日本橋・丸善でハヤシライスを食べる!
先日、と言っても3月の初めでしたが、日本橋三越に「フンデルトワッサー展」を見に行きましたが、その時に丸善の「ハヤシライス」が食べたいと思い、日本橋高島屋の前にある丸善の本店へ行きました。そうしたらなんとまだ工事中、看板にはあと1週間で丸善日本橋店がオープン(3月9日)とのこと、残念ながらその時は引き返しました。さて、「ハヤシライス」は日本で誰が最初に作ったのか?諸説がありますが、最も数多く取り上げられているのが、丸善の創業者・早矢仕有的が最初に作ったという説です。
ハヤシライスの生みの親「早矢仕有的」
ハヤシライスを生み出したのは、丸善の創業者・早矢仕有的と言われています。丸善の百年史には、「幕末か明治の初年のことであろう。友人が訪問すると、有的はあり合わせの肉類や野菜類をゴッタ煮にして、飯を添えて饗応するのが常であった。そこから人々はこの料理をハヤシライスといい、ついにはレストランのメニューにまで書かれるようになった」という一節があります。こういった内容から当時既に商社を経営していて好奇心旺盛な早矢仕が友人を驚かせようと、今のハヤシライスに近い料理を振る舞っていたと考えられます。(「MARUZEN cafe」に掲げられていた看板)
他にも「ハヤシライス」の由来についていくつかの説があります。横浜で開業した洋食店「上野精養軒」の料理長林氏がカレーライスにヒントを得て賄い食としてハヤシライスを考案したという説。ハッシュドビーフにライスに添えたところからきたいう説。これは、ハッシュドビーフライスが訛りハヤシライスになったとも言われています。「ハヤシライス」、なんとなく「明治の文明開化」という感じがしますが、日本人が好むようにご飯にぶっかけた簡単な料理と言えます。が、しかし、ハヤシライス、どこで食べてもやっぱり僕の口にはちょっと甘い、甘過ぎです。「お子さま」にはちょうどいいのでしょうが。
文明開化といえば、以前、六本木ヒルズの地下にある「66ダイニング六本木六丁目食堂 」というちょっとレトロな感じのお店で、オムライスの上にハヤシライスをかけた「ハヤシソースのオムライス」を食べたことがあります。また、先日、東京ミッドタウンを歩いていたら「東京ハヤシライス倶楽部 」という客席が10席ほどのお店を発見。こちらは「黒ハヤシライス・辛味」がおすすめだとか、テイクアウトの人も多く見かけました。
さて、ここで「丸善」について、少し。
文明開化と丸善
丸善は福沢諭吉の門下生であった早矢仕有的により、明治2年(1869年)に商社として誕生しました。創業に当たって書かれた「丸善商社之記」を開くと、「日本全国ノ反映ヲ謀リ同国人の幸福ヲ助ケ成サヽル可ラズ」という力強い言葉が目に飛び込んできます。当時の若々しい日本の意気込みを良く表していると言えましょう。(「MARUZEN cafe」に掲げられていた看板)
「The First MARUZEN」触れることから、本との冒険は始まる。
明治2年(1869)横浜に産声を上げた「丸善」は、翌年には日本橋にも店舗を構えました。丸善創業者の早矢仕有的は、福沢諭吉の日本近代化しそうに共鳴し、門下生となった人物です。福沢の描く近代化を実現するために、早矢仕は、西欧の科学、技術、文化の導入がチカラになると考え、知と文化を事業とする丸善を興しました。新生「日本橋店」のコンセプトは、「The First MARUZEN」。伝統と新しさの融合した店舗空間、厳選した品揃え、きめ細かなサービスで、丸善「第一」の品質を提供する店舗を目指します。(丸善日本橋店案内チラシより)



