松浦寿輝の「花腐し」を再読する! | とんとん・にっき

松浦寿輝の「花腐し」を再読する!

花腐し


川上弘美の「夜の公園」についてこのブログで取り上げたときに、「松浦寿輝×川上弘美トークショー 夜の公園で散歩のあいまにこんなことを考えていた」について、下記のように書きました。


あれれ、なんでまたこの二人がトークショーを?松浦寿輝は、「花腐し」で芥川賞を受賞した作家です。もちろん僕は、「文芸春秋」で受賞作が掲載されていたときに読みました。最近、「花腐し」(2000年8月1日第1刷発行)の単行本をブックオフで手に入れて、再読しようと思っていたところでした。受賞当時、東京大学教授が芥川賞を受賞したということで、大いに話題になりました。それとはまったく別に、松浦寿輝の「エッフェル塔試論」という本(1995年6月20日初版発行)、定価3900円というちょっと高価な本ですが、発売と同時に購入して読みました。実はこの2冊の著者が同じ人だとは、しばらくの間、僕の中ではつながりませんでした。これらに関しては、そのうち記事として書こうとは思っています。


ということで、松浦寿輝の「花腐し」について、書かなければならない羽目に、身から出た錆、自分を追い込んでしまいました。2000年に第123回芥川賞を受賞したときに文芸春秋で読んで以来、6年ぶりに「花腐し」を読んだことになります。併禄されている「ひたひたと」も入れても僅か150ページの単行本、一気に読みました。「花腐し」は、以前読んだときに受けた印象とほとんど変わりません。そうとう推敲されたのか、はたまた天分か、簡潔で明瞭、しかも洗練されていて、松浦の文章の素晴らしさを改めて感じました。考えてみれば、1988年に 詩集「冬の本」で第18回高見順賞を受賞しているし、「エッフェル塔試論」を初めとして、評論家としても多くの書を世に問うています。「エッフェル塔試論」は別の機会に書くとして、ここでは「花腐し」について。


同棲した祥子の死から10数年、栩谷は、友人と作ったデザイン事務所が行き詰まって倒産に追い込まれ、礼金ほしさに、多国籍な街、新宿・大久保のアパートで一人頑張っている伊関の立ち退き交渉に行くが、したたかな伊関に誘われてビールを飲みながらついつい話し込むことになってしまう。部屋には少女が眠っていて、伊関は幻覚作用のあるキノコを売っているらしい。キノコの腐臭に酔った栩谷は、少女と交わり、祥子に似た姿を見かける。生死の境が溶けていくような妖しさを、男の現在と過去とを重ね合わせ、その精神の彷徨の一夜を雨の中に描いた、古風で知的な文体の小説です。


祥子との関係について、栩谷は次のように言います。「そうか、とだけ呟いて黙ってしまった俺の冷たさに祥子はきっとひどく傷ついたのだ。あの『そうか』、一つをきっかけに俺たちの関係は腐りはじめたのだ。腐って、腐って、そして祥子は死んで、俺の方もとうとうこんなどんづまりまで来てしまったということなのだ」。そして「40代も後半に差し掛かって、多かれ少なかれ腐りかけていない男なんているものか。とにかく俺の会社は腐ったね。すっかり腐っちまった」と言うと、伊関が「卯の花腐し・・・」と呟きます。「春されば卯の花腐し・・・って、万葉集にさ」と言います。


「卯の花腐し」は、陰々と降り続いてウツギの花を腐らせてしまう雨のことを言うそうです。卯の花月、すなわち陰暦4月の季語です。あたりの腐臭を立ちこめさせる「卯の花腐し」には、ひたすら陰気な鬱陶しさしかありません。今の日本にはそうした雨がじくじくと降り続いているように思われると、松浦寿輝は言います。確かに「花腐し」は、廃屋寸前の木造家屋やら、蒼い光の中で栽培されるキノコやら、「幽(かすか)」で甘い時代の腐臭に覆われています。著者は、現役の東大大学院総合文化研究科教授でもあり、古井由吉選考委員は、「東大も変質した、東大教授になっても、やっぱり往生できないんでしょう。」と、冗談交じりに話したそうです。


「このあたり、なにしろコリアン・タウンみたいになってきてるじゃない。あっちこっちハングル文字の看板だらけで、日本語が申し訳程度に添えられているだけでさ」と、ぼろアパートに居座っている伊関が、栩谷に言う個所があります。


若い頃、半年ぐらいだったか、戸山ハイツの知り合いの家に下宿していたことがあります。その頃はバス代を節約するために、新宿から歌舞伎町と大久保の旅館街を突っ切り、戸山ハイツまで歩いて帰ったものです。知人が友人と共に「外国人居住と変貌する街」という本を書いたことがありました。女性だけ4人のグループです。そこで取り上げられている地域はまさに「花腐し」に表されている大久保の街そのものです。彼女たちは、大久保のエスニックタウンの外国人住宅事情を調査研究し、その結果を取り纏めた本でした。1994年12月の出版ですから、まちづくりの新たな課題として大久保かいわいを取り上げた、初めての著作だったのではないかと思います。


松浦寿輝×川上弘美トークショー
夜の公園で散歩のあいまにこんなことを考えていた


エッフェル塔試論 「エッフェル塔試論」
著者:松浦寿輝
発行:筑摩書房
1995年6月20日第1版発行
定価:3,990円(税込)
1889年のパリ万国博に際して建造されて一世紀余―「近代」と「表象」とをめぐるさまざまな問題を集約的に体現した特権的な記号として虚空に屹立する「塔」を、透徹した論理と輝かしくも華麗なエクリチュールで徹底的に読み解く記念碑的力作。


外国人居住 「外国人居住と変貌する街・まちづくりの新たな課題」

著者:まち居住研究会

発行:学芸出版社

1994年12月10日第1版発行

定価:2987円(税込)

外国人は、どのような街でどのような住まいに暮らしているのだろう。外国人を迎え入れることで、街はどう変わりつつあるのだろう。克明な踏査でその現実と実体を明らかにし、内なる国際化のための方途を考える。