心の壁 - 信越マスターズ | トナカイの独り言
2009年11月30日(月)

心の壁 - 信越マスターズ

テーマ:水泳の話
 小学校五年生の時、通っていた群馬県高崎市の片岡小学校に、初めて水泳プールができました。
 そして、水泳部らしきものが作られました。
 その時から、わたしは十代を水泳選手としてすごしました。
 まだスイミングスクールや、温水プールがなかった時代です。小・中学校なら年間に50日も泳げれば良い方だったでしょう。高校に入ると、寒さと戦いながら100日くらいは泳いだでしょうか。

 わたしはそれほど悪い選手ではありませんでした。が、全国区の選手でもありませんでした。たぶん、群馬県の水泳選手の間で名前を知られているくらいだったでしょう。
 高校時代はよく「50メートルレースがあればね」と云われました。当時、正式な競技に50メートルはなく、もっとも短いレースで100メートルだったのです。50メートルが得意だったわたしは、市民大会とか非公認の50メートルレースでは強かったものの肝心の100メートルは二流。ついには自由形でなく、個人メドレーに勝機を見つけるようになりました。

 そんな高校生の時から、わたしには壁がありました。
 それは50メートル自由形27秒の壁です。
 短水路でも長水路でも、27秒ぎりぎりまでは行くのですが、その壁を破れなかったのです。
 高校三年の時、毎日のように5000メートルを超える練習をし、合宿では15000メートルを泳いでも、その壁は破れませんでした。
 高校を卒業すると、こんなふうに感じていました。
 『あれだけ練習してもダメだったのだから、今のように泳いでいて27秒を切れるはずがない』

 スキー選手を引退して三十代半ばに、ふたたび泳ぎはじめました。
 この時は三十才代の福島県新記録を出したり、国体にも出ましたが、やはり27秒の壁は破れませんでした。どこかで、『破れるはずがない』と感じていたことも事実です。
 五十才から三たび泳ぎはじめ、少しずつタイムが戻り、二年前ついに公式記録として生涯ベストの『27.00』を記録することができました。

 そんなわたしは、数週間前に参加した日本海マスターズで、日本記録保持者の荒木さんから、こう誘われたのです。
「信越で50メートル、勝負しませんか?」

 荒木さんは200メートルと400メートルの現マスターズ日本記録保持者です。
 しかも、わたしにとってとても縁のある人なのです。
 理由は、わたしが水泳を再開し、最初に参加した本格的な大会で、驚きと感動を与えてくれた人だからです。
 荒木さんは長身で素晴らしい身体をしておられます。初めて見たとき、「この人は速そうだけれど、たぶん三十代だから、自分と泳ぐことはないだろう」と思いました。ところが、100メートル自由形の蓋を開けてみると、同じ組だったのです。一コース空けた隣を泳がれたのですが、飛び込んですぐ大きく前に出られました。わたしは、50メートルの折り返しまでは速いので、飛び込んですぐ前に出られた経験がありません。大きく動揺し、ペースが乱れ、史上最悪のレース展開となりました。75メートルで力尽き、ほんとうに止めようと考えたほどひどい泳ぎになったのです。タイムも自分の予想から5秒以上も余計にかかってしまいました。ゴールしても、息ができず、倒れる寸前でした。
 わたしとそれほど違わない年齢なのに、荒木さんは素晴らしいタイムと泳ぎを見せてくれたのです。

 それ以来、荒木さんはわたしの憧れの選手となりました。
 けっしておごらず、謙虚な姿勢を見せ続ける荒木さんに、正反対なスキー選手ばかり観てきたわたしは、たくさんのことを教えられました。
 五十才代になられた荒木さんは、泳ぐたびに日本記録を更新されました。
 最初は400メートルで、それから200メートルで。
 今回の信越マスターズでも200メートルを2分9秒という驚異的なタイムで泳がれました。
 そんな荒木さんから「一緒に泳ぎましょう」と云われ、チャンスだと感じたのです。
 いつか26秒台を出したいと願っていたわたしに、大きなチャンスが与えられたと感じられたのです。
 日本海マスターズから、できるだけの準備をして臨もうと努めました。ヒザや腰に古傷を抱えているわたしは、下手に練習をやると壊れてしまうのです。

 信越のプログラムを見ると、荒木さんと隣のコースではなく、次の組になっていました。
「隣で泳ぎたかったですね」と云うわたしに、荒木さんもうなずいていました。

 信越マスターズで、わたしはリレー2種目と個人種目2種目のエントリー。
 メドレーリレーでバタフライを泳ぎ、これはベストに少しとどかないタイムでした。
 個人種目の25メートル自由形は12.41。久々に12.5を切ることができました。
 50メートルレースの前、いつものように静かに座っていると脈拍が異常に高まってきました。ふだんなら起こらないことです。
 招集所に行く前、荒木さんと握手し、どんなことがあっても全力を尽くそうとふたたび自分に言い聴かせました。

 荒木さんはわたしの前の組、同じ4コースです。
 スタートは素晴らしく、泳ぎはそれ以上に素晴らしかったです。ターンも完璧で、呼吸は50メートルで一回。
 タイムは26.45。五十才代ではまず観ることのできない素晴らしいタイムです。

 ゴールした荒木さんは、わたしの眼を見て、「頑張って!」と一言。
 スタート位置に着き、合図で構え、スタート。
 わたしにしては良いスタートだったのですが、右のゴーグルに水が入りました。
 ゴーグルの水なんて関係ないと気持ちを振り切るまでに2ストローク。9ストローク目で最初の呼吸をし、二回目の呼吸後、ターン位置の確認が難しいことに気づきました。わたしはスキーの怪我で、左目にほとんど視力がないのです。
 思い切ってターンすると、そこに壁があって、正直ほっとしました。
 少し浅いターンでしたが、上出来です。
 あとは頑張るだけ。
 最後までよりよく掻くことに意識を集中しました。
 ゴールすると、荒木さんの笑顔がありました。
「生涯ベストですね、おめでとうございます」
 掲示板は26.85を指していました。

 大きな大きな壁を破ることができました。
 自分にとって、大きな意味を持つ壁でした。
 わたしにとって『27秒の壁』は、かつて『月面宙返り』だったり、『三回宙返り一回ひねり』だったり、『ポールフリップの一回半ひねり』だったりしました。今のモーグル におけるフルツイストも一つの壁です。しかし、たぶん水泳の27秒は小学校から今までの思いをしょっているものだけに、ずしりと重いのです。

 大きなきっかけとチャンスを与えてくれた荒木さん、ほんとうに感謝しています。
 これからも、わたしの目標のアスリートであり続けてください。
 昨日の200メートル2分9秒は偉業ですし、50メートル26.45は素晴らしすぎます。

 今回の26秒台達成には、他にもたくさんのみなさんの力が働きました。
 マスターズ水泳の奥深さと魅力を再確認させてくれた松本弘さんや柳澤晋平さん。
 脳が作る壁という大きなテーマを教えてくれ、打ち破る具体的方法論を与えてくれた三浦弘さん。
 日々応援してくれる若林美穂さん。
 びっぐらんど小川の仲間たち。わざわざ新潟まで応援に来てくださった沼倉さん。
 そして、クロスプロジェクトグループの戦友たち。
 こうしたみなさんの力なしに、今回のことは起こりえませんでした。
 ほんとうにありがとうございました。
 また気持ちを新たに、これからも泳いだり滑ったりし続けていきます。

 今年最後の水泳大会を終えました。
 今年は120日泳ぐことができました。
 昨年や一昨年に比べると少ない日数でしたが、高校時代よりは多いはず。

 文脈から書き忘れましたが、信越マスターズ最終レース『100メートル自由形リレー』で、わが小川ビッグランドチームが優勝できました。最終泳者だったわたしは、じつはプレッシャーにドキドキでした。

 人類が戦争ではなく、スポーツを。
 飢えや破壊ではなく、平和や創造に力を発揮できることを祈りつつ…。
 明日からはスキーの世界に、身を入れます。
 

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