果たして、言葉が必要なのか… | pacoの日記

pacoの日記

小さな港町
からの
ひとりごと





コロナ禍になった時に、

よく考えていたことが あるねん。


マスク着けなさい!とか

マスクから鼻出したらアカン!とか

そんなん人間が言い合ってる時ーー


空見て

『鳥は、ええなぁ〜…』。


水面見て

『魚は、ええなぁ〜…』。



人間が、

ワクチン打たなアカンねんで!

ニュースはコロナの何人亡くなったかの

数字ばかりだよ。



そんな時、

ニャンコやワンコ見てー


『 お前らは、ええなぁ〜 カンケー無くって…』。



人間に生まれたからにゃ〜

どこに行ったって、

言葉や 説明 が

付いて回るよ ね…。


めんどくさいなーーと

たまに、思う時があるねん。。








言葉による、情報過多すぎ。

言葉じゃなく行動で示す人 好き。


勿論、表現としての文章や小説、詩ー

そういう物は大好き。


だけど。




ーーーーーーーーーーーー




今日、○が行きたい展覧会があるからーって、

大阪に展覧会を見に行ってたの。



その展覧会の写真なんかはまた別に

日記に上げようと思うんだけど。



それで、ビックリしたことがあってん。

展覧会の「企画」なんだけどね。



それは、

小さな紙と競馬場の鉛筆みたいなん渡されてー

そこに自分の思う【レベル】を書いたりしていくの。

美術館からの、実験的な催しだと思う。



「これはアートか」

「これはデザインか」なんて。


自分なりのアート(芸術)or デザインの

どう思うのかの「度合い」を考えてくれー、

みたいな内容で。



作品の横くらいに、

アートかデザインか、度合いを

プッシュして押せるボタンなんかも設置してあってね。



それが…

私にしたら、、


『 めんどくさぁ〜ガーンもやもや 』


『 静かに、自分だけの世界で見させてくれや! 』


てな感じだった。

・。・…



アート&デザインを見に来てるのに、

ここでも

言葉の情報攻撃か!?もやもや なんて。。



すみません…

美術館の方には申し訳ないですが、

正直な気持ちを言うと、こうだった。



もぅ、

アートにデザインに、

文で入って頭で考えてみなはれーがミックスされてくると

(しかも割りと混んでて人の話し声の情報も)

私の右脳は、

パンク寸前よアセアセアセアセアセアセ



「 考えるな! 感じろ! 」じゃ〜

駄目なんか!?






しんどかったんで…

途中からは、その貰った紙は仕舞い込んで

自分の世界だけで

作品を鑑賞させてもらった。


まず、作品を見る。

作家名やタイトルは、後で。

作品そのもののパワーを感じたい。


そしたら…絵や造形作品の中に吸い込まれてー

とっても興奮してきたよ。


ワクワクと、感動キラキラ



いちいち美術館で、

言葉による誘導なんて

受けたくない、私。



…ったく、美術の授業じゃないんだし、

お勉強させられるみたいな

考えてみてくださいーみたいな

そんなん、

ナンセンスに思ったのよ。



心の扉を大開放して

心底の自分だけの眼で

作品を感じたい…のよ。。




ーーーーーー


この企画で、

昔〜に学校で写真を勉強してたとき受けた、

「コンセプチャル・アート・フォト」の授業を

思い出した。

それが、めちゃ苦手だったのヨタラー



どんな授業だったかと言うとー

まず最初に表現したいことを言葉で表して

それからそれに即した写真を撮るーというもんで。



簡単に言えば、

何のこっちゃ分からん写真を撮っても(他人から見ると)

その写真の説明を「言葉」ですると

「なるほどナ!」と理解させるような?

そんな写真の手法。



あの「現代アート」と同じく、写真版の…

そんな授業があったんよ。



それで自分の写真作品を

コンセプトを決めて作り上げるのが

嫌だった。


文章を書いてから、撮るのも嫌だった。


写真を撮ってからワザワザ、

それを自分で説明して周りを納得させるのも、

嫌だった。


私だけかもしれないけど、

「見る」もんと「言葉」は

別々なんで、良いんじゃないかーと

思った。


心の中にある爆発的なものだけで、

写真を撮っちゃ駄目なの⁈

とも感じていた。



作品は、

見た人が感じるままでー

それに任せて良いんじゃないかと、なんて思ってた。



でも、学校じゃ

言葉で説明する技術も、勉強しなくちゃならなくてね。



私にはそれが嘘くさく感じて嫌だったことー

展覧会の企画で、思い出した。







言葉にすれば〜


嘘に染まる〜♪





それでもさ…


今の若い人たち、みんなではないけどー


こうやって「言葉」による誘導や


問いかけをされた方が、


現代アートも見やすいのか…な?




そうした方が美術館に来る人を、


もっと増やしていけるのかな?


そんな風にも思った。


私にしたら、


甘々やね…タラーとも思うが。



ホンマにアートやデザイン好きやったら、


貪欲に這ってでも見に来るもんやん…と


私は、思いもするん だけど。。




自分の頭でイチイチ考えるな!感じろ〜(笑)


(↑そういうコンセプトの展覧会ーじゃあ無いのは

重々承知しておりますパーが)




アートでもデザインでもどっちゃでもえぇ〜!


(↑いや、それを考えてみてネ!なコンセプトであるのも重々承知しておりますパーが、

私の境界線はいつも曖昧にしておきたくて…。)



好きやと思うもん、


ハマれる作品が見つかれば


それでエエんちゃう、ん??


どんな作品が商業的に成功したんかを感じとるも


良し、やし。





ーーーーーーーーーー





今日見た作品で、一番 自分の心に刺さったもの。


それは、赤い、赤い、作品だった。



他のものとは一線を画す、


自分にとってこれが見られて良かった、と


感じる作品だ。



その絵は


無数の小さな筆跡が


無限に繰り返されている。



そこに椅子があれば


永遠に座ってずっと見ていたい


そう思わせる作品だった。



作品から、


作家のDNAが


空気中に漂ってきている風に感じた。




だから、


いっぱい 吸った。




私はそれに、


自分が昔知っていた「絶望」を


感じた。


赤い、赤い絶望。



それでもそれを見るうちに


「救済」されるようでー



だから、


私は しばらく 何度も じっと


見入った。





順序にそって見に来た若い女の子は、


「キモ‼︎」と言いながら目を逸らして


行った。



また、若い男の子が


「目眩がする…気分悪くなるワ、この絵」と。




ある意味、君たちは純粋で〈正常〉で…


その恐怖を無意識に感じとったのかーー



解ったんだね、


この絵のこと。



通り過ぎる言葉を聞きながら


そう思った。




それは、


草間彌生の作品 だった。



006   アキュミュレーション 
1960年 油彩・カンヴァス 162.6×522㎝ 
大阪中之島美術館蔵