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2005年10月23日 23時35分17秒

大江健三郎について

テーマ:本でも読んでみっか

ノーベル賞作家大江健三郎、といっても、小説は意外に読まれていないんですよね、ノーベル賞作家として名前が知られているわりには。障害を持った子供の親としての方が知られてる?読んでもいないのに、難解な小説だと決めつける人が多い?読んだとしても、最後まで読めない人が多い?大江健三郎の小説が読まれていないのは、どうしてなんでしょうか?大江健三郎を、10代の頃から長年読んできたものとしては、残念でなりません。


とりあえず、僕の手元にある本だけでも並べてみましょう。

とはいえ、僕がリアルタイムで読み始めたのは60年代中頃からですが・・・
1950年代
 死者の奢り
 飼育
 芽むしり仔撃ち
 性的人間
 セヴンティーン
 われらの時代
 遅れてきた青年
1960年代
 政治少年死す
 叫び声
 空の怪物アグイー
 日常生活の冒険
 個人的な体験
 万延元年のフットボール
 我らの狂気を生き延びる道を教えよ
1970年代
 洪水はわが魂に及び
 ピンチランナー調書
 同時代ゲーム
1980年代
 新しい人よ眼ざめよ
 いかに木を殺すか
 河馬に噛まれる
 懐かしい年への手紙
 人生の親戚
1990年代
 静かな生活
 燃えあがる緑の木 第一部 「救い主」が殴られるまで 
 燃えあがる緑の木 第二部 揺れ動く<ヴァシレーション>
 燃えあがる緑の木 第三部 大いなる日に
 宙返り 上・下
2000年代
 取り替え子(チェンジリング)
 憂い顔の童子
 さよなら、私の本よ!


大江は自分の作品を、「奇妙な仕事」から64年の「個人的な体験」までを初期とし、四国の森を舞台にした67年の「万延元年のフットボール」から99年の「宙返り」までを中期としてとらえています。そして、97年に自殺した伊丹十三への追悼の思いを込めた00年の「取り替え子(チェンジリング)」、老作家のドン・キホーテ的なドタバタ劇「憂い顔の童子」、そして「さよなら、私の本よ!」と続くのが「後期の仕事(レイターワーク)」として位置づけています。


ということで、まずは、「燃えあがる緑の木」第一部「救い主」が殴られるまで、第ニ部揺れ動く<ヴァシレーション>、第三部大いなる日に。これは、大江健三郎が「締めくくり」と呼ぶ、最後の3部作であり、93年から95年にかけて、1年ごとに刊行されたものです。森に囲まれた谷間の村で繰り広げられる、「救い主」と見なされたギー兄さんと、今は女性として生きる両性具有のサッチャンの再出発から、ギー兄さんの最後の決断と突然の死、そして未来への励ましに満ちた大いなる結末!この3部作は、前作「懐かしい年への手紙」の続編でもあると言えます。さらに言えば、「懐かしい年への手紙」と次作「宙返り」へと至る、スーパー三部作第二部と言うこともできるものです。


次は、「宙返り」上・下。最後の3部作「燃え上がる緑の木」、自ら「締めくくり」と呼び、一旦はもう小説を書かないと宣言した大江健三郎の、小説復帰第一作目です。ノーベル賞受賞から5年目の1999年6月に刊行された作品。瞑想によって神との交信を行うという師匠(パトロン)、師匠(パトロン)が瞑想後に語る言葉を聞き取る案内人(ガイド)。2人は暴走する教団内の急進派を押さえるために、自らの教義を否定し、すべて冗談だったと「宙返り」を行います。それから10年後、彼らは再び活動を再開します。


そして、「取り替え子(チェンジリング)」、「憂い顔の童子」を経て「さよなら、私の本よ!」です。「取り替え子(チェンジリング)」は、自らの意志で向こう側へ行ってしまった友-義兄の映画監督伊丹十三に捧げる作品ですね。「さよなら、私の本よ!」は、その吾良の語りかけへ古義人が返答するという対話から始まります。「取り替え子(チェンジリング)」の続編「憂い顔の童子」は「取り替え子」の設定はそのまま引き継がれます。主人公の長江古義人は、母親の死をきっかけに、母親の遺志にしたがい森の中の村へ長男のアカリとともに移り住むことになります。

そして、最新刊「さよなら、私の本よ!」です。第一部は「むしろ老人の愚行が聞きたい」、第二部は「新だ人たちの伝達は火をもって」、第三部は「われわれは静かに静かに動き始めなければならない」というタイトルが付けられています。国家の巨大暴力に対抗するため、個の単位の暴力装置を作る繁と、人類の崩れの「徴候」を書きとめる古義人。「おかしな2人組」の、絶望から始まる希望を描く長編小説です。


おれの母ときみのお母さんに密約があったとして……つまりおれときみがね、おたがいに相手のために死のうとする間柄だ、と考えることを彼女らは望んだわけだ。そのおれたちが、こうして老人となり、もうあらかた、現世でやっておかねばならぬ仕事はやりおおせた。そういう境遇で、徹底して新しいことをやってみる気になれば、それは面白いものになりうるのじゃないだろうか? なかなか得難い結ばれ方の、二人組のやることだぜ。
大江健三郎:「さようなら、私の本よ!」より



大江健三郎が70歳を過ぎ人生の節目仕事の区切りが重なって、「晩年の仕事の方向性が見えてきた」と語ります。講談社は、「大江健三郎賞」の創設を発表しました。ノーベル賞作家の大江健三郎が1人で選考にあたり、可能性、成果を最も認めた「文学の言葉」を持つ作品を受賞作とするそうで、賞金はなく英語への翻訳と世界での刊行を賞とするとのこと。大江は、「世界に向かって日本のいい文学の言葉を押し出したい。日本の国内で純文学は話題にされなくなっているが、社会の中心にいる人に、もういちど小説を本気で読んでみませんか、と伝えたい」と言います。粗悪な賞が乱立し、安易に作家を粗製濫造している現在、この賞が社会に定着し、成功することを祈ります。



先日、「世界一のインテリは誰か」という調査で、米国の言語学者でマサチューセッツ工科大学(MIT)名誉教授のノーム・チョムスキー(76)が断然トップになったというニュースが流れました。大江健三郎も、小説だけではなく、「ヒロシマノート」や「沖縄ノート」を始め、過去40年間戦争など政治・社会的な課題を声高に一貫して批判してきた人物としても知られています。憲法改定の動きに対しては、加藤周一らと「9条の会」を発足させて、各地で精力的に講演活動も行っています。「世界一のインテリ」とは言わないまでも、大江健三郎こそ、日本の良識を導き代表する知識人と言えると思います。

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2005年10月19日 01時06分52秒

小池真理子の「欲望」を読んだ!

テーマ:本でも読んでみっか

端境期」ということで、読む本と読む本の間に読んだ本ということで、小池真理子の「」については、今年の1月に記事にしました。全体的に陳腐な作品で、官能的というわりには官能的でない。確かに表紙は官能的ですが、この程度の本がなんで直木賞なの?と言いたいわけです。と、大いに皮肉を込めた記事でした。藤田宜永の「愛の領分」、偶然にも、本にも「端境期」のようなものがある、という書き出しで、10月の初めに記事にしました。読み終えた感想として、十分に齢を重ねた男が、やはり愛にも領分があったのだと気付くというお粗末な結論で、これが直木賞受賞作?、という疑問を呈した記事でした。

小池真理子の「恋」!?
藤田宜永の「愛の領分」を読んだ!



三島由紀夫邸を寸分違わず模倣した変奇な館に、運命を手繰り寄せられた男女。図書館司書の青田類子は、妻子ある男との肉欲だけの関係に溺れながら、かつての同級生である美しい青年・正巳に強くひかれてゆく。しかし、二人が肉体の悦びを分かち合うことは決してなかった。正巳は性的不能者だったのだ。切なくも凄絶な人びとの性、愛、そして死。小池文学が到達した究極の恋愛小説。


1996年に「」で第114回直木賞を受賞後、1997年、2年ぶりに書き下ろされた長編小説が「欲望」です。384ページの分厚い力作ですが、だが「小池文学が到達した」とはお世辞にも言えない、内容は陳腐で、安っぽいありきたりの小説でした。


主人公は、図書館の司書として20年も働く類子。たまたま入った「東京回顧写真展過ぎ去りし宴」という写真展で、そこに写っていたのが「袴田邸新築記念パーティ」。その様子が、類子に昔を思いさせることになります。類子阿佐緒正巳は、中学時代からの同級生、女らしく妖艶で男性の注目の的である阿佐緒、美しく知的な少年正巳、類子は美人でもなく、ごく普通の平凡な女性です。正巳は阿佐緒に引かれ付き合い始めるが、交通事故により性的不能となったあと阿佐緒と別れます。類子はそんな二人をみながら、正巳に惹かれていきます。作品の中で随所に、正巳から類子への手紙が使われます。あまりにも説明的すぎます。果たして、この手紙が必要だったかどうか?正巳が身体を使って外で働く造園業者というのも、納得できない設定だと思います。


肉欲を伴わない精神的な快楽を求める気持ちと、妻子ある男と異様なまでの性愛にふけるという、類子の中に両立して存在します。阿佐緒の歳の離れた夫袴田の三島由紀夫的なところが取り上げられ、共に読書好きな類子と正巳の間にも、三島由紀夫の作品について何度か話題にのぼります。しかし、三島由紀夫については、ここ作品の中ではほとんど空回りです。ラストが、まったく陳腐です。阿佐緒は袴田に買ってもらったばかりの自動車に乗り、自動車事故であっけなく亡くなります。正巳は遊泳禁止区域に自ら入って泳ぎ始め、戻ってきません。この二人の死に方は、いかにもありふれていて、簡単に想像がついてしまいます。


袴田の居所を当たってももらっていた写真家から電話があり、袴田の行方がわかります。類子は「女性で朗読の仕事」に応募して、檜原村に住んでいる袴田に会いに行きます。ここでも三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の第四巻「天人五衰」が出てきます。類子がパーティの時に拾い上げた楓の落ち葉が、正巳の手に渡り、それがこの本の間に挟まっていた、しかも、その本は三島由紀夫邸を模して建てられた袴田邸の火災現場から奇跡的に1冊だけ運び出されたというのです。こんな陳腐な偶然はあり得ないです。


「何故、いまごろになって、私に会いにいらっしゃったのですか」と袴田に聞かれると、類子は「ただ、袴田さんにお会いしたかった。それだけです。」と言いながら、「かつて誰よりも深く愛した人が、あなたとどこか似ていたから・・・」、そう言ってみたい気持ちにかられたが、言えなかった。あれっ、なにそれ?つまり、この作品、「ありえね~」の連続で、至る所に作為が見え隠れしていて、リアリティがまったく感じられません。そうこうしているうちに、「欲望」映画化のニュースが!こういう映画は話題性もあるし、けっこう当たるのかもしれませんが、小説としてはテレビドラマの脚本の域を出ません。



男が不能になったら…「欲望」深く濃く描く映画
愛=SEXでないと多くの人が認めるだろう。では逆に、SEXなしに真の愛は成り立つか。この秋注目の恋愛映画「欲望」(11月中旬、東京・渋谷のアミューズCQNで公開)は、“男が不能になったら…”というテーマに真っ向取り組む。原作は女性に絶大な人気がある直木賞作家、小池真理子氏の同名小説だ。愛の深遠さを濃厚に描いた篠原哲夫監督は、「小池さんは、“性”を介在させる愛のありようを追求してきた方ですが、『欲望』では不能になってしまう男の側から描いている。なるほど、その手があったか、と衝撃を受けました。SEXはできないが、欲望はある。そんな場合、女性は精神的なかかわりを深めようとし、そうならざるを得ない、と」主人公の類子(板谷由夏)は、20代後半の独身。同僚の五郎(大森南朋)との不倫で肉体的な快楽を享受している。本物の“愛のムード”に酔える大人の映画。男を“卒業”していない人なら、必見だ。
夕刊フジ:10月17日


映画「欲望」HP

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2005年10月18日 00時03分00秒

「タンタンの冒険旅行」が出てきた!

テーマ:本でも読んでみっか

タンタンの冒険旅行」はベルギーの漫画家エルジェによって描かれた漫画です。ニッカーボッカー・スタイルもさっそうと、コートのすそをひるがえし、相棒の白い犬スノーウィを友として、チベットから南米へ、はては月世界まで冒険の旅に出かける、われらが少年レポーター、くるっとはねた前髪タンタンの物語です。原作はフランス語ですが、世界50カ国語以上に翻訳され、2億部が販売されているそうです。日本語版は福音館から、全24冊のうち20冊が日本語に訳されているそうです。


家が狭いので少しでもアキを作ろうと、家の中の本棚や押入の中を整理していたら、荷造りテープに縛られた「タンタンの冒険旅行」が出てきました。子どもが小さい頃、よく読んであげた絵本です。偶然、家に来ていた子どもに聞くと、そのうちに持って帰ると言い置いて、帰ってしまった。以前、家人に、家には絵本がないね、と言ったら、子どもの本だから、子どもが持って行ったんでしょ、子どものところにあるはずよ、と言われたことがありました。


なんだ、「タンタン」、家にあったんじゃないかと思い、広げてみると、全15冊中、14冊しかなくて1冊足りない。1冊でも足りないと気持ちが悪い。ん?全部で15冊だったかな?調べてみると、日本語版は福音館から、全24冊のうち20冊が日本語に訳されているとこのこと。またまた家人にそのことを言うと、シリーズは、全冊買ったはずだから、どこかに紛れ込んでいるんでしょ、と、かるく一蹴されてしまいました。結局、残りは未だにどこにあるのかわかっていません。はやい話が、子どもに聞けば、残りがあるのかないのか、すぐ分かることなんですが。


*「TINTIN JAPAN」のHP

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2005年10月17日 00時03分00秒

小説家・大江健三郎と建築家・原広司の関係

テーマ:本でも読んでみっか

大江健三郎の最新刊、「さよなら、私の本よ!」を購入し、読み始めています。義兄の伊丹十三が亡くなってから書かれた「取り替え子」「憂い顔の童子」に続く作品です。本の帯には「絶望からはじまる希望」と書いてあります。ところでこの本、カバーが建物の屋根の鼻先のようなものが描かれていて、本を開くと、雨樋の取り付け図のような部分と鉄骨の柱のようなものが描いてあります。不思議に思って「装画」の項をみると、そこには原広司「ディスクリート・シティ」より、と、記入がありました。そうか、これは原広司が使った詳細図、あるいは施工図の一部であり、それを「装画」として本のカバーや表紙に使ったんだ、ということがわかりました。ノーベル賞受賞作家の大江健三郎と建築家の原広司、共に東京大学卒業、ほぼ同年代で、旧知の仲のようです。



原広司は1936年生まれ東京大学数物系大学院建築学専攻博士課程修了後東京大学生産技術研究所教授を長らく勤め、1997年に東京大学を退官しました。設計活動は、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所として行ってきました。原広司が発表する建築は常に話題に満ちています。それは常に新しい建築を模索し開発するチャレンジ精神に満ちているからです。初期の「粟津邸」や「自邸」からして“都市を埋蔵する”と言うし、「梅田スカイビル」では連結超高層、「JR京都駅ビル」ではジオグラフィカル・コンコースで谷をつくり、「札幌ドーム」ではグランドが建物に出入りするというアイディアで世間の注目を引きました。1970年代に始めた世界の集落調査が、原広司の建築活動のベースになっています。


1988年に刊行された岩波新書赤版の一冊目、「新しい文学のために」で大江は、①[あらゆる部分]。②[同じもの]。③[場所に力がある]。④[離れて立つ]離れて立て。⑤[すべてのものにはすべてがある]。⑧[伝統]ある場所の伝統は、他のいかなる場所の伝統でもある。⑩[矛盾]矛盾から秩序を育て上げよ。⑮[混成系]。を取り上げて、「新しい書き手へ」と一章をもうけています。時間軸で比較してみると、まだ単行本が出ていない段階、建築の専門誌「建築文化1987年4月号に、原の文章が掲載された時点で、大江が着目していたことがわかります。



1992年に、大江の故郷の中学校、高知県喜多郡内子町大字大瀬子にある、内子町立大瀬中学校が、原広司の設計で完成しています。この学校は生徒数84名、学級数3、職員数15名といった小さな中学校です。もちろん原は、大江の著作を丹念に調べ上げ、要所を内子町の実際の地図上にプロットする作業を行ってから、中学校の設計に入りました。その中学校の建築は「燃え上がる緑の木」の中で、重要な舞台となる礼拝堂として登場しています。物語の中では原をモデルとした人物が「荒さん」という名前で登場するほどです。



宙返り」の下巻、第17章に「場所には力がある」という章があります。そのなかで、引退した中学校長婦人のアサさんが、次のように言います。「私がテン窪で若い人たちのされることに惹きつけられますのはな、ここを設計された建築家がいわれたことですが、《場所に力がある》せいなのじゃないか?私も、場所の力ということはある、と思うんですよ。このあたりにも昔から土地の力という言い方はあるのですか・・・」


内子町立大瀬中学校

集落の教え100」は、たとえば、こんな具合に続きます。
[4]離れて立つ
離れて立て。
[12]不動なるもの
集落が好むのは、不動なるものではない。絶えざる変化であり、展開である。
[13]複雑さ
複雑なものは単純化せよ。単純なものは複雑化せよ。
その手続きの複雑さが人の心をうつ。
[16]共有するもの
人間が意識の諸部分を共有するように、諸部分がそれより小さな諸部分を共有するようにして、集落や建築をつくれ。
この方法が幻想的な世界の基礎である。
みんなでつくらねばならない。みんなでつくってはならない。
[17]飛び火現象
遠く離れたところで、似たことが考えられ、似たものがつくられている。同様に、遠い昔に、いま考えられていることを誰かが考えた。
[19]差異と類似
集落のあいだで、建物のあいだで、部屋のあいだで、差異と類似のネットワークをつくれ。
[21]物語
集落は物語である。集落の虚構性が、現実の生活を支える。


大江と同年代の建築家原広司は、長年にわたる世界の集落調査にたって「集落の教え100」を書きました。それは原の世界観と建築理論の要約ともいえますが、旅する建築家が静かに頭をたれつつ、集落の発する声に耳を傾け、それを書き留めたものでもあります。


「集落への旅」原広司著  岩波新書[黄版374]1987年
「新しい文学のために」大江健三郎 岩波新書[赤版 1]1988年


「集落の教え100」
著者:原広司  
発行所:彰国社
1998年3月30日第1版発行
定価:本体2500円+税

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2005年10月07日 00時03分00秒

藤田宜永の「愛の領分」を読んだ!

テーマ:本でも読んでみっか

第125回直木賞受賞作の藤田宜永の「愛の領分」、半年前にブックオフで購入。長い間本棚の中に眠っていましたが、本にも「端境期」のようなものがあるのか、数ある本の間をぬって読み終えました。藤田宜永の「愛の領分」、やはり直木賞受賞作ということと同時に、奥さんが同じ直木賞作家・小池真理子である、ということに話がいってしまいます。僕の場合、そういうことでもなければ、読むことのなかった作家の一人です。小池真理子の受賞が1995年の第114回、藤田宜永の受賞が2001年の125回、遅れること約5年ですね。なぜかその苦労を思うと「苦節5年」という表現が、妙に当てはまります。


藤田の受賞の時、小池真理子の方が、異常にはしゃいでインタビューに答えていたのが、印象に残っています。そうは言っても、藤田も早くから注目を浴びていたようで、95年には「鋼鉄の騎士」で日本推理作家協会賞を受賞しています。僕は推理小説はほとんど読みませんので知りませんでしたが。とはいえ、小池真理子の小説も「」しか読んだことがありません。「欲望」も買ってはあるんですが、これも読んでいない。そうこうしているうちに、「欲望」の「映画化」が進んでいるようで、そろそろ読まないとと思っていますが。


藤田宜永の「愛の領分」、作家の渡辺淳一が直木賞の受賞に際して「文章につやが増してきた。久々に正統な恋愛小説家が現れた」と評したと言われています。直木賞の選考基準を取り上げるつもりはありませんが、この本を読んで「うーん、そうかな?」という疑問が大いにあります。それはともかく、本の帯には派手にこう書いてあります。「直木賞受賞作。不倫でもないのに秘密の匂いがする。愛を信じられない男と女。それでも出会ってしまった彼らの運命。すべてをかなぐり捨てた4人がゆきつく果ては。待望の恋愛長篇。」どうも、これも「愛の領分」を言い当てていないような気がします。



こちらの方が、やや近いような気がします。
常に光の当たる場所を歩いてきたかに見える一組の夫婦。どこか暗い影をひきずる一組の男女。男は妻に先立たれ、女は不倫相手の自殺を経験していた。混沌としたこの世で、孤独な日々を送る男と女が偶然出会う。25年ぶりの再会が、お互いのあやうい過去を明らかにしていく。許すこと、許せないこと。忘れること、忘れられないこと。登場人物たちの苦悩と官能が、軽井沢の美しい自然を背景に繰り広げられる。大人の愛情模様を描いた待望の恋愛長編


仕立て屋の宮武淳蔵は28年ぶりに高瀬昌平と再会する。昌平は淳蔵を捜し、訪ねてきた。淳蔵の父親の旅館を昌平の父親が買い叩いた。淳蔵は買い戻すつもりだったが、うまくはいかなかった。そんな父親同士の関係のため、昌平との関係も悪くなりそうなものだったが、淳蔵は昌平を悪くは思えず、二人はは若いころ一緒に遊び歩いた仲だった。昌平の妻・美保子重症筋無力症にかかっており、美保子が淳蔵に会いたがっているから、是非家にきてほしいという。淳蔵は複雑な気分で塩田平に向かう。駅に着くと、偶然馬渕太一と再会。太一は妻・千代子と旅館で働いていた。淳蔵は太一の娘佳世と出会う。淳蔵は佳世に惹かれる。東京に戻った淳蔵に昌平から電話が入る。スーツを一着作ってほしいという。それから淳蔵は塩田平にちょくちょく行くようになる。淳蔵の美保子へのかつての想い、そして佳世との恋美保子の淳蔵への執着。昌平の突然の来訪の意味は?


仕立屋の淳蔵を中心に、昔の遊び友達の昌平、その妻で昔淳蔵と関係のあった美保子、さらに淳蔵の父が経営していた旅館で働いていた太一とその娘佳世、淳蔵の息子信也が主な登場人物です。主人公の宮武淳蔵、陰気くさい男です。煮え切らない男です。はっきりしない男です。昌平に対しても、美保子に対しても、そして妻や息子に対しても。「諦念」というといいように聞こえますが、そうは思えません。それを「仕立屋」という職業に表そうとしているようですが、キャバレーに勤めていた男が、修行の厳しい仕立屋に簡単になってしまうのは、あまりにも都合がよすぎます。


藤田宜永と小池真理子

全体の筋からはなくてもよかったのではと思わせる、男やもめの一人息子との葛藤亡くなった妻を描くために必要だったのかも知れませんが、これも巧く表現できてるようには思えません。特にボランティアに対する親子の考え方の差、あまりにも淳蔵の考え方は古すぎます。そして佳世の気持ちがどうなのか、淳蔵とのあまり官能的とは思えないベッドシーンが何度かあるにしても、お互いに結婚はしない、という考え方がどうしても見えてきません。結局、この小説は、自分勝手な我が儘の昌平と美保子に、淳蔵が引き回されるということだけに終わっています。

美保子をめぐる争いでは勝者の昌平が言う。「どんなに立派なものでも、着物に合わない帯がある。帯に合わない着物がある。お前と美保子は、ちぐはぐな帯と着物だった。そんなふらりを結びつかせてしまったのは、俺だけど、やっぱり、愛にも領分があるって思うんだ」と。十分に齢を重ねた男が、やはり愛にも領分があったのだと気付くという、お粗末な結論に至ります。え~っ、これが直木賞受賞作?、という疑問が、沸々と沸き上がってきました。


関連記事:小池真理子の「恋」!?

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2005年10月06日 00時03分00秒

講談社が「大江健三郎賞」創設 選考は大江氏1人

テーマ:本でも読んでみっか
(画像は毎日新聞)

講談社は4日、「大江健三郎賞」の創設を発表した。ノーベル賞作家大江健三郎氏(70)が1人で選考にあたり、可能性、成果を最も認めた「文学の言葉」を持つ作品を受賞作とする。賞金はなく、英語への翻訳と、世界での刊行を賞とする。第1回は06年1月から12月までの1年間に刊行された作品を対象とし、07年5月受賞作を発表する。選評の代わりに、大江氏と受賞作家の公開対談を行い、「群像」誌に掲載する。大江氏は、「世界に向かって日本のいい文学の言葉を押し出したい。日本の国内で純文学は話題にされなくなっているが、社会の中心にいる人に、もういちど小説を本気で読んでみませんか、と伝えたい」と話した。
朝日新聞:2005年10月05日


大江健三郎を、「奇妙な仕事」「飼育」「死者の奢り」や「芽むしり仔撃ち」等々、僕が10代の頃から長年見続けてきたものとしては、嬉しい限りです。そう言えば、江藤淳大江健三郎の責任編集、「われらの文学」全21巻の全集を出したのも講談社でした。
さっそく、朝日新聞夕刊の「素粒子」では、「ノーベル賞は受けたが文化勲章は断った作家が一人で選考という文学賞創設。ただし賞金はゼロ。」と揶揄?していますが。



たまたま最近読み終えた小澤征爾大江健三郎の対談本、「同じ年に生まれて・音楽、文学が僕らをつくった」を、この機会に紹介しておきましょう。活躍する世界は異なりますが、1935年の同年に生まれた彼らは、中学3年のときに現在の仕事を目指し、若手芸術家として時代の先端を走り続け、粘り強く仕事を重ね、世界的にもっとも評価される日本人として自らの人生を築き上げてきた、という点で共通しています。この本は40年来の友人である彼らが、青春時代家族教育民主主義音楽と文学、共通の友人武満徹、そして未来について、縦横に語り合った対談集です。


「同じ年に生まれて・音楽、文学が僕らをつくった」
著者:小澤征爾*大江健三郎
発行所:中央公論新社
2001年9月10日初版発行
定価:1400円+税

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2005年09月29日 09時17分47秒

河野多恵子の「秘事」を読む!

テーマ:本でも読んでみっか

河野多恵子について、このブログで触れたのは2個所あります。いずれも芥川賞を受賞した作品の「選評」の個所を引用しています。2月20日の個所。いつも歯切れのいい河野多恵子、今回は「グランド・フィナーレ」については、見事に一言もふれていません、無視、無視3月15日の個所。花村萬月の「ゲルマニウムの夜」。河野多恵子「確かな手応えを感じた。主人公の<悪あがき>にある真摯さに深い説得力があり、いたく引き込まれた。」と、絶賛。とあります。8月17日に書いた<芥川賞受賞作、中村文則の「土の中の子供」を読む!>では、河野多恵子の「選評」については、僕は特に触れてはいませんが、それは「今回の候補作には、ぜひとも受賞作にしたいものがなくて残念だった。」とあるからです。


そうです、河野多恵子は芥川賞の選考委員でもあります。著者略歴によると、1926(大正15)年、大阪生れ。大阪府女専(大阪女子大学)卒。「文学者」同人になり、’52(昭和27)年、上京。’61年「幼児狩り」で新潮社同人雑誌賞、’63年「」で芥川賞を受賞。著者に、「不意の声」「谷崎文学と肯定の欲望」(共に読売文学賞)、「みいら採り猟奇譚」(野間文芸賞)、「後日の話」(毎日芸術賞、伊藤整賞)など。日本芸術院会員。という、そうそうたる経歴の持ち主です。



そこで、本棚から引っぱり出して手にしたのがこの本。「小説の秘密をめぐる十二章」(平成14年3月15日第1刷発行)です。内容はというと、こんな本です。「小説はいかに書くべきか、文学の心得とはなにか。いまもっとも豊潤,かつ過激な作家河野多惠子が明かす創作の秘密。「デビューについて」から始まり「作家の嫉妬について」「剽窃の危険」に至るまで。『文学界』連載の単行本化」。河野多恵子のことを、ほとんど知らないで読んだ本、この本には参りました。歯切れがよくてテンポがよくて、言いたいことをものの見事にズバリと言ってのけます。「小説の書き方」を書いた本が数限りなく出ていますが、この本の右に出るものはありません。何度も読み直したい一冊です。


「河野多恵子のことは、ほとんど知らない」と書きましたが、本棚を探してみると「純文学書き下ろし特別作品」と銘打った、新潮社版、ハードケース入りの「回転扉」という本が出てきました。1970年11月20日発行ですから、今から35年前の作品です。ケースの裏を見ると、僕の好きな作家、吉行淳之介大江健三郎が「短評」を書いています。読んでいたんですね、35年前に!当然、内容についてはほとんど忘れていますので、これも読み直したい作品の一つです。


本の帯には「夫婦という《かくも素晴らしき日々》21世紀の小説を先駆ける傑作長編!」とある、河野多恵子の「秘事」を読みました。内容は以下の通り。「幸福な結婚」に隠された秘密とは。三村清太郎と麻子は、大学で知り合った、昭和11年生まれの同級生カップル。夫は一流の商社で順調に出世し、妻は聡明で社交的な、周囲も羨む睦まじい夫婦だ。だが、この結婚にはある事故が介在していた。周到に紡がれた夫婦の日常の結晶。とあります。


実は僕は「秘事」というタイトルに惹かれて、やや不純な気持ちでこの本を読み始めたのですが、完全な肩すかしでした。帯に書いてある通り、「夫婦はかくも素晴らしい」という小説であって、タイトルの「秘事」から想像するような小説ではまったくありません。交通事故の縫合手術で取りわすれられた糸をあとで抜く、そのときの感じが性交の感じと似ているといって顔をあからめるところや、夫婦がベッドではなく床に降りて、畳のもつ固さ快楽にふさわしい褥であるという、河野多恵子らしさが現れているところがあるにしても。男と女が結婚をし、共に淡々と生活をし、一生を終える。取り立ててなにが起こるというのではない平々凡々な生活、これほど「健全な夫婦」は他に例を見ません。昭和11年生まれの夫婦。読み終わってみると、高度経済成長期の一番いい時代に生きた夫婦であったということができます。僕らの時代は、こう簡単には行かないと思いますが。


麻子が死に瀕した場面で、以下の会話があります。
「麻子、僕はあんたが好きなんだ。何ともいえずに好きなんだ」と三村はベ ットの傍に屈んで言う。「ありがとう」と彼女が言った。「─どういうところが好きなの?」「感じがいいもの、ほんまに気持ちいいもの」「そうお風呂みたいね」と彼女は言って、けたたましく笑いだした。「ああ、おかしい」と言っては、ますます笑う。三村は笑顔になってやりつつ、ますます哀しくなる。
─僕はあんたとひたすら結婚したくて結婚したんだぞ。侠気や責任感はみじんもなかったんだ。それをあんたに言うてやりたかった。だが言うてやれなかった。これまで決して言わなかった。─彼は自分の臨終で言い遺してやるつもりだった。その言葉を無言で彼女に告げ続けた。


彼は自分の臨終でそのことを言い遺してやるつもりでした。予期に反して彼女の方が彼より先に臨終を迎えることになり、彼はそれを無言で病床の彼女に告げます。清太郎が麻子と結婚した理由は、麻子の怪我という「秘事」に対する同情からだったということのように見えますが、実は本当の理由は、清太郎が臨終の時に語りたかった言葉で、それが「秘事」であったということだと思われます。人はそれぞれ平々凡々と生きています。しかしそれは、他に代え難い自らのそれぞれに物語を持っています。なんの変哲もない物語が実はなかなか味わい深いものであるということを、逆説的に河野多恵子は言っているような気がします。


追記:
山田詠美の「ベッドタイムアイズ」が、文芸賞を受賞したときの河野多恵子の選評で、「感性や知性を認識手段とするだけでは捉えきれない未踏の真実を的確に生み出し、本当の新しさを示す。」と絶賛しています。と引用していました。

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2005年09月21日 00時03分00秒

桐野夏生の「アイムソーリー、ママ」を読む!

テーマ:本でも読んでみっか

魂萌え!」で、第5回婦人公論文芸賞を受賞した桐野夏生、昨年は日本作家で初の米エドガー賞候補にもなりました。「魂萌え!」は、突然夫を失った59歳の専業主婦が、夫の愛人の出現や息子との遺産争いに直面し、第2の人生を模索するという物語。「何か生き方のヒントを提示できたなら、光栄です。私が書いてきた激しい女性とは違う、普通の主人公が受け入れられたのもうれしい」と、インタビューに答えています。


そう、明らかに「魂萌え!」は、今までの桐野夏生の作品の系列とは異なっていました。「グロテスク」(第31回泉鏡花文学賞)、「残虐記」(第17回柴田錬三郎賞)、そして「アイムソーリー、ママ」、これで3部作が完了ということらしい。「私が書いてきた激しい女性」、まさに3部作の終了にふさわしい女性です、「アイムソーリー、ママ」のヒロイン、アイ子は!「アイムソーリー、ママ」のテーマは、「人はどこまで邪悪になれるのか」です。



児童福祉施設の保育士だった美佐江が、25歳年下の夫稔と、結婚20周年の食事に出かけ、焼き肉店で焼き肉を食べてアパートへ帰ってきて、「さあ、物語が始まるぞ」と思ったとたんに、松島アイ子に石油をかけられて、一瞬のうちに2人は焼死してしまいます。この事件の背景に盗み殺人逃亡を繰り返す女、松島アイ子の姿が見える時、更なる事件が引き起こされます。松島アイ子は、誰とも知れない娼婦に産み落とされ戸籍もないまま児童福祉施設に引き取られた。表情の乏しい下がり目をしたやせっぽちの女の子は、狡猾で残虐な悪魔と化していました。


いとも簡単に人を騙したり殺したりする怪物じみた女を描いた作品です。前2作と比べると、文章も相当荒っぽい内容も荒っぽい、というか、素描のような力強さを感じます。「ヌカルミハウス」「星の子学園」「狐久保家」「横須賀・どぶ板通り」「ネオシティホテル・グループ」「らいふドライクリーニング」「泥の会」等々、入り組んだ奇妙な人間関係です。細かいところにこだわってはいられない、なにしろ一気に書いた、という感じの作品です。そこは桐野夏生の筆力の凄さなのだろう、一気に読ませます。


これほど恵まれない哀れな状況のなかで育ったが故に、アイ子のゆがんだ性格を作り上げてしまった、ということだけでは言い切れない何かが「アイムソーリー、ママ」にはあります。顔だけ出して、冷たい土に埋められているエミさんから、「あんたの母親はこのあたしなんだよ」と告白を受けます。そのエミさんから「アイ子、お前、これからどうする」と聞かれ、アイ子は「真人間になる」と。「まにんげんって、どういうことなのよ」「わかりません。だけど、もう悪いことはしないようにします」とアイ子は答えます。


「アイムソーリー、ママ」
「アイムソーリー、ママ」HP


過去の関連記事:

桐野夏生の「魂萌え!」を読んだ!

桐野夏生の「残虐記」、読んではみましたが

桐野夏生の「グロテスク」

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2005年09月17日 00時03分00秒

詩とは、または、茨木のり子の「倚りかからず」を再読!

テーマ:本でも読んでみっか

ただブログ上でコメントのやりとりだけですが、Aさんというブログ仲間がいます。お会いしたことはありません。どうも「」をやっている人らしい?「詩のボクシング」を観戦に地方まで飛び歩いたり、自分でも参戦している?ようです。なにしろ僕は詩を詠むこともなければ、詩集を買って読むこともありません。詩とはまったく縁のない生活をしてきましたから。だからかどうか、Aさんのことが妙に気になります。「詩のボクシング・公式サイト


先日、9月13日の朝日新聞夕刊で、詩人で作家の清岡卓行が、斎藤恵美子著「最後の椅子」という詩集を取り上げ、紹介していました。



高齢化が進む社会では老人ホームの数も少しずつ増えて行くだろう。この施設の内部の様子を多角的に活写する詩集が現れた。斎藤恵美子の「最後の椅子」(思潮社)である。作者は老人ホームで介護の仕事をしている中年女性。老人たちの身の回りや心情を優しくいたわるその持続的な立場なしには、ありえなかった詩集だろう。


この冬
九十八歳になるあなたの
声が、くりかえし
おかあさん、と叫ぶとき
わたしたちは、とても
せつない


こんなふうに単純で哀切きわまる声がひびくもう一方では、戦争中、戦車隊で一人だけ生き残ったという元軍曹の、自嘲のようでも自慢のようでもある話が聞こえる。


戦車隊にいたころの、話が
きょうも止まらない
炎は敵に見つかるからよ
へびやカエルは、生で食った


これらふたつの場面の人物の立場がおよそ似ていないことからも想像できるように、老人たちの生態はじつにさまざまである。私は作者のみごとな筆力によって描きわけられたその多様さに魅惑され、また、家庭で暮らしている老年の自分をそこに投影してみたいという関心もあって、この詩集をくりかえし三回読んだ。


このような丁寧な紹介がなければ、僕は詩集を買ってみようとは思わないはずです。逆に、こうした紹介があって初めて、詩集のなんたるかが、朧気ながら分かってきます。久しぶりに手にして読んでみたい詩集です。実は一冊だけ持っている詩集、茨木のり子の「倚りかからず」、これも新聞の紹介があって手にしたものです。上の記事があったので、久しぶりに読み直してみました。ベストセラーになったので、ご存じの方も多いでしょう。

 


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
もはや
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

倚りかからず
著者:茨木のり子
1999年10月7日第1刷発行
発行所:筑摩書房


読み直してみると、いろいろなことが分かりますね。「倚りかからず」のように断固とした姿勢を表している場合ももちろんありますが、けっこうユーモアが随所に織り込まれていたりします。「笑う能力」の「洋梨のババア」とか、「我が膝まで笑うようになっていた」とか!内蒙古へ植林ボランティアへ行った25歳ぐらいの青年から、「あなたの詩集を一冊持ってきたのです。」という航空便が届きます。それがきっかけでこの「倚りかからず」という詩集ができたそうです。もともとあった3編に書き下ろし12編を加えた詩集です。詩集というのは元々書きためておいたあるものをまとめて作るばあいもあるでしょうが、「倚りかからず」の場合は、一気に書き下ろしてつくったそうです。

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2005年09月13日 00時03分00秒

「朗読者」再読! 

テーマ:本でも読んでみっか

今年の初め頃だったと思いますが、イギリスのチャールズ皇太子の次男ハリー王子が友人宅で開かれた新年の仮装パーティーにナチス・ドイツの兵士に扮した姿で参加して問題になりました。王子はすぐさま謝罪しましたが、父親のチャールズ皇太子は、ハリー王子が衣装店でナチスの制服を選ぶのを、一緒にいたウィリアム王子がやめさせるべきだったと判断します。そして、2人にアウシュビッツへ行ってホロコーストについて勉強したり、第2次大戦中に1200人のユダヤ人の命が救われた実話を描いた映画「シンドラーのリスト」を観るよう伝えたといわれています。


BBCは昨年12月、イギリスの16歳以上の4000人を対象にホロコーストに関する世論調査を実施しました。アウシュビッツの名前すら一度も聞いたことがないと答えたのが全体の45%にのぼったそうです。しかも35歳未満では60%を超え、若者の間でホロコーストに関する知識が乏しくなる傾向が顕著だったという背景があります。今年はホロコースト60周年でもあります。


なぜか、本棚の一番前の見えるところにこの本「朗読者」が、長い間置いてありました。2000年4月の発行ですから、よくある翻訳物に違わず、粗末な紙を使っていることもあり、やや黄ばんできています。確かこの本は、発行と同時に購入して読んだと思います。改めて表紙を見てみると、卵形の浮かんだもの2人の男女が腰掛けています。男は本を広げて読んでいるようです。こんな表紙だったのかと思わず食い入るように見つめてしまいました。なぜか急に思い立って「朗読者」を再読してみました。


15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナと、ふとしたきっかけで恋に落ちます。そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになります。ところがある日、彼女は突然、失踪してしまいます。彼女が隠して忌まわしい秘密とは何だったのか・・・。


ここまでは、センセーショナルですが、ありふれたテーマでもあります。しかし物語は、ナチス時代の犯罪をどうとらえるのかという、重いテーマへと移っていきます。彼女の突然の失踪に傷つき、法廷での再開後に知った彼女の過去に苦しみ、それでも彼女に10年間も刑務所に朗読テープを送り続けた彼の律儀さ、粘り強さは、ドイツ人らしさが表れています。


ついにハンナの恩赦が決定し、ミヒャエルは刑務所へ会いに行きます。「大きくなったわね、坊や」と、昔と変わらないハンナ。面会時間は過ぎていきました。「元気でね、坊や」「君も」二人の別れの挨拶・・・。久しぶりに翻訳ものを読み直しました。しかも良質の翻訳ものを・・・。


「朗読者」新潮クレスト・ブックス
著者:ベルンハルト・シュリング 
訳者:松永美保 発行:2000年4月


過去の関連記事:ベルリンでホロコースト慰霊追悼碑の除幕式

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