ピーク パフォーマンス / 最高の演技とは | トナカイの独り言
2012年02月14日(火)

ピーク パフォーマンス / 最高の演技とは

テーマ:まじめな話
 陸上競技や水泳というタイムを判断基準とする競技の根底には、たぶん「人と競う」という要素が大きく存在しているのだろう。他人より優れたいと願うのは、ほぼ万人の自然な姿であり、資本主義の原点の一つと云えるのかもしれない。

 今回、不思議なテレビ番組に招待された。
 番組名はまだ書けないが、ある特殊な条件下での真剣勝負である。
 同じ条件下での第一弾は陸上競技だったそうだ。その第二弾が水泳編で、水泳の四泳法において、二つのチームが対決するというものだ。個人対決と同時にメドレーリレーもやる。わたしは片方のチームのバタフライ種目を担当することになった。

$トナカイの独り言-Fly

 この番組の打ち合わせ以来、番組スタッフからずっと要望され続けた言葉がある。それは「ぜったい相手に勝つ」とか「負けるはずがない」とかの言葉である。競争原理の原点を確認し、番組のヴォルテージを上げようという趣旨なのだろう。

 日本のスポーツ番組の放送において、この手法は頻繁に見られるものだ。顕著なのは格闘技で、英語で発言している外国選手の日本語訳が、異様に過激な内容に変わってしまうのは毎度のこと。ちなみにわたしが知る限り、北米を含むヨーロッパ圏内の選手の発言には圧倒的に謙虚なものが多い。特に日本伝来の空手や柔術関連の選手たちなど、まるで儒教の礼儀を聞いているようである。

 番組では、繰り返し「自信のほどは」とか「勝てますか」という質問を受け、そこに「自信満々」とか「絶対に勝ちます」という発言を期待され続けた。

 十才からスポーツをはじめ、これまで戦績だけには恵まれているわたしが強く感じていることの一つに、「勝敗にこだわると、実力を発揮できない場合も多い」というものがある。「勝敗にこだわることで、負ける確立は上がるが、勝つ確立は下がる」という真理である。

 このあたりの仕組みを深く理解しているスポーツ選手たちの一群がいる。それは現在、日本のトップにいるフィギアスケーターたちだ。彼ら、彼女らの発言を聴くと、わたしが感じてきたところをしっかりと意識した発言が多い。「自分の最高を目指し、他人との比較を意識しない」ということが、勝負にいかに大切かを、よくわかっているのだ。

 格闘技や団体競技、ボールゲームを除いて、スポーツ選手にできる最良のことは 「自分の最高を実現する」 ことのみである。自分でコントロールできるのは、自分だけ。相手をコントロールすることはできない。

 少し本筋から離れる話題に聞こえるかもしれないが、自分の例を書いてみよう。
 わたしには「自分のピークを実現できた」と感じた経験が何度かある。そのなかの二回において、音が消える体験をした。どちらの場合も、スタートの合図以外は聞こえなかった。一度はゴールした後もしばらく音が消え、不思議に感じたほどである。
 後で考え、わたしなりにこう理解した。
 体の中で、うまく滑ること(泳ぐこと)に必要な神経やエネルギー回路が総動員されて、同時に不必要なスイッチがすべて切られたのではないか。不必要な回路に使われるエネルギーまでもが、必要な回路に投入されたのではないか。

 また、わたしはオートバイで事故を起こしたことがある。その時、一秒を二十秒ほどにも感じたのだ。一瞬のなかで、かなり複雑な対応ができた。同じ体験をエアリアルでも、深雪滑走でもしたことがある。一種の神秘体験に近いものだ。

 ピークパフォーマンスというのは、それほどの体験である。
 そんな体験を通して見ると、ピークパフォーマンスを望むのなら、「勝敗にこだわる余裕などない」ということが理解できる。すべてのエネルギーと感覚を、その行為そのものに投入して、初めてピークパフォーマンスが可能になる。

 泳ぐなら、全身の水感を高め、筋肉の繊細で大胆なコントロールを可能にし、呼吸とバランスを完璧に支配しなければならない。自分の能力そのものを、細部まで具体的に把握し、ピッチやエネルギー配分を実行しなければならない。
 そこに勝敗へのこだわりが入るゆとりはない。すべてはその瞬間に費やされなければならないのだ。
 数年前、生涯ベストを出した時の泳ぎなら、スタートからゴールまですべて克明に覚えている。かつて音が消えた時は、スタートした時からゴールまで、まったく記憶にない。その時間は今でも欠落しているのだ。記憶するエネルギーまでもが、『その時』に使われたのかもしれない。

 勝敗にこだわると、もっと悪いことがある。
 間違った思い込みや、間違った競争心から生まれる「うぬぼれ」や「錯覚」という落とし穴である。
 謙虚さを失ったとたん、上達や向上が失われる場面を、いったいどれほど見てきたことだろう。
 言葉は声にして出すだけで自分への影響がある。それは必ず、自分に返ってくる。

 もしあなたがスポーツを真剣に考えているなら、自分の実力を冷静に判断すると同時に、競争相手を尊敬する気持ちが、あなた自身の上達や向上に役立っていることを知って欲しい。対戦相手を尊敬することで、あなた自身の力が、より発揮しやすくなる。なぜなら尊敬する相手に向かう時、あなたは自然に全力を尽くさなければならないと感じるからである。同時に、相手を見下すことは、間違った自信過剰につながりやすく、失敗を招きやすくする。
 自分の努力を評価すると同時に、相手の努力に対する正当な評価が、あなたの向上にそのままつながっている。

 スポーツの世界というのは不遜でいられるほど甘くない。
 それはレベルが上がれば上がるほど顕著になる。

 そこまで理解したとき、稀代の横綱と云われる相撲取りが、「なぜ押し出す最後に力を抜くのか」、「なぜ負けた相手に手を差し出すのか」、それらを理解できる。ほんとうにレベルが高くなれば、自然に到達される世界がそこにある。
 それが見られない世界は、じつは「まだまだ」ということもわかる。


 以下の音楽に、スポーツ選手の大切な魂が詰まっています。

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&シューベルト:交響曲第8番「未完成」/ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮

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