠歌は玉堂の生活の一部となっていました。玉堂の詠んだ詩歌が書かれた作品をとおして、家族や親しい芸術家との交流にもスポットをあて、素顔の玉堂の魅力をお楽しみいただきます。


「山種美術館」ホームページ


ya1 没後60年記念

「川合玉堂―四季・人々・自然―」
図録(小冊子)

2017(平成29)年10月28日発行

監修:山下裕二[(公財)山種美術館評議員/山種美術館顧問/明治学院大学教授]

編集:山種美術館学芸部

発行:山種美術館




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