誤解からの迷宮・・・・ピアノソナタ第14番『月光』 | トナカイの独り言

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 若い頃から、わたしは忘れっぽかった。
 テストも、記憶ものはまったく自信がなかったし、ダメなものが多かった。
 だから今回の大きな迷いと驚きも、記憶力の問題で片付けられるのかもしれない。それとも今感じているように、これはもう少し大きな心の作用なのだろうか。

 

 近頃よくコンスタンチン・リフシッツのベートーヴェン、ピアノソナタ全集を聴いている。友人に教えてもらったピアニストで、素晴らしいソナタ全集である。

 彼の特徴として、「日本的な 『間』 がある」 と言える。フルトヴェングラーの交響曲のように、全休止を長めにとって、曲に独特の深みや情感を加えている。

 

 リフシッツの全集には、とても感動的な演奏が多いのだが、有名な14番のソナタ・・・・俗に 『月光』 と呼ばれている曲の三楽章だけは、わたしの心にしっくりこない。
 この三楽章の第一主題は分散和音を駆け上り、情熱の爆発とでも言えるスフォルツァンドが連続する有名なものだ(下記)。

 

 

 ピアノソナタ第14番というのは・・・・あくまでもわたし個人の解釈だが・・・・、ベートーヴェンが書き残した最高のラブレターである。

 ロマンティックで幻想的な第1楽章で、たゆたう幽玄で深い想いにはじまり、短く美しい現実的なステップを経て、燃えたぎる第三楽章へと流れ込む愛の奔流である。

 だから、この第三楽章はせき止めたくても止まらない激流が必要なのだ。肉体の欲望と共に。
 ところが、リフシッツはこの情熱の高まりを何度も止めてしまう。それも、愛の怖れから躊躇するのではなく、理知的に、頭脳で止めてしまう。
 

 これを聴きながら、こんな声が聞こえてきた。

「おお友よ、このような演奏ではない! もっと心地よいものを聴こうではないか」

 

 この時、わたしの心に浮かんだのは、ピアノの底を打ち抜くような打鍵と燃えたぎる情熱のホロヴィッツの演奏だった。東京(国立市)に住んでいた頃、よくヘッドフォンで聴いたCDである。
 そこで、ホロヴィッツのCDを掛けてみた。
 すると、よく知っていたはずの演奏が、まったく別物だったのである。
 もう何十年もホロヴィッツの月光はこうだ信じていたものと、まったく異なっていた。
 そんな事実に、もの凄く衝撃を受けて、放心してしまった。
 何人もの友人に、熱くこの演奏の話をした記憶があるのに、完全にわたしは間違っていたのである。
 

 しばらく呆然としてから、それでは、確かに記憶にあるあの凄まじい14番は、いったい誰の演奏だったのだろうと悩み始めた。


 まず、わたしの記憶にあるのは、スフォルツァンドで弦が切れるかと思うほど強靱な打鍵である。それを実現できるピアニストの数は、ごく限られている。ホロヴィッツでなければ、いったい誰だろう。まず思い浮かんだのは、リヒテルだ。が、リヒテルの14番を、わたしは持っていないはず・・・・。調べてみたが、やはり家にはないし、発売もされていない。あれば、ぜひ聴いてみたいものだ。

 次に思い浮かんだのはギレリスである。
 ライブ盤とグラモフォンのスタジオ録音盤の二種類を持っているので、両者を聴いてみた。どちらも素晴らしい演奏だが、記憶の演奏とは異なっている。
 ギレリスの演奏は力強く情熱的だが、幻想性・・・・ロマン性と言ってもいい・・・・と、自由さに欠けているように感じてしまう。
 

 14番のソナタには、伸びやかな自由さがぜったいに必要だ。
 ギレリスのように伸びやかさに欠け、三楽章で少し急いでしまうように感じる演奏にグルダがある。こう感じて、思い違いをしなくてすむようにグルダを聴いてみる。やはり急いでいるように感じた。三楽章は速いスピードで駆け抜ける必要があるけれど、急いだり、慌てたりしては意味がない。これは、心と体の底から、押さえようにも抑えきれずに奔流となり、荒れ狂う恋心なのだ。

 何かに追いかけられ、必死に逃げてもいい。
 何かを必死に追いかけてもいい。
 しかし、自分の意志で急いだり慌てたりしてはいけない。


 グルダと同じように、素晴らしいのだけれど激烈な情熱を感じられないものにポリーニがある(ふたたび確認)。グルダやギレリスより伸びやかさはあるけれど、やはり恋の狂気は感じられない。狂わずコントロールされていると言って良いかも知れない。
 

 伸びやかさという点では近頃聴いたファジル・サイも優れている。しかしポリーニやサイはデモーニッシュさという点で、ホロヴィッツに遠く及ばない。
 

 このあたりまで確認して、これまでわたしが好きだった月光を、もう一度聴いてみようと思った。
 

 まず、ヴィルヘルム・ケンプである。
 わたしのところには三種類の演奏があり、どれも素晴らしい。
 ケンプは、わたしのもっとも好きなピアニストで、ベートーヴェンのソナタも後期なら文句なく一番の愛聴盤である。しかし月光や熱情となると、もう少し悪魔的な要素、つまりデモーニッシュな狂気が欲しくなってしまう。
 わたしの心に鳴り響く14番の月が、剣の切っ先のような青光りしているのに対して、ケンプの月は丸みを帯びて黄色く光っている。

 長い間好きで、良く聴いた演奏にエフゲニー・キーシンがある。
 14番ソナタのスタンダードと言われたら、わたしはキーシンのCDを選ぶ。二種類発売されているが、どちらも素晴らしい。
 

 音が極めて美しいのはアンドラーシュ・シフである。わたしの家の再生機と相性が良いのかもしれないが、極めて美しい音で響く。全集の完成度も抜群に高い。しかし14番に限るなら、第一楽章が速すぎる。
 キーシンの新盤で一楽章に6分41秒かけているのに対して、シフは4分28秒で駆け抜ける。
 シフの一楽章は速いだけでなく、あまりにもペダルを踏み続けている。そのため、音が重なりすぎるようにも感じてしまう。これはベートーヴェンの指示だという意見もあるが、少しやり過ぎに響く。
 シフの月光にはもう一つ不満がある。ケンプの演奏のように、やはり悪魔的な要素があまりにも感じられないのである。
 

 アシュケナージも素晴らしいソナタ全集を出している。
 とてもロマンティックで素晴らしいと感じるのだけれど、どの曲もわたしにとってナンバーワンにならない。それが、とても残念である。

 

 ロマンティックという観点で選ぶなら、ダニエル・バレンボイムの第一回目の録音が素晴らしい。バレンボイムにはデモーニッシュな魅力もあり、大好きな演奏である。ただし第二回の録音となるグラモフォン盤だけは、とてもそっけなくて、あまり好きになれない。それに比べ、第三回目となる最新盤は、細部まで非常に磨かれて素晴らしい。全集として心からお薦めできる。


 心から薦められるもう一つの全集に、ポール・ルイスがある。

 ここ数年で、わたしがもっとも聴いているピアニストだ。けれど14番の恋愛感情は、彼の心の範疇を超えている。ルイスにも深い狂気はない。

 

 完成度の高い全集と言えば、アルフレッド・ブレンデルを忘れてはいけない。
 14番も三回の録音があり、そのどれも素晴らしい。ただその演奏内容に大きな路線変更は感じられないし、やはりデモーニッシュな魅力に欠ける。 

 好きな14番で、ここまで書いてこなったものにバックハウスがある。バックハウスのソナタ全集は定番と言えるほど完成度が高い。けれど、こと14番に限るなら、ブザンソン音楽祭のライブが最高に素晴らしい。ただし、モノラル録音なので、キーシンやシフの録音のような音そのものの美しさはない。しかし、それ以外を求めるなら、最高の14番である。

 

 今回、たくさんの14番を聴き直して、思ったのは、次のようなことだ。
「わたしの心で響いていたのは、わたし自身の14番に違いない」

 やはり、そういうことだ。
 楽譜を追ってみると、わたしならこう弾きたいと、明確に感じてしまうところがたくさんある。そんな自分の理想のスタートになったのが、ホロヴィッツの月光ソナタだったのかもしれない。今でもホロヴィッツを聴くと、青光りした月の光を感じる。
 もし右手首の神経を断裂していなければ、死ぬまで理想を求めて練習してみたい気持ちもある。残念ながら正中神経を断裂した右手は、繊細な動きができない。 

 

 お勧めの14番のあるみなさま、どうかお教えください。
 ぜひ、聴いてみたいと思っています。


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