『マーラーを語る』 | トナカイの独り言

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 先日、京都に行ってきました。
 理由は『マーラーを語る』という会に参加させて頂いたからです。その模様は来年発売されるクラシックジャーナル誌で読むことができるはずですが、前回の『カラヤンを語る』に続いて異例のチャンスをいただきました。

 わたしには冷静に語れない作曲家が二人います。
 一人はベートーヴェン、そしてもう一人はマーラーです。
 これらの作曲家の音楽に出会わなければ、ずいぶん異なった人生になっていただろうと感じます。
 今回の『マーラーを語る』に参加してくださった土井さんにとっても、マーラーは特別な存在だということを感じました。きっとマーラーの音楽に出会わなかったなら、彼の人生も今とは異なったものになっていたのでは…。
 たぶん、それはクラシックジャーナルの中川編集長にとっても同じでjはないでしょうか。
 そんな三人で、マーラーの作品とその演奏について語りました。
 お二人の知識や経験からすると、わたしのそれは微々たるもの。しかし、自分の思い入れの大きさには自信があります。

 マーラーとの出逢いは高校一年生の時。
 最初に聴いたのはクーベリックの交響曲第1番でした。
 曲と演奏に異様なものを感じて驚いたのですが、ほんとうの衝撃はその数ヶ月先に待っていました。

 わたしは高一の時、摂食障害のようなものに陥りました。深い理由には触れませんが、なぜか食べることが悪と感じた時期があったのです。そんな状態にもかかわらず、強度の強いスポーツを続けていました。そして、当然のごとく身体をこわし、意識も失い、入院ということになったのです。人生で初めての大きな挫折でした。そして、それまで歩んできた道を外れ、迷いはじめたのです。
 そんな迷いのなか、『大地の歌』に出会いました。
 同時にヘルマン・ヘッセの『デミアン』や『荒野のオオカミ』にも出会い、迷って堂々巡りをするところから、かろうじてですが、新しい道を進めるようになったのです。

 初めて聴いた『大地の歌』はワルター指揮のニューヨークフィルのものでした。
 今からふり返ると、ウィーンフィルのものに出逢い、それに取り憑かれた方が、ドラマティックな物語になったと思います。しかし、現実はニューヨークフィルのものでした。
 ワルターの次に聴いたのはバーンスタインの指揮したウィーンフィルのレコード。偶数番号の曲を女性ではなく、フィッシャーディスカウが歌った録音でした。
 ワルターとバーンスタイン盤をあまりにもたくさん聴いたため、今でもこれらがいちばんしっくりした演奏に感じられます。音楽に刷り込み効果というものがあるなら、カール・ベームのモーツァルトとこれら二枚から、わたしは深い刷り込みを受けているに違いありません。

 『大地の歌』からマーラーに取り憑かれ、それ以来、たくさんの録音や実演を聴いてきました。
 しかし、正直な話、今でもすべての曲を理解しているわけではありません。3番に感動したのはついこの頃のことですし、しかも土井さんの助けあってのことです。9番も深いところで感じられたのは、つい最近です。
 5番と6番は高校生の時から大好きな曲でした。
 4番は正直、今でも理解できないところ、もしくは嫌いなところがあります。
 人気のある2番ですら、四十才くらいになって理解したような気がします。
 高校や大学の頃、「好きな作曲家は」と尋ねられるたび、「マーラーです」と答えていましたが、その頃知っていたのは『大地の歌』と5番、6番のみと言える淋しい状態だったのです。
 とは言え、マーラーが大事な作曲家であり、何か特別なものを感じていたことは事実です。

 マーラーの交響曲2番を得意とするキャプランという指揮者がいます。
 彼は大学時代、演奏会で聴いた2番に感動し、その場で動けなくなったといいます。加えて彼は、自分の人生を2番を指揮することに掛ける決心をするのです。大学まで音楽と縁遠い生活を送っていた彼は、音楽家になるのではなく、実業家として成功し、時間とお金を自由に使うことでマーラーに迫る道を選択します。そして、人生も後半に近づいて、ついに世界最高のオーケストラの一つであるウィーンフィルを指揮し、交響曲第2番のCDを発売するのです。
 キャプランを導いたようなマーラーの力を、わたしも心の深いところに感じています。
 マーラーの音楽が、わたしの悩みや苦しみを、背負ってくれるような気もします。
 マーラーはわたしと同じ種類の悩みや苦しみを感じていたと信じられます。

 そんなマーラーについて、何時間も語りました。
 自分にとってのマーラーだけでなく、土井さんや中川さんのマーラーを知ることで、少し視界が開け、理解が深まったように感じられました。
 中川編集長が東京に戻られてからも、土井さんと二人で語り合いました。

 音楽は不思議なものです。
 単に心地よかったり、高揚したりする音楽もありますが、マーラーやショスタコーヴィッチのように孤独や苦しみの姿をした音楽もあります。そして、そんな音楽の方がより深い浄化や昇華をもたらしてくれるのですから。
 これからもわたしは一生、マーラーを聴いていくに違いありません。
 そんな道の一つの大きなステップとなった『マーラーを語る』会でした。

 京都のCD屋さんで、下の演奏を買いました。
 
マーラー:交響曲第8番/シャイー(リッカルド)
¥3,059
Amazon.co.jp
 たくさんの素晴らしいクラシックCDの置かれた店でした。
 しかも、担当の方からクラシック音楽への深い愛情が感じられました。
 シャイーの演奏について、しっかりとした説明をしてくださいました。
 先日の板倉さんもそうですが、こうした方々の力で、クラシック音楽会の一部が支えられていると実感できるショッピングとなりました。
 シャイーの演奏も、大上段に構えた8番でなく、深い愛情に満ちたものです。