サイバーエージェントという会社が運営するアメーバブログというシステムを使って、わたしは文章を書いている。
今みなさまに読んで頂いているこの記事が、まさにそれである。
時々、書いた文章がブログで上位に昇ると、サイバーエージェントから連絡が届く。年に数回しかないけれど、「スキー・スノボジャンル」 で一位になることもある。
ものを書くと言えば、わたしはこれまで、けっこうな量の本を書いてきた。アマゾンで調べると、現在買うことができるものは、中古を含めると二十五冊ほどになる。スキーヤーやスイマーとしてなら、いちばんたくさんの本を書いてきた人間かも知れない。
わたしが本や文章を書くのは、訴えたいことがあったり、主張したいことがあったりするからだ。
不特定多数の人に、伝えたい何かがあるから書く。
時には、面と向かって言えないことを、文章にする。
時には、ほんとうは大声で叫びたいことを、文章に代える。
けれど、残念なことに、驚くほど反応は少ない。
文学賞を取った時、どうしても読んで欲しい人たちに、けっこうな量の本を郵送した。けれど、体制批判の要素が強かったせいだろうか、ほとんどの人は返事をくれなかった。それどころか、それ以後わたしからの連絡を受けてくれなくなった人たちもいる。
結局、他人がどう感じてくれたのか、知ることはできなかった。
先日 『ベーシックインカムへの道』 という文章を書き、そこで 『普通の人々の戦い』 という書籍を紹介したら、出版元の社長から、感謝のメッセージとメールをいただいた。こうした出来事は、十年に一度くらいしか起こらないけれど、孤独な戦場で強力な見方に出会ったような嬉しい驚きと勇気を、わたしに与えてくれる。
今年の八月の暮れ、こんな連絡をいただいた。
「弊社はおもに首都圏の中学・
これには心底驚かされた。
わたしの文章が、入試に使われたというのである。
わたしは高崎高校という名門校の出身だが、知らない人がいないほどの劣等生だった。だから、この入試問題になった文章が、その理由(劣等生になった理由)にも触れていることから、二重の驚きだった。
じつは、驚きは三重になっている。それは、今年の高崎高校の同窓会誌に、わたしの文章が載るというのだから。
名門校の入試問題と名門校の同窓会誌に、歴史に残る劣等生の文章が使われるというのだから、人生最大の驚きだと言っても過言ではない。
しかも、問題集として売られている。
問題はとても難しく、書いたわたしでも、中学時代には答えられなかっただろう。そこで、「正解する自信はありません」 と出版元に返事をした。
しかし、わたしの文章を使って、現代を生き抜く上で、とても重要な問いがなされていた。それは、記憶力さえ良ければ高い評価が得られた時代と、明らかに異なった問題意識である。
文章や本を書いても、ふつうは何の反応もない。
だから、孤独感に見舞われることも多い。
だから、時々耐えがたいほど苦しくなると、わたしは自分の文章を 「どこかで、誰かが、きっと読んでいてくれるはずだ」 と、自分を慰めてきた。そして共感してくれる人が、 どこかに 必ずいてくれるはずだと、自分に言い聞かせてきた。
図らずも今回は、それを実感する瞬間となった。
問題に選んでくださった先生に心から感謝したい。
人生最大の驚きと、温かい喜びを、ありがとうございます。
わたしは高校時代、その時の教育システムを疑い、自分なりの道を模索した。当時は周りが正しく、自分がおかしいのでは・・・・・・とすら感じることもあった。
それはほんとうに孤独で、辛い道程だった。もし変わった道を一緒に歩く親友がいなければ、その道を歩き続けることはできなかったかもしれない。
当時わたしが思っていた疑問 ・・・・・ 日本の教育システムへの疑問と、「もっともっと大切なものがある」 という想い ・・・・・ は、インターネットとGAFAの時代になって、ほぼ証明されたように思える。わたしの当時感じた疑問は正しかったのだ。
コロナ禍となり、社会への疑問も、今まさに変革されそうに感じている。
自分がほんとうにやりたいことをやり、そこで失敗を繰り返し、失敗から学んで成長する人生こそ素晴らしいのではないだろうか?
あなたは、あなたの人生の運転手なのだから。
あなたの人生を動かすことができるのは、あなたしかいないのだから。
助手席に乗っているだけの人生は、いつか破綻する。
怖がって出発すらしない人生は、いつか孤独で辛いスタートを切らされることになる。
今日も、誰かが、どこかで、きっと、この文章も読んでくれることを信じて ・・・・・・。
入試問題となった文章はこちらです。
https://ameblo.jp/tonakai-no-hitorigoto/entry-12525857815.html
