田口城(関市板取) | とんかつおやじのブログ

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長屋 景重(ながや かげしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。子に飛騨国高山藩2代藩主・金森可重。通称は将監。信濃守を名乗る。

鎌倉流長江・長屋氏の一族で土岐氏の重臣長屋氏の長男として垂井城で産まれた。織田信長の美濃侵攻の際、人質に長男の喜蔵(後の金森可重)を出したが、長屋氏が抵抗したため、縁戚関係である板取田口城に逃げ延びた。

その後、天正10年(1582年)10月織田信孝の命により佐藤方政に攻められ、田口城は落城したため、実子の金森可重を頼り、飛騨古川に夫婦共々逃げ込んだ  その後、可重は古川の林昌寺を隠居所として、両親を住まわせた。

 

ウィキペディアより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お墓?

 

 

村民の6割以上は長屋姓であり、村議会議員選挙の際には立候補者全員が長屋姓であったこともある。板取村としての最後の村議会議員選挙には定数12に対し、立候補した14人中13人が長屋姓だった。

ウィキペディアより