ほんとうに大事にしているものについて語ったり、書こうとすると、いつも躊躇してしまいます。
「うまく書けるだろうか」とか、「まだまだ準備不足でダメだ」とかいう思いが強くなり、結局書けずじまいに終わることが多いです。
ベートーヴェンやブラームスはそんな躊躇してしまう最たるものです。
…しかし、今日はあえてブラームスについて書いてみます。
なぜなら、たくさんの素晴らしい音楽のなかでも、ブラームスのピアノ協奏曲1番は、わたしにとって特別な意味を持っているからです。
かつて、スキー人生の絶頂期に、わたしは大けがをし、その後遺症から大病を患ったことがあります。
致命的ともいえるヒザの怪我で、もはやスキーができないと信じざるを得ないほどでした。結果的に、この怪我以降、つねにヒザが曲がりきらないというハンディキャップを背負うことになりました。
当時、まだめずらしかったヒザの手術を受け、失意と絶望に打ちのめされ、ベッドに寝ていた日々。
そんな時、ラジオから流れる音楽に心をつかまれたのです。
情熱的でありながらも、苦しみに満ちた第一楽章。
祈りのような第2楽章。
第2楽章がはじまって間もなく、涙が止まらなくなってしまったことを、今もよく覚えています。あの時のことを想い出すだけで、胸が締め付けられるような…。
ブラームスのピアノコンチェルト第1番。
高校時代のわたしはブラームスが大嫌いだったので、ブラームスに目覚めた瞬間でもありました。
…もしかしたら、ブラームスを理解するためには、大きな痛みを知る必要があるのかもしれませんね…。
それ以来、たくさんのCDを聴いてきました。
怪我をした当時、最初に買ったのはラドゥー・ルプーだったでしょうか?
ルドルフ・ゼルキンの演奏も相前後して買った記憶があります。一時期は手に入るすべてのCDを揃えようとしたこともあります。
このピアノ協奏曲には、大きな二つの要素が入り交じっています。
もしかしたら、それらの要素は「対立して存在している」と表現した方がいいかもしれません。
一つの要素は青春の無尽蔵とも思えるエネルギーの奔流です。制御不能の燃えたぎった情熱。
そして、もう一つは深く澄んだ叙情(リリシズム)です。
パッションとリリシズムの対立が、曲のあらゆるところで巻き起こります。
そして、とうぜんのように多くの演奏は、どちらかに片寄ります。
わたしの大好きな演奏の一つ、ルービンシュタイン(ピアノ)とフリッツ・ライナー(指揮)はまさに「火」です。凄まじい緊張感と、情熱の嵐に襲われる演奏。鍵盤に火花が飛びます。
熱い演奏という点で、この右に出るものにはまだ巡り会っていません。
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番/ルービンシュタイン(アルトゥール)
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反対に叙情的(リリカル)な演奏の極めつけはルプーでしょうか。
あくまでも繊細に、ブラームスの心の震えをみごとに聴かせてくれます。
近頃発売されたクリスティアン・ツィンマーマンとラトルの演奏も、総合的に優れているだけでなく、リリカルな表現に傑出したところが多いように感じました。リリカルと言えば、グレン・グールドの演奏も独特の叙情を感じさせてくれます。
情熱と叙情の両者を対等に歌おうとした演奏に、新旧のブレンデル盤やバレンボイム&メータなどがあげられるでしょう。
ポリーニの演奏はわたしにはどうもピンときません。彼のベートーヴェンとブラームスは、どういう訳か、わたしの心に届かないのです。
現時点で自分がいちばん好んで聴く演奏はブレンデルの旧盤です。指揮はイッセルシュテット、オーケストラはアムステルダム・コンセルトヘボウ。
オピッツとコリン・ディビスの演奏も、素晴らしいことを書き忘れてはいけません。オピッツというピアニストはどこか、わたしの心に訴えるところが多いです。
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番/ツィマーマン(クリスティアン)
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叙情と熱情の対立という矛盾を、最初から抱えた曲。
まさに若者という存在の迷いを訴えてくれます。
この曲に感動できる間は、自分にも、まだまだ青年の気持ちがあると信じられます。
これから、どんな演奏家たちがこの曲を録音してくれるのでしょう。
新しいピアニストたちの演奏を、これから聴いていくのが楽しみです。
そして、ぜひともゲルバー(Bruno-Leonard Gelber) には、この曲を再録音してもらいたいものです。素晴らしいオーケストラと指揮者で。きっといつかは録音してくれると考えますが…。
