三太・ケンチク・日記 -43ページ目

私の神保町

神保町のスズラン通り商店街のひとつ皇居側の通りの角地にその小さな建物は建っていました。 戦前に建てられたというその風格のある店構えは、かつては喫茶店などに利用されていた面影をしっかり残しています。2階と1階の間のモールディングはブルーのスペイン瓦が帯状に張られていて、角には30cm角の柱が立っていますが、幅1m位の入り口は道路の両方向から入れるようになっていて、その内側には今では珍しい大谷石が横張りしてあり、また3カ所ある窓周りは上部がアールが付いていて、ブルーのテントで覆われています。神保町には有名な喫茶店「さぼうる」もあります。ちょっとレトロだけど営業しているのであれば、若い人にはオシャレな喫茶店ということで、入ってみたくなるような建物です。

たまたまその建物の所有者であるTさんから、倉庫に使っている建物があるんだけど、きれいにして使いたい、という相談があったので見に行ったところ、これがまた凄い。2階は屋根が破れていて雨が吹き込み放題、床はボロボロに腐っていてうっかりすると踏み外し兼ねない。しかも、南側で大規模な再開発が始まっていて、ネズミが大挙して押し寄せてネズミの巣窟になっているという。そのボロ屋をなんとかしてくれないかという相談でした。知り合いの工務店を紹介して工事を行い、1階は倉庫、2階は事務所兼仮眠室に模様替えが出来て、なんとか喜んでいただきました。解体すればその廃棄費用だけでもバカになりません。古い建物も手入れさえすればけっこう長持ちが出来るんですね。

その後、Tさんにお会いしたのは、去年の今頃だったかな。あれからもう1年が経つんだ、早いものです。僕がI書店に用事があったのですが、神保町に早く着きすぎて、そのまま行くのには早かったので、「神田古本まつり」のイベントをやっていたのでスズラン通り商店街の様子をのぞいて歩いていた時でした。ちょうど東京堂書店の前あたりで、同じ商店街仲間のT書店の社長、F書店の社長の三人が立ち話をしているところに出くわした、ということでした。

神保町には最近はちょっと行ってなかったんですが、来週ぐらいから月に何回か行く用事が出来たので、また神保町の古本屋街をのぞいて歩けるので、それが今から楽しみです。

今朝の朝日新聞の読書欄に紀田順一郎の「私の神保町」という本が紹介されています。まあ、本の紹介というよりは、紀田順一郎か、はたまた神保町の紹介、といったところでしょうか。
「私にとってこの街は人生が投影されています。本好きの人との出会いがずいぶんありましたね」と言い、インターネットで本が手軽に買える時代に、「でも、足で歩き、手で触るという店の魅力は捨てがたい。」と、そして神保町とは「私の大学。足が大丈夫な限り、通います」と、紀田は言います。
紀田の本はほとんど読んでいなかったんですが、「私の神保町」は是非手に入れて読んでみたいと思っていました。

先日、紀田の「東京の下層社会」という、テーマがちょっと変わった本をブックオフで手に入れて、読み終わりました。
「あまりにも性急な首都近代化の流れに置き去られた人々の想像を絶する凄惨な生活を身をもって体験、記録した貴重な書物を掘り起こし、今はなき50年前の東京生活から、都市形成の過程、福祉対策の問題を考える。」と、本の帯に記されています。

神保町一帯では11月3日まで「神田古本まつり」が行われているそうです。

マニアック・マニアック

二枚の写真がありました。
最初、写真を見た時の印象は、なんか、ダサイな~という印象しか・・・

上の写真は、子供が地面に書いた落書きにしか見えません。確かに描かれているのはゾウなんですが。僕が子供の頃もアスファルトの道路にローセキで絵を描きましたよ。
下の写真、小さな子供を背負いかごに背負って、古ぼけたママチャリで走っている姿は、とてもオシャレには見えません。

ん?なんだ、よく見ると自転車の前に取り付けたかごにカーナビがついてるじゃん!自転車にカーナビ付けてどうする?まあ、そんな感想でしたが、読み進めてみると、いるんですね~、こんなマニアックな人が!ほとほと感動しましたよ、これは凄い、オッサンよくやるな~、って!

まあ、今朝の朝日新聞のbe on Saturdayの「こだわり会館」という欄を見ればすべてがわかるんですが・・・

全地球測位システム(GPS)というものがあるそうで、それを付けた自転車で走り回りその奇跡をパソコン上の地図や航空写真に落とす、ただそれだけなんですが、そこまでやるか~。しかもですよ、絵を描くのは一筆で描くというこだわりで、ただ走ればいいってもんじゃない、綿密な事前の計画が必要だそうです。ゾウを描くのには40km、自転車で疾走するのだそうです。ちなみに背中に負ぶった子供は2歳、ですから、まだモノゴゴロついてないんじゃないかな?

彼はそれを「東京ナス化計画」と呼んでいるそうです。そうです、紀元前に描かれたペルーの遺跡、ナスカの地上絵、です。東京の混乱した市街地に、ハイテク機器を使って絵を描く、崇高な試みです。なにしろこのゾウを描いた地図の中には、僕が日々生活している地域が入ってるんですから!いや~、まいった、まいった、恐れ入谷の鬼子母神、たあ、このことだ!

マニアックといえば、「トマソン」や「路上観察学」などもそうですね!元々「考現学」は、考古学に対して、現代の風俗を調査する方法として、早稲田のジャンパー先生、今和次郎が言い出したことですけど。それが路上観察学などに面白可笑しく流用されていったのでしょう。そうそう、林丈二だったか、マンホールふたの写真を集めて本にしましたね。僕の友人もコンクリートブロックの写真を産地別に分類収集していましたが。例を挙げればキリがない。

最近知ったサイトでは、ダムサイトガスタンク水門サイトがあります。がしかし、これが凄い、鉄塔サイト「そこに鉄塔がある」です。鉄塔武蔵野線、という本に誘発されて、鉄塔を見て歩き、それに名前を付けて整理してあります。鉄塔武蔵野線、映画にもなりましたよね、僕も見ましたが・・・でも僕の場合、そこまでは考えなかった。それから「街中の劇物」、これも面白い!

このブログもそんなコーナー、そうそうコレクターがありましたよね?って、そこまで詳しくは調べていませんが。
まあ、こうして書き連ねていると思うんですが、インターネット関連ではどんどん狭い道にマニアックに入っていかざるを得ないのかとも思いますが、いかがなものでしょうか?

浜の真砂はつきるとも 世にマニアックの種はつくまじ

旧・千代田生命本社ビル

目黒区美術館のホームページを見ていたら
「建築家・村野藤吾のディテール
〈旧千代田生命本社ビル(現目黒区総合庁舎)〉写真/図面 展」
という催しが、今年の2月から3月にかけてあったことが記録として載っていました。実は去年の7月から9月にかけて開催された「聖母と子どもたち展」は見に行ったのですが、村野さんの展覧会はまったく今の今まで知りませんでした。

千代田生命本社ビル、1966年竣工、建築家村野藤吾の代表作のひとつです。アルキャストの縦ルーバーをまとった優美な外観の建物。竣工直後の千代田生命本社ビルをどういう経緯で見ることが出来たのか、今思い出してみても思い出せません。たぶん一般公開をするというのに応募して見に行ったのだろうか?

戦後の復興がなり、その頃から村野さんの代表作が次々と生まれていました。日本生命日比谷ビル日本興業銀行本店箱根プリンスホテル新高輪プリンスホテル、等々。改修設計をした旧・赤坂離宮である迎賓館も!

千代田生命本社ビルは、一企業の本社ビルとしてはあまりにも余裕のある建物、さすがは保険会社の本社ビル、と当時はそう思いました。あの当時保険会社がつぶれるなんて、誰もが予想だにしませんでした。がしかし竣工して40年後保険会社が破綻した。その千代田生命本社ビルがなんと目黒区役所になりました。民間ビルを目黒区が購入し区庁舎として転用する、こういうことはまったく前例のないことです。

仕事の関係で、移転してからの目黒区役所には何度か足を運んでいます。その度に、建物のあっちこっちをキョロキョロ、行く度に庁舎内を歩き回っています。

この建物の一番の目玉は、建物では3階にあたる駒沢通りからのアプローチ。絶妙な曲線を描く車寄せのキャノピー、左右の足下から光が射し込む大きな吹き抜けの玄関ホール、そこから奥に入ると村野さんお得意の優美な曲線を描く螺旋階段。ほとんど美術館と言ってもいいほどの濃密な空間です。また1階の人工池に面した和室は、関西風の数寄屋であり素晴らしいものです。これは事前に申し込むことなく自由に利用できるようになっています。

改修設計は安井建築設計事務所、改修設計の方針は村野さんのデザインはそのまま生かして、主として耐震性を増すための構造補強や、庁舎として利用しやすいように機能性を向上させ、中目黒駅側の1階に新たに玄関を設けたこと、本館6階の床を抜いて2層吹き抜けの議場を設けたということだけに留めたようです。

これも村野さんの名作1981年に竣工した出光興産のゲストハウス「松寿荘」がつい最近取り壊されたばかりということを考えると、旧・千代田生命本社ビルが区庁舎して生き延びて、多くの一般市民に利用されるということは素晴らしいことだと思います。

週末のお楽しみ?

朝日新聞の場合、ですが、ってか、他の新聞は僕はとったことがない!
木曜日の夕刊に「シアターガイド」とか「ミュージアムガイド」とかが、音楽も映画も写真の展示会もコメント付きで載ってるんですよ。
木曜日の夕刊に掲載される、ということは、当然、週末の土曜日・日曜日に行く人をターゲットにしているということでしょう。
「今週のお宝チケット」と題してチケットの読者優先販売もしています。

で、僕が楽しみにして、かかさず見ているのは、
もちろん「美術館・博物館」のページです。
東京近郊の美術館・博物館の展覧会情報が載っており、
その他に「美・博ピックアップ」や「美術館素朴なクエスチョン
といった解説記事が併せて載っているので、
素人目にも非常にわかりやすく、
「あっ、これ、今度の土・日に、行ってみよっ」となるわけです。

その他に、いわゆる関連広告なんですが、
さすがに美術館の広告だけあって、これが質が高い。
~芸術と文化のプロムナード~Museum Guide」として、
今回は、サントリー美術館、ブリジストン美術館、川村記念美術館、
逓信総合博物館、目黒美術館、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションと、
なんと6カ所の美術館が載っています。

って、新聞の紙面を解説していても、どうなるものでもありませんが!
まあ、新聞から得られる情報で、誘発される場合が多いわけです。

で、昨日の夕刊で、いくつか気になったのは、
川村美術館の「ピカソ展ー幻のジャクリーヌ・コレクションー」でしょ、
目黒美術館の「日本近代洋画への道ー山崎コレクションを中心にー」。

それから、それから、なんといってもこれでしょ、
東京都美術館の「フィレンツェー芸術都市の誕生」ですよ!
好きなんですよ、なぜか!
フィレンツェとかルネサンスとか聞くと、いても立ってももいられない!

あとは、変わったところでは、神奈川県立近代美術館葉山ですが、
世界の美術館ー未来への架け橋」とタイトルにありますが、
25館の美術館の図面や建築模型が約300点、展示してあるそうです。

さてさて、全部見るのはとてもじゃないけど無理ですが、
この中の幾つかを見に行きたいと目論んでいるところです。

いまはなき美術館

グッゲンハイム美術館展の“カタログ”を本棚にしまおうと思ったら、な、なんと、出てきましたよ、もっと分厚い“カタログ”が!
グッゲンハイム美術館名品展-ピカソからポロックまで
副題が“モダン・アート50年-夢・心・実験”。

1991年6月20日から9月1日まで、池袋にあった“セゾン美術館”で開催されたものです。今から13年前ですよ!

ひとつひとつ見比べてみると、
今回のものとかなりの部分で共通しているもののようです。
カタログの表紙は今回も展示してありましたが、
クプカの「色彩による平面構成. 裸婦」です。

セゾン美術館”は僕の好きな美術館のひとつでした。
“デザイン”や“ケンチク”を多く取り上げていましたから・・・
日曜日の朝、ちょっと早起きして池袋まで行って、
始まる前に喫茶室の通りを見下ろすカウンターに座って、
コーヒーを飲み、それからゆっくりと美術館を見る、
というパターンでした。

僕の記憶に間違いがなければ、
って、最近はやたらと記憶力が鈍っていますが、
確かアルヴァー・アールト展が最後だったんじゃないかな?
ちょっとカタログを取り出してみてみると、
アルヴァー・アールト 1898-1976 20世紀モダニズムの人間主義
開催期間は1998年12月19日から1999年2月15日までです。

てことは、5年前に閉館か!
スケジュール表で確かめてみると、
あ~、やっぱり、終了5日前の祝日、11日に行ってますね!
そうそう若い友人が彼女を連れて見に来ていていて、
階段のところで会ったんだよ、二人に、思い出したよ!

池袋で西武、といえば、次は東武、ですね!
なぜか東口に西武があって、西口に東武があるんですよね。
って、そんなことはどうでもいいのですが・・・
なにしろいまは“池袋ウエストゲートパーク”の時代ですから?

その2年後・・・
2001年1月7日に東武美術館へ行ってるから、
確かそれが最後で東武美術館も閉鎖になったんじゃないかな?
ロートレック展ですよ、最後は!
その時は西口の“プロント”でコーヒーを飲んだんだよ!
それから用事があって横須賀へ行ったんだよ!

池袋にはセゾン美術館東武美術館も、今はありません。
こうやって書いていると、一抹の寂しさを禁じ得ません!

グッゲンハイム美術館展

先週の話、終了間際に、とはいつものことですが、こちらは実は2回目、ということで、ここでひとつ蘊蓄、ん?読めない?ウンチクですよ!
あっ、ケンチク等も織り交ぜて、ちょっと詳しく書いておきます。

行って来ましたよ、またまた渋谷のBunkamuraへ・・・
渋谷に吹け、ニューヨークの涼風。”とね、
ニューヨーク・グッゲンハイム美術館展」へ、ですよ!

モダン・アートの展開-ルノワールからウォーホールまで
と副題にある通り、クソミソゴッチャマゼ、いやはやすごい!
ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、マティス、ピカソ、ルソー、シャガール、
ポロック、リクテンスタイン、ウォーホール、カンディンスキー、等々・・・
そうそう、ダリも何点かありましたよ!

で、気になったのが、“リクテンステイン”という名前!
ポップ・アートの代表的な作家ですが、
以前は“リキテンシュタイン”と言ったような気がするんですが?
英語では“Roy Lichtenstein”と表記します。
今回は1977年作「涙の少女」が出展されています。
まあ、どちらでも、同じ様なものですがね!

普段はあまり買わない“カタログ”なんぞを久々に買っちゃいましたよ!
なにしろ、“モダン・アート”は作者がよく分からないので・・・
会場はなぜかすいていたので、比較的見やすかったです!

過去の栄光をひけらかすわけではありませんが、
って、いってんじゃね~かよ!むかしむかし、僕が若かりし頃、
ウン十年前、1ドル300円の時代ですが、行ったんですよ、
フランク・ロイド・ライトの設計したグッゲンハイム美術館へ・・・
真ん中に吹き抜けがあって、上からスロープで回りながら降りてくる、
ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館へ、ですが。
まあ、行ったというだけで、よく見てこなかったというところですが・・・

ベネツィアにはペギー・グッゲンハイムが大運河沿いにありますね。
フランク・O・ゲイリーの設計によるビルバオ・グッゲンハイムも。
ラスベガスにもレム・クールハウスの設計でつくるのかな?
他にも世界制覇?、ドイツとかブラジルでも美術館をつくるらしい?

サイモン&ガーファンクルの曲に、
フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」というのがあるんですよ!
確かめようとしてレコードを探したら、どこにしまったか出てこない!
若い頃、よく聞きましたよ、LPに入ってるんですよ。
ん?LPって、古~い、今の人にはわかんない?
今はプレーヤーがないから、レコードは埃を被ってますが・・・
が、しかし、あることはあるんですが・・・う~ん、こまった!
インターネットで調べてみたら、あった、あるんですね、確かに!

ピース、ピースと鳴く

           鳥の歌 ― ホワイトハウス・コンサート

昨日、Wさんが来ました。
いつもぶらっと立ち寄って、世間話をしていく方です。
昨日は、“ミュート”の話をしてくれました。
イタリア語で“ソルディーノ”というそうです。

アハハハ、なんじゃそれ、って!
知ってる人は知ってる、知らない人は知らない!
僕は当然、そんなことはまったく知りません。

まあ、聞きかじりですけど、簡単に言いますと、
音を柔らかくする、音が小さくなる、音質を替える、
ということで、日本語では通常“弱音器”というそうです。
楽譜にも使うように指定してあるそうです。
Wさんの言うには、それは間違いの訳だそうです。
だからどうだっていうの、と、突っ込みを入れたくなりますが・・・

実はWさんはビオラの奏者なんですが、
僕とはまったく分野の違う仕事にも関わらず、
ここ20年来、なぜか親しくさせていただいてます。

どうして音楽家になったんですか?と聞くと、Wさんは、
物心ついてから音楽をやったんではもう遅い、と言います。
どうしてバイオリンじゃなくて、ビオラなんですか、と聞くと、
ビオラの方が大人の音なんですよと、逃げられてしまいます。

で、話はコロッと変わりまして、先日、僕が、
ララ~ララ~ララ~、とメロディを口ずさんで、
ねえ、この曲なんていう題名なのと聞くと、
間髪をおかず、カザルスの「鳥の歌」ですよ、という答えが・・・
まあ、それを知らない方がおかしい、
知ってて当たり前の常識なのかもしれませんが。

そのメロディが僕の耳に残っているのは、記憶に間違いがなければ、
確か、五木寛之原作の「青春の門」の映画かテレビで、
タイトルバックに流れていた音楽だと思うのですが・・・

94歳のパブロ・カザルスが国連でスピーチをしたそうです。
カタルーニャの小鳥は、ピース、ピースと鳴きます、と・・・
右手を振り上げて、ピースピースと3回叫び、
平和への思いを込めて、憂いのある「鳥の歌」を演奏したそうです。
元々はカタルーニャ民謡だったのをカザルスが編曲したそうですが。

そうか、その話、どこかで聞いたことがあるけど、
じゃあ、ピカソがゲルニカを描いた話と同じだ~、と・・・
そうそう、ガウディもそうだよ、カタルーニャだよ!

な、なんと、次の日の朝日新聞の「be on Saturday」の一面、
「言葉の旅人」にカザルスのことが詳しく載っていたではないですか!
バルセロナの近郊、ペンドレルの生家に近い公園に、
チェロを弾くカザルスの像が立っている、その写真が、
小鳥の声は元気で軽やかだ」というコメントを添えて、
載っていたんですよ、まったくタイムリーに、おどろきました!

もちろん、Wさんからもすかさず載ってるよというメールが入りました。

新聞の書評、広告など

ブログにも「書評つながり」というものがありましたが、
それを見て本を購入するというところまで、まだよく見ていません。

さて、本を買って読むキッカケになる一番の決定打はなにか?

僕の場合、っていうか、多くの人もそうだと思うのですが、
新聞の“読書欄”の“書評”、“文芸時評”、
そして出版社の“宣伝・広告”などです。
本屋に行って偶然目に留まった本もないことはないですけど、
ほとんど僕の場合、本の情報は新聞から得られます。

昨日の夕刊、僕の場合は朝日新聞ですが、
作家の島田雅彦が受け持っている“文芸時評”で、
「新人賞は先物買い」と、新人三人を取り上げていました。
その題名からして今までにない面白さが出ています。
文芸賞「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ
文芸賞「野ブタ。をプロデュース」白岩玄
すばる新人賞「白の咆哮」朝倉祐弥

読めない字もありますが、題名だけでも興味を引きます。
島田の書評にも「バトルロワイヤル」とか「稲中卓球部」、
よさこいソーラン」など、新しい時代の言葉が出てきます。

朝日の“文芸時評”や“書評”というと、そうそう思い出しましたよ。
高橋源一郎、自分の小説はあまり面白くないですけど、
書評、評論は小気味よく、的確で、僕は好んで読んで参考にしました。
ですから、高橋の書いた文芸評論の本はほとんど持っています。
最近では、自伝的な5年間を書き綴った「私生活」を読みましたが。
「これを書いている間、二度離婚し、二度結婚した。
死ぬかと思った。」と、本の帯に書いてありますが・・・

話は変わりますが、前々回の芥川賞を取った時のこと、
蹴りたい背中」と「蛇にピアス」をごちゃ混ぜにして、
「蹴りたいピアス」と言ったヤツがいた、と聞いたことが。

今朝の朝刊「秋の読書特集」には、
「あなたに贈る泣ける本」ということで、
これも興味を引く本が6人の選者が取り上げていました。
とは言っても、僕の場合、「バカの壁」、「セカチュー」とか、
「グッドラック」とか、いわゆるベストセラーもの、
そしてミステリーやホラー、推理小説類は、
ほとんどというか、絶対に近いほど読みません。

日曜の「読書欄」では、赤瀬川原平が「自作再訪」ということで、
超芸術トマソン」を取り上げて書いていました。
トマソン以降、赤瀬川の本は追っかけてほとんど読みましたが・・・
赤瀬川も、南伸防や藤森照信との路上観察もの、連係プレーが、
功を奏したというか、なかなか小気味よく痛快ですよね!
そうそう「新解さんの謎」、「老人力」、あれも面白かった!

税込み105円だよ

アメログの“コレクター”のところに、
BOOKOFFマニアックス」というのがあり、若者らしく、
けっこう読者を獲得しているようでした。
いつも105円の漫画買うというのが信念のようです。

ってことで、またまた同じ話題で申し訳ない・・・
僕の家の近所に“ブックオフ”が三軒あります。
気分転換にということで、
仕事をさぼって“ブックオフ”へよく行くんですよ。

100円コーナーで、ねじめ正一の「高円寺純情商店街」と、
辻井喬の「虹の岬」を手にとってレジ方向へ向かったら、
な、なんと、5年来、探し続けていた本があるじゃありませんか!

村松友視の「時代屋の女房」です、夏目雅子で映画にもなった・・・
しかも、昭和57年8月10日発行の初版本で新品同様!
絶版になっていたので、本屋に注文しても手に入らなかった。
文庫本もない。それがあったんですよ、しかも税込み105円で・・・
いや~、“驚き桃の木山椒の木”、ってこんな感じ?

チャリンコで何度も足を運べば、
お宝の本がいつかは見つかるものですね~
というか、普段の行いがいいから、神様が?

で、「虹の岬」ですが、今、株取引で話題になってますが、
セゾングループのトップだった堤清二のペンネーム辻井喬の長編で、
筆致を押さえた作品。久しぶりに小説らしい小説を読んだという読後感。
昭和20年代に“老いらくの恋”という流行語を生んだという・・・
住友の幹部だった歌人の川田順と、
年の離れた京大教授夫人・祥子との不倫愛を描いた、
史実を丹念にたどった実話に基づいた作品です。
1999年には映画にもなったようで、さもありなん、まあ適役でしょう、
川田を演じているのは三國連太郎、祥子を演じているのは原田美枝子!
映画も見てみたい・・・

ねじめ正一の直木賞受賞作品「高円寺純情商店街」、
読み終わるやいなや、続くもんですね、
その後「熊谷突撃商店」を読み終わって、
熊谷キヨ子最後の旅」も読みましたよ。

全部、税込み105円!

ライトアップ

旧日本銀行本店三井本館のライトアップを見てきました。

旧日銀本店は辰野金吾の設計、東京駅も辰野の設計です。
辰野は東大建築学科の前身、工部大学校造家学科の
第1回卒業生、あのジョサイア・コンドルの教え子です。

三井本館は松田軍平がコーネル大学を出て、ニューヨークの
トローブリッジ&リビングストン事務所で設計を担当し、
日本で現場を監理したという建物です。

三井本館が竣工後、
赤坂丹後町の木造2階家で設計事務所を開設し、
そこへコーネル大学を卒業したばかりの平田重雄が訪れ、
無給の所員となり、“松田平田”になったわけです。

ライトアップされた後ろにそびえる新日銀本店
“松田平田”の設計です。

やはりその時代の国の威信をかけてつくられた建物は、
いまの薄っぺらな建物とはわけが違いますね。

たまたま日本橋三越新館がオープンしたばかりだったので、
館内の高級品を見ながら、お茶をしながら、
日銀と三井のライトアップが始まるまで時間をつぶしました。
三越もライトアップされてましたが・・・

三越の前身は、ご存じ呉服店「越後屋」、
明治期に入り合名会社三井呉服店となり、
組織換えして三井本家から独立した「三越」が誕生、
現在の三越本店は大正3年の完成、設計は横河民輔です。
ちなみに帝劇は明治44年3月に開場、建物の設計は同じ横河民輔。
お堀端の帝劇と日本橋の三越はタイアップし、
竹久夢二の描く婦人像を使って大々的に宣伝活動をして、
今日は帝劇、明日は三越」といわれ、一世を風靡しました!