【今週の出雲探訪】 どうやら出雲の大神様は川と密接にかかわっているらしい | 出 雲太のブログ
2010-04-26 19:25:56

【今週の出雲探訪】 どうやら出雲の大神様は川と密接にかかわっているらしい

テーマ:出雲
出雲の神様は川と密接にかかわっている。

それは弥生時代が日本ではじめて組織的に交易航海をするようになった時代だからだ。

というのが僕の自説なのだけど、そのためには海に通じる場所、つまりは川を遡ったところに生活圏をもうけないといけなかった。

というわけで古代出雲の人々は川の近くに社を構えた。

もちろん、それがすべてではない。

生活圏は求められる職業によって場所をさだめないといけないので、かならずしも川の近くにいない神様もいる。

ただ、『出雲国風土記』を読む限り「大神」と名のつく偉大な神様はみな川の側に自らの社を持っている。

『出雲国風土記』では「大神」と名の神様が4人いる。

佐陀川を遡ったところにある佐太神社の神様・佐太大神。

意宇川を遡ったところにある熊野大社の神様・熊野大神。

飯梨川を遡ったところにある能義神社の神様・能城大神。

そして、斐伊川の流れる三刀屋を住居に定めたと伝えられるオオクニヌシ。

彼だけが例外的に海に向けてモニュメントのように建てられたのが出雲大社だ。


その中でも今回は、能城大神に注目してみたい。

というわけで能義神社にいってみました。

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小さな小山の頂上に建てられている能義神社。

祭神は天照大神の第二子、天穂日命。

天穂日命は國土奉還の使者として高天原 より大國主大神のもとにおいでになり、大きなご功績を挙げられ た、大神のご祭主としてお仕えされた神様で、出雲國造家の 御祖神。

それじゃぁ比較的新しい神様かもしれませんね。

長らく調べてきてわかったことだけど、神様も3段階に分かれていて、始めは木や石に自分の名前を刻んだ時代、生活圏に社を築くようになった時代、そして最後に大きな地域を治めるようになり、社がモニュメント化した時代がある。

まぁ、そのことは後日述べたいと思いますが、天穂日命は後期の神様だから、3段階目の社となり、こうやって小山の上に社を組んだのだろうな。

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朝廷の御尊崇も殊に篤く、「六國史」には 数度にわたって神階を授けられた記事を見ることが出来ます。

又、社殿も古雅広壮であったと伝えられていますが、永録六年(一五六九年) 天災で焼失、慶長十八年(一六一三年)堀尾氏の御造営以来十一回の 御遷宮を経て今日に及ぶ大社造りの古社であります。

考えてみると、出雲国造もおもしろい成り立ちをしていますよね。

ぜひいつの日か出雲国造についても調べてみたいと思います♪


『出雲から世界へ』

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