わたしが生まれた1955年、自分の家に文明を感じさせるような電化製品は何ひとつなかった。
母や叔母さんがタライで、洗濯物を洗濯板を使って、素手で洗っていた。
東京タワーができた頃の話だ。
幼稚園に通う頃、ようやく電気で動く洗濯機を購入した。横向きに並んだゴム状の円柱が2本付いていて、洗濯した服をそのローラーの間に入れて絞ったことを覚えている。時々いたずらで指を挟んでみたり、粘土を伸ばしてみたりもした。
まだ、テレビや電話は家になかった。
この頃、冷蔵庫は電気式でなく、大きな氷を入れて冷やす木製の箱だった。
小学校に入って少しすると、電気式の冷蔵庫や白黒のテレビが家にやってきた。
冷蔵庫で氷が作れることに驚き、テレビでおもしろい番組を見つけては喜んだ。
いちばんよく覚えている番組は「海底人8823」ではないだろうか。海底人間が海から現れる場面を、今でも思い出すことができる。余談になってしまうが、この物語を振り返ると、海底に沈んだとされるアトランティスやムー大陸の物語が反映されていたり、人間には聞こえない高周波の笛が出てきたりと、とても歴史や科学的好奇心をそそられるものだった。
わたしが小学校に通っている間に、蓄音機や冷蔵庫、電話、自動車などが家に揃っていった。それこそ三種の神器に代表される家電群である。
東京オリンピックに合わせて我が家のテレビはカラーに変わり、その翌年には素晴らしい音を出すステレオがやってきた。
蓄音機というのはステレオ(オーディオ)の前身機器で、一分間に78回転するレコードを掛けるものだ。直径30センチもある円盤なのに、5分くらいしか再生できず、ベートーヴェンの交響曲5番を聴くのに、何度もなんどもレコードをひっくり返したり、変えたりした。ステレオと共に、レコードは33回転へと変わっていった。
写真はまさに我が家にあったステレオである。
日本国民が、海外に自由に行けるようになったのも、この頃の話である。
わたしの叔父が長期でスイスに渡ったので、それを特別に覚えている。それまでは、特別な人たちが特別な機会にしか渡航できなかった。
わたしの小学校にプールができたのも、この頃だ。
要するに生まれてから物心付くまでの5年くらい、家には電灯以外何もなかった。
そこから15才くらいになるまでの10年間で、およそすべての家電が揃って、そこで生活するようになったのである。
自動車もごくあたりまえの所有物になっていた。
お風呂もガスがあたりまえ。中学生まで、風呂は薪で焚いていたのだ。
15才くらいからしばらくの間、家電や自動車の改良時代が続いたように思う。形が美しくなったり、小型化されたり、高性能化されていった。
この頃、わたしの住む高崎市に、初めて温水プールができた。
小学校からずっと水泳部だったわたしは、心底、温水プールで練習できるスイマーたちが羨ましかった。
ロッキード事件が起こったり、成田空港ができたり、王さんがホームランの世界記録を達成したりした頃の話である。
30才くらいになって、通信革命が起こった。
わたしが初めて買った携帯電話は「030」からスタートする番号で、40万円くらいする高価なものだった。もの凄く便利だと感じたけれど、維持費も高かった。
30才代というのはワープロが発達した時代でもあった。
登場時は大きかったワープロが、どんどん小型化されて、高性能になっていった。特にワープロとファックスを直接接続できる機能が出た時は、とても感動した記憶がある。
40才代になると、いよいよウインドウズ95が登場。このウインドウズから、わたしのコンピューター時代もスタートした。
パソコンも最初は高額だった。
最初に買ったのはデスクトップだが、どうしてもパソコンを持ち運びたくて、買ったノートは50万円もした。
しかし、この頃パソコンの50万は安いと感じたものだ。何しろなんでもできるのだから。ワープロ使用を中心に買ったのだけれど、何からなにまでパソコンででき、しかも可能性の幅が日に日に広がって行った。そんな時代の流れの速さに、心底驚いたし、同時に着いて行こうと必死になった。
こうした流れを振り返ると、ほとんどの65才以上の方なら、まったく家電がなくて手で洗濯していた時代から、現代までを経験してきたのではないだろうか。
自動車を所有するなど夢のまた夢という時代から、よほどの都会でない限り1人1台が当たり前という時代を生きてきたはずである。
こうした時代の変化を、人間が使用するエネルギー量で考えると、気が遠くなるほどの差を感じてしまう。それこそ、わたしの祖父の時代の農家と、現代の中産階級の消費するエネルギー量を比べたなら、信じられないほどの差があるだろう。

新型コロナウイルスが収まった時、各国政府は莫大な負債を抱えることになる。
そうでなくとも先進国のほとんどが財政危機にあるのに。
これまでわたしたちが経験してきた経済危機のように、単純なV字回復・・・・日本のバブル崩壊やリーマンショックのように・・・・コロナ前に戻すというのは難しいのではないだろうか。加えて、元に戻すのを、いったいどれだけの人々が望んでいるだろうか。
現代は、良くも悪くも20世紀の白人社会が創ってきた価値観で動いている。
それはとても単純に云うと、競争社会ということだ。
いちばんそれを体現しているのが、アメリカである。
ちょっと脇道に逸れさせていただくが、アメリカには厳しい競争があるけれど、同じくらいに明確なルールが見えている。だから、ルールに従ってプレーして勝てば、社会の階段を上っていける。それは金持ちになれるということでもある。
いっぽう日本に厳しい競争はあるけれど、明確なルールが見えていない・・・・加えてルールが途中で変更される場合も多い。
だから、日本ではどう努力すれば坂道を登れるのか、よく分からない・・・・わたしには・・・・。
わたしはアジア圏内の若者にスキーを教える機会が多いが、日本の若者がいちばん屈折しているように感じてしまう。まだ発展途上とも言える国の若者たちの方が、ずっと明るい未来を見ているように感じてしまう。彼らは努力すれば報われると信じているのだから。
コロナが長引けば長引くほど、経済は大きな打撃を受ける。その規模はこれまでの経済恐慌など比較にならないほど大きなものだ。
そこで、わたしたちはどんな未来を実現させたいのだろう。
わたしは、少し後戻りするのが良いと思う。
清潔で快適に生活できる最低レベルのエネルギー使用に戻るのが、良いと思う。それは人間の心にとっても、生活にとっても、幸せにとっても、地球環境や回りの自然や動物たちにとっても、今の状態よりずっと良いと思う。
1964年の東京オリンピックのために、日本は首都高速道路を造り、多くの大工事を挙行した。今それらは、すべて崩壊の瀬戸際に立っている。コンクリートの耐久年の限界を迎えている。
巨大なものを造れば造るほど、それを維持するのは困難になる。
よく北陸自動車道を走りながら、多くのトンネルが耐久年数を向かえる頃、大事故が起きなければ良いと願ってしまう。
小さなものを日常的に維持する方が、ずっと容易いし、必要なことだ。
自分の目の届く範囲で、世界を美しく整えていく方が、ずっと幸せなことだ。
不必要なエネルギーを浪費せず、地球と共に生きる方が、じっさいに楽しい人生だろう。
世界を考える時、わたしがもっとも大切と信じるものは、「信用」である。
お金が流通できるのは、そこに信用があるからだ。信用がなくなればただの紙くずになる。信用さえあれば、金はいくらでも刷ることができる。
同じ理由で、日本に高い信用があるから、日本国が保たれている。
そして、信用を生むのは倫理である。
倫理感のないところに信用は生まれない。
現在の日本が持つ信用は、かろうじて歴史が持ちこたえてきた武士道ということになるのだろうか。
コロナ渦の真っ只中で、より良い未来を探したい。
いったい何が人間のほんとうの幸せなのかを、この機会にで問い直したい。
ちょうど、ベートーヴェンがフランス革命と産業革命の中で、人類の未来を考えたように・・・・・・。
