親友への手紙 | トナカイの独り言

親友への手紙

 十五才で知り合って以来の親友・三澤洋史君は 『MDR』 というホームぺージを運営しています。読者数も多く、しっかりした管理者もいて、とても影響力のあるホームぺージです。そこに 「角皆君への手紙」 として、わたしの実名入りで手紙を書いてくれました。
 http://cafemdr.org/RunRun-Dairy/2019-3/MDR-Diary-20191104.html

 

 ほんとうに多くのみなさまが読まれるホームぺージなので、恥ずかしいのですが、じつはこれも深い意味のある偶然のような気がしてならないのです。

 そんなことから、このブログを書くことにしました。

 

 若い頃の友情というのは、とても大きな価値を持っていないでしょうか。
 人生を俯瞰して眺めてみると、恋と友情、そして愛がどれほど大切なものなのか、つくづく感じ入る年になりました(笑)。

 昨日の夕食がなかなか思い出せなくても、若い頃のいくつかの場面なら、決して忘れることがありません。
 そんな思い出に、以下があります。

 

 初めて三澤君の家に泊まった時のこと・・・・・・。

 夜も遅くなって、彼が 「河原に行こう」 と言うのです。家の近くに、二人にとって意味のある烏(からす)川が流れていました。
 河原に行く理由は、「彼のトランペットを聴きたい」というわたしの願いを叶えてくれるためでした。思い切りトランペットの吹ける河原に行って吹くというのです。
 

 星も月も出ていない曇天。

 対岸の灯りが川面に反射して、その光が紅潮した彼の横顔を浮き上がらせました。烏川の広大な空間に、どこかで聴いたことはあるけれど、曲名を知らない音楽が響きました。
 その時の彼の紅潮した横顔を、わたしは決して忘れないでしょう。

 

 またわたしの自宅で彼がベートーヴェンの8番ソナタを弾いてくれた時の表情も、決して忘れることがないでしょう。
 

 こうした記憶が、積み重なって友情となって流れています。最初は細い川だったかもしれません。ですがさまざまな思い出や、相手には伝えなかった隠された想いが重なって、今はゆったり滔々と流れています。

 話は少しずれますが、近頃わたしは保阪嘉内について調べています。
 保阪嘉内は宮沢賢治の唯一無二の親友でした。
 賢治の作品は、嘉内がいなければ書かれなかっただろうほど、賢治に影響を及ぼした友人です。
 二人の友情を知るにつけ、わたしは三澤君と自分との友情を再認識しています。


 賢治と嘉内がいつでも会うことができたのは、二年間にすぎません。その後はたった数回しか会えない運命だったのです。
 しかし、彼らの間には数多くの手紙や葉書がやり取りされ、そこに記された内容に、今のわたしは心からの感動を覚えます。そこへ、公のホームぺージを通して、わたしの親友から手紙が届きました。だから、意味のある偶然と感じたのです。

 

 

 昔から、賢治の作品には謎があると感じていました。
 その謎が彼の作品の魅力でもあるのですが、やはり謎を解きたいという気持ちは続いていました。それが、保阪嘉内との友情の変遷を知ることで、一気に解決された気がするのです。
 賢治の 『銀河鉄道の夜』 は、賢治から嘉内への告白だと考えると、すべてに納得がいきます。
 二人は尊敬し合うだけでなく、お互いに「恋しく」 思っていました。もちろん性的な意味ではありません。肉体的な関係ではなく、心が相手を 「恋しく」 思う関係だったのです。その視点から賢治の作品を読むと、ほんとうにたくさんの作品が、保阪嘉内に読んでもらうためだけに書かれていることがわかります。

 

 自分の話に戻ります。

 親友がわたしのことを書いてくれたので、ここに彼も知らない秘密を一つ書きましょう。
 それはわたしの怪我の話です。

 わたしには、スキーしかない時期がありました。スキーに命を掛けていたと言っても良いでしょう。そんな時、当時再起不能と考えられていた大きな怪我をしたのです。十字靱帯と半月板の損傷でした。同時に化膿性関節炎まで併発し、たいへん苦しい入院生活を送りました。
 この時、わたしは自暴自棄になり、自殺を考えたのです。


 このどん底からの復活に、じつは親友が深く関わっています。
 なぜなら、わたしは自分の人生を、彼の視点から物語に書いたのですから。
 大学ノートに細かな字で、三冊半ほどの大長編です。この物語の中で、わたしは死にます。死んだわたしを、彼が思い出して書いているという物語を創作したのです。


 物語の中で自分を殺すこと、そして彼の視点から自分の命を見直すことで、書いている自分が生きられるようになりました。
 もし彼という存在が、わたしに恵まれていなかったなら、きっとあの時死んでいたことでしょう。もし死にきれなかったとしても、スキー界では死んでいたでしょう。
 だから彼は、自ら知らぬとも、わたしの命の恩人なのです。
 

 ただ、この物語はあまりにも過激で、未熟なため、読むと今度こそほんとうに死にたくなります(笑)。わたしはこれを病院からある出版社に送るほど、とんでもない行動をする若者だったのです。

 この体験があって、ある日突然ブラームスに目覚めました。
 ブラームスの音楽に涙が止まらなくなり、ブラームスがわたしのすべてを理解してくれるように感じたのです。このどん底を経るまで、わたしはブラームスが大嫌いでした。なんとウジウジした音楽だと、毛嫌いしていたのです。
 しかし、物語の中で自分を殺し、そこからもう一度立ち上がり始めると、ブラームスだけがわたしの理解者だと信じられるほどに変っていたのです。

 今年の紅葉は遅れただけでなく、少しくすんでいます。鮮やかな紅葉を求める方には、残念なシーズンなのでしょう。しかし、くすんで燻されたような紅葉は、まさにブラームスの響きをもたらしてくれます。
 今年の紅葉は、ブラームスのクラリネット三重奏曲でしょうか?



 

 親友とわたしの共通点はやはり音楽です。

 ただ、高校時代に惹かれた一番の原因を考えると ・・・・・・ 高校時代は音楽以外、ことごとく正反対と言ってもよいくらいでしたから ・・・・・・ やはり生きることや生き方を考えるというところに共通項があったように思います。


 優秀な高校だったこともあって、学業とその成績、志望大学や就職先というものに焦点が合った生徒が多いなかで、わたしたちはヘッセやロラン、ドストエフスキーを読み、いかに生きるべきかを問うていたように思い出します。


 まだまだ、お互いにもう一頑張りか、もう二頑張りくらいしなければならないでしょうが、少しでもより良い命の在り方に近づけることを祈り、努力していきます。
 これまでほんとうにありがとう。
 まだまだ先に進むつもりなので、これからもよろしくお願い致します。