心と体の秘密 ・・・ 苦痛がハーレーに変る時 | トナカイの独り言

心と体の秘密 ・・・ 苦痛がハーレーに変る時

 十才からスポーツ中心の生活を送るようになったわたしですが、やがて物心つくようになると、心と体というものの関係を考えることが多くなりました。それこそフリースタイルスキーを始めて大きな怪我をしてからは、人生の一つの目標が 「心と体」 の関係を理解することのように感じてきました。

 

 六十才に近づいて難病に罹ったり、発作性めまい症や肩の拘縮、そして極めつけのギックリ腰などを経験して、ようやく少しだけ心と体のほんとうの関係を理解し始めたように思います。

 そんな物事の裏側に秘められたほんとうの関係について、今日は書いてみます。

 

 まず五十八才の時、後縦靱帯骨化症という難病に襲われ、手術をすることになりました。医学的な説明としては、こんなものが妥当と考えられました。
「若い頃からスキーで無理をして、特にエアリアルで大きな転倒を繰り返してきたので首に負荷が掛り、骨化症になった」
 でも、今のわたしなら、ほんとうの理由が分かります。
 それは以下のようなものです。
「当時(五十八才)のわたしは自分に 『毎日連続三十回以上の懸垂』 を義務づけていました。これはとても精神的負荷の高いトレーニングで、特にスキーシーズンにはとても辛いトレーニングでした。けれど、有無を言わさず続けたのです。すると心の深いところで、『もう故障にでもならないと止めないだろう』 という判断を下し、選ばれた故障が骨化症だったのです」


 こう考えると、「ほんとうはやりたいくないこと」 を意志の力で続けていると、ほとんどの場合、故障か怪我に行き着くという真実を理解することができます。

 最後のギックリ腰になったときも、水泳に復帰するため、かなり苦痛度の高いトレーニングを繰り返していた時でした。

 

 今年、スキーシーズンが終わるとすぐに、強度のトレーニングを始めました。すると、驚いたことによく名前も知らない気胸という病気に襲われたのです。これは肺に穴が開く病ですが、わたしのものは自然気胸と呼ばれ、発生理由の分からないものでした。
 診ていただいた呼吸器の専門医から、「君のように胸板の厚い人はなかなか罹らない病なんだけれどなあ」 と言われました。
 でも、わたしにはよく分かったのです。

「辛い水泳のトレーニングをやりたくないのだ。そして、もうギックリ腰になれないから、気胸を選んで出てきたのだ」
 この時、三週間の安静を伝えられましたが、内心穏やかではありませんでした。
 スキーシーズン中に泳げなかったこともあり、いよいよトレーニングというところで、気胸になってしまった訳ですから・・・・。しかも今年のジャパンマスターズは九月なので、しっかり準備して迎えられると思っていた矢先、一ヶ月という時間が失われてしまったのですから。

 この時分かったことは、「トレーニングをしたい自分と、辛いトレーニングをしたくない自分の両者が、体の中で争っている」 という事実でした。
 トレーニングして強くなりたい自分と、辛いトレーニングをしたくない自分が葛藤して、トレーニングしたくない自分が気胸を起こしたと、素直に理解できました。

 

 その結果、体は楽になりましたが、トレーニングしたい自分は大きなストレスを抱えることになります。そして、悶々とした一週間をすごしていると、突然のようにして、もの凄くオートバイが欲しくなってきたのです。

 十六才で免許を取ってから、オートバイはわたしの大好きな乗り物でした。
 スキーでワールドカップに出ている間こそ乗りませんでしたが、それ以外でオートバイに乗っていないのはここ三年間だけです。
 高校時代に最初はモトクロスからスタートして、オートバイでモーグルのようなこともやっていました。
 高校二年の時、「絶対、バイクで宙返りができるはずだ!」 と思って、宙返りに挑戦し、バイクを壊したこともあります。ちなみにこの頃はまだ、バイクで宙返りというのは知られていませんでした。自分は世界初と信じていました。
 興味のある方のために書いておくと、宙返りはできたのですが、少し回転が足らず、フロントタイヤから着地して、フロントフォークを曲げました。

 

 フリースタイルの選手を引退すると、すぐにスズキのイントルーダーを買いました。
 イントルーダーを選んだのは、アメリカンならスピードも出ないし、コーナーリングでもバイクを倒せないから安全だという理由です。
 これも余談ですが、当時同じスズキのアメリカンを買ったエアリアルの日本代表、待井寛君と、いろいろなところをツーリングしました。良き思い出です。


 イントルーダーは素晴らしいバイクで、大好きだったのですが、そのうちやはりハイスピードのコーナーリングがしたくなりました。しかも当時住んでいた猪苗代界隈には、素晴らしい峠がたくさんあるのです。
 そこで、スズキのガンマ (2ストロークのレーシングモデル) を買い、それで毎朝走るようになりました。当時は猪苗代リステルの社員だったので、朝走ってから会社に行きました。
 他のレーシングモデルにも乗りましたが、このガンマがわたしに一番合うレーシングバイクでした。転倒したり、一度は廃車にしたりもしましたが・・・・。

 ここで、脱線します。
 この頃、自分の親しい友人にバイクを売り、彼がそのバイクで大怪我を負ってしまったことがあります。忘れ難い、大きな痛みと悲しみの記憶です。

 白馬への引っ越しを機に、イントルーダーだけを残し、他のバイクを処分しました。そして、引っ越しのトラックが出発するのと同時に、わたしはイントルーダーに乗って白馬にやってきました。
 この時、寒い日本海の風に震えながら、「いつかハーレーに乗りたいな」 と思ったことを覚えています。

 「いつかはハーレー」

 

 イントルーダーに続いて、中古のV-マックスを手に入れ、これにもずいぶん乗りました。バイクでの最高速体験はこのV-マックスです。
 そんないつもバイクのあった生活ですが、三年前に新しい自動車を買うとき、V-マックスを売ってしまったのです。「もうそれほど乗りたくならないだろう」 というのが当時の気持ちでした。
 

 ところが、気胸で寝ているうちに、バイクへの想いが日に日に強くなっていったのです。「あぁ、バイクに乗りたい」 と感じました。そして、ウェブで検索などもするようになりました。
 どこか遠くから 「いつかはハーレー」 という声が響いてきます。
 やがて、「いつかはハーレー」 から、「今買わなければ、ハーレーはない」 へと変りました。
 「そうだ、買うなら今しかない。今買わないなら、もう一生ハーレーはない」

 こうしてハーレーを買う決断をしたのです。
 だから、ハーレーを呼んだのは気胸だと言えます。
 

 おもしろいことはまだ続きます。
 ハーレーを買うことに決め、試乗に行き、どれを買うか悩んでいると、友人からこんな連絡がありました。
「1961年にタイ国で、高名な僧による説教がありました。今や伝説となっている素晴らしい講演です。この英語訳があるので、それを日本語に訳しませんか?」
 まだ安静の時期が続いていたこともあって、すぐに引き受けました。
 最初にざっと読んでみたら、多くの場所に 「いかにして物欲を抑えるか」 という話が出てきました。もう少し説明すると、この世の不幸というものは 「わたし」 という感覚が、「わたしのもの」 に変ることから始まると云うのです。
 オートバイを 「わたしのもの」 にしようとしていた自分にとって、とても興味深く、意味深い偶然と呼べる内容でした。
 この講義の訳を続けながら、一方で 「わたしのもの」 を消すことを考え、もう一方でどのようにして素晴らしいバイクを 「わたしのもの」 にするのかを、同時に思い続けたのです。

 ストレスは、体に出ます。
 でも、押さえることもできます。
 しかし、押さえると、別のところに出ます。
 それは、自分の予想を遥かに超えた不思議なところに現れます。
 ですから、元々いやいやながら続けた懸垂や水泳のトレーニングが、いろいろなところを巡り巡って、ハーレーになって出てきたのです。
 

 友人の高名な医師に、「気胸になって悶々としていたら、もの凄くハーレーが欲しくなって、ついに買ってしまった」 と伝えました。
 すると彼からこんな返事が来たのです。
「ハーレーを買うくらいなら、気胸はすぐに治る!」
 確かに、最低三週間の安静と言われたわたしの気胸は二週間後の MRI で影も形もなくなっていました。