世田谷美術館の「宮殿とモスクの至宝」展を観た! | 三太・ケンチク・日記

世田谷美術館の「宮殿とモスクの至宝」展を観た!


秋めいてまいりました。駐車場周辺の樹木はだいぶ色づいてきました秋ですね砧公園の樹木も色づいています。突然、家人からの電話、いま美術館員の解説が終わってこれから入るところだけど、来ないかとの急なお誘い。そうは言っても仕事の都合もあるし、う~ん、ちょうどお昼時、なにはともあれ、大急ぎで車で駆けつけました。久しぶりの世田谷美術館、いいですね、環境にとけ込んでいます。惜しむらくは道路を挟んだ反対側、背景に「世田谷市場」の巨大な建物がそびえています。また、これも巨大な「ゴミ焼却場」は、現在工事中で、建築現場には工事用の大型トラックが出入りしています。


都立砧公園の一番隅っこの敷地を、美術館を建てるということで、世田谷区が東京都から譲り受けました。美術館の設計はコンペで選ばれた内井昭蔵。元々は菊竹清訓事務所のチーフでしたが、事務所開設一作目の「桜台コートヴィレッジ」が、いきなり日本建築学会賞を受賞しました。東京YMCA野辺山高原センターは、三角形をモチーフにしたデザインで、気持ちのいい建築です。そしてコンペで世田谷美術館を獲得し、その頃からなぜか急速にライト風の装飾を多用するようになりました。内井はまた、多摩ニュータウン15住区のマスタープランを作成し、自身はマスターアーキテクトとしてデザインコードをつくり、個性豊かな複数のアーキテクトをゆるやかに統一し、全体を統括しました。69歳の若さで急逝、2002年8月6日、内井昭蔵に別れを告げる「埋葬式」がハリスト復活大聖堂(神田ニコライ堂)で行われました。



さて、世田谷美術館で開催されている「宮殿とモスクの至宝」展、なんの先入観もなく、見に行きました。それが世界屈指のコレクションを誇るヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のものだったとは驚きでした。なにしろ第1回万国博覧会で、クリスタル・パレス(水晶宮)に展示しされたイスラム装飾品が元になっているということですから。ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のイスラム美術ギャラリーが新装されることとなったのを機に、コレクションの中から選りすぐった作品が、世界の美術館4館を巡回する国際展として貸し出されることになり、日本では世田谷美術館のみの開催だということです。美術館の改装や増改築の時でもなければ、そう簡単に美術品は貸し出せませんよね。さすがは「アール・ヌーヴォー、アール・デコ・・・装飾芸術の源泉がここに。」と自負するだけのことはあります。


イスラム圏の文化が産み出した広範で重層的イスラム美術、古くから中東は東西交流の重要な役割を果たし、他文化を受け入れつつ豊かな発展を遂げてきました。まさにヨーロッパとアジアを結び、東西の相互乗り入れ、その接点に当たるのが、エジプトトルコ、イランの他、西はスペインから東は中央アジアの旧ソ連連邦共和国、コーカサス地方にまで広がっています。出品される美術品は、陶磁器、絨毯などの織物、金工、象牙細工、ガラス、絵画など多種多様な分野にわたっています。8世紀から19世紀まで、長い歴史と広範な地域で制作されたイスラム美術の至宝、120余点が、日本で初めて公開されました。

「白地多彩野宴図組タイル」(部分)
イラン(サファヴィー朝)17世紀

今後、館外に貸し出されることはないと言われているスケールの大きな作品がありました。高さ7mを超える15世紀エジプトの精緻な木工製のミンバル説教壇)、これは大きいのでアメリカでは上下を分けて展示されたそうです。高さ3m半を超える18世紀のオスマン・トルコの色鮮やかなタイル製暖炉、これは分解して運び、展示するために世田谷で一体に作り上げたものです。また、長さ約5m半の16世紀イランの技術の粋を凝らした豊麗な絨毯は圧巻でした。これも大きいので斜めに2枚、向かい合わせに展示してありました。


カーネーション文ビロード」、イタリア特有のザクロ文様とトルコ特有のカーネーション文様が混在しています。「イーデンホールの幸運」というエナメル彩装飾杯はベネチアガラスの起源となる技法で作られています。その他、展示品は数々ありますが、なんと言っても、あのイスラム文様が凄い。圧倒されます。すべての品々にびっしりと、これでもかと言わんばかりに細かい文様が刻まれ、また織り込まれています。淡泊な日本人にはやや辟易する感じもします。


宮殿とモスクに代表される、聖(宗教的な)と俗(非宗教的な)両面から、重層的で複雑な様相を呈するイスラム美術、こうして一同に見ることができるのも得がたい機会で、これもまた日本ならではとも思います。


世田谷美術館HPはここ