母は、いつもどっちでもいいよって
自分の意見を言わず、流れに任せたり
判断を相手に委ねます
またやられてるなと思い、私から
「お母さんはお姉ちゃんに、遠慮しているんだよね。でもせっかく聞いてくれているんだから、自分の希望言ってあげた方がお姉ちゃんも助かるんだよ」って、姪へ『言い方に気をつけて』と願いを込めて母に助け船出したけど、効果なし
母に電話したら
悔しそうに
ちょっと涙声でした
母は
私たちのペースで
文字を打てないから
LINEで反論応戦するなんて
できないし
姪の態度に閉口して
反論する気もない…
姪は
百歩譲って
お母さんに
シャンとして欲しくて
お母さんの老いを
受け入れられなくて
こんな風に言ってしまうのかも
しれないけど…
この翌日姉は
実家に顔出して母に
◯◯(姪)に
負けるんじゃないよ!
ちゃんと言い返しなね!!
と言ったそうです
娘が母に
あんな暴言を吐いたなら
私は娘を叱ります
そして母に
謝ります
でも姉は
姪を叱らない…
母へのフォローも
とんちんかんで
呆れました
このパターンは、姪が幼いときからずっと
何度もありました。
姪が幼いときは、目に余って私が叱ることも
あったけど、家族といえ姉の子育てに
悪役になって口出しするのは嫌になりました。
姪はもう社会人。いま教えないと
先々姪が、痛い目に遭うと思います。
痛い目に遭って、今より人の気持ちがわかる
ようになるならいいんですけどね…
母は
祖父を早くに亡くし
病弱だった祖母を支え
知的発達に遅れのある叔母の
面倒を見て
学生の時から
苦労して育ちました
祖母を見送り
叔母を見送り
実家を整理し
今年、伯母を見送り
両親、姉妹
みんなを見送り
一人になりました
その間
父方のほうでも
祖父母を見送り
父に兄弟が多かったので、嫁同士
交替での介護でしたけど
伯父や伯母のことも
実の兄弟同然に
手助けして見送りました
なんだか母は
いつも色んな人の
お世話して
心配してきたような人生
その間
父親のいない姪を
必死に育ててきました
姪が生まれたのは
母がちょうど
今の私の年齢だった時
この年齢から
若いお母さんたちにまじって
母同然の孫育てをしました
その結果がこれでは
どれほど虚しい思いを
しているか…
そして今は
父方の叔父が
脳血管疾患で療養中で
差し入れや面会
運転ができない父と
一緒に通ってます
やっぱり母はまだ、ボケてないと思う
母の
これまでの苦労
背負ってきたもの…
考えたら
せつなくて…
両親の
好きそうなお茶菓子
箱いっぱいに詰めて
送りました
仲良く食べてねって
毎日
電話で話してます
早く
我が家に平穏が
戻りますように…
最後までお読みくださり
ありがとうございました
頑張るみなさまの治療が
どうか
奏功しますように…
そして
みんなが笑顔で
過ごせますように